太田述正コラム#3176(2009.3.26)
<シルヴィア・プラスをめぐって(その2)>(2009.5.10公開)

3 詩人・精神疾患・自殺

 「・・・鬱病に遺伝性があることは認められているが、ヒューズ博士の自殺と彼の母親<たるプラス>の自殺を結びつけるような自殺遺伝子の存在は知られていない。・・・
 <ただし、>もしあなたの家族に自殺した人がおれば、同じようなことをする人がこの家族からまた出る可能性は、そうでない家族に比べて高いことは確かだ。・・・」
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article5956380.ece上掲

 「・・・とりわけ、自殺者が有名人でしかもその自殺が劇的な自己破壊であったような場合は、当該自殺者の子供達や親類は、その他の人々と違って出来合いの「脱出口」を提供されたようなものだ、という言い方はできよう。・・・
 <とはいえ、>多くの鬱病患者の最終到達点が自殺であることは事実だとしても、鬱病に罹っていても自殺志向のない人はいくらでもいる。
 自殺するには鬱だけでなく衝動性も必要なのだ。
 鬱病は、多くの場合、人を受動的で弱々しく非活動的にする。鬱の痛みは耐え難いものがあるかもしれないけれど、自殺のような意図的なことを決行するなんて考えただけでも圧倒されそうになるものなのだ。
 <いずれにせよ、>文学者の自殺は、作品を生み出すことに取り憑かれている作家なるものは極度の鬱の結果なのか原因なのかはともかくとして、よくあることだ。・・・
 <だが、ある文学者が、>「私は自分自身を反応させることができなかった。私はじっとして空虚感に苛まれるままだったが、これは周囲の喧噪をよそに鬱陶しく(dully)動いている竜巻が感じているであろうところの様子といった趣だった」<と鬱の時のことを書いていることからも、鬱病だから自殺、ということに必ずしもならないことが推し量れるだろう。>・・・」
http://roomfordebate.blogs.nytimes.com/2009/03/24/why-the-plath-legacy-lives/上掲

 「・・・疑うべくも無いことは、多くの詩人が精神疾患に悩まされていたと見られることだ。ちょっと考えただけでも、ジョン・クレア(John Clare)、ロバート・ローウェル(Robert Lowell)、シルヴィア・プラス、そしてセオドール・ロースケ(Theodore Roethke)らがいる。・・・
 <これに対しては、>躁鬱病的な気分の揺れは詩人の創造的周期の特徴でもあるけれど、少なからざる精神疾患は柔軟性の欠如や心理的硬直化といった、詩が求めるところの「カメレオン的自我」の対極的なものによって特徴づけられる<ことから、精神疾患に罹った人が詩をつくれるなんて不思議だと思われるむきもあろう>。
 確かに、例えば、ひどい精神病に罹っている最中は<詩をつくることなど不可能>だろうが、私自身の経験から言うと、「落ち込み(breakdown)」がもたらしてくれる余録の一つは、大きく増進された柔軟性であり、「現実」を「創造の世界」から切り離していたところの境界の不分明化なのだ。<そういう時詩作をする、ということは大いにありうることなのだ。>・・・」
http://www.guardian.co.uk/society/joepublic/2009/mar/23/mental-health-poetry-words-on-monday
(3月24日アクセス)

4 科学的知見

 (1)人はなぜ自殺するのか

 「<以下のような研究が行われた。>・・・
 <プラスを始めとする>20人の異なった詩人達・・その半分が自殺した・・によって書かれた300篇の詩が研究の対象とされた。
 自殺した詩人達の詩と自殺しなかった詩人達の詩の特徴が比較されたのだ。・・・
 これまで、自殺については、絶望(hopelessness)理論と社会からの逃避(Social disengagement)理論の二つの理論があった。
 <後者は、>フランスの社会学者のエミール・デュルケム(Emile Durkheim)<が唱えた説だ。>
 デュルケムは、人々が自殺するのは、主に彼らが自分自身に取り憑かれ、社会的関係から切り離され、社会的世界から全般的に引退するからだと主張した。
 有名になると、ある意味、このプロセスが促進される。
 例えば、詩人達や俳優達は、自分自身に集中して社会的現実からより切り離されるよう奨励されるものだ。
 仮にこの<デュルケムの社会からの逃避>理論が正しければ、自殺した詩人達<の詩>は、他者とのコミュニケーションへの言及より自身への言及の方が多いはずだ。
 詩を分析したところ、社会からの逃避理論の一定の正しさが証明された。
 自殺した詩人達は、一人称単数(I, me, my)を自殺しなかった詩人達よりたくさん用いていたのだ。
 他方、絶望理論を裏付けるものは発見されなかった。
 というのは、自殺した詩人達は、特段、自殺しなかった詩人達に比べてより多く、否定的な感情に係る言葉を使ったり死について語ったりはしていなかったからだ。
 ・・・<この研究で新たに分かったことがある。それは、>自殺した詩人達は自殺しなかった詩人達に比べてセックスにより強い関心があったということだ。
 自殺した詩人達は、実際、死よりもセックスにより関心を集中させていたということがおおむね証明されたのだ。・・・」
http://www.spring.org.uk/2007/09/why-attempt-suicide-evidence-from.php
(3月25日アクセス。以下同じ)

 (2)人はなぜ鬱病になるのか

 「・・・鬱病患者・・・の右側の大脳皮質・・・は顕著に薄くなっていることが判明した。・・・
 科学者達が大脳をスキャンして行った研究によれば、鬱病の両親・祖父母の子孫達は、当人達が鬱病や不安障害(anxiety disorder<=social anxiety disorder=社会不安障害>)の既往歴がなくても、上記薄化が生じていることが分かったという。・・・
 このことから、かかる家族的性向は遺伝的なものだと思うかもしれないが、必ずしもそう断定はできない・・・。・・・病気である両親や祖父母と一緒に育った結果かもしれないからだ。
 実際、両親が鬱病患者であると、子供達が育つ環境が変わっ(=悪化し)てしまうことが研究で分かっている。・・・
 大脳皮質は、論理的思考、計画、そして気分(mood)の中枢たる脳の部位であり、この皮質が薄くなっているということは、その個人が、社会的感情的手がかりに注意を払い解釈する能力に<悪い>影響を及ぼす可能性がある、と科学者達は示唆している。・・・
 右半球の薄化は現実の鬱病をもたらすわけではないが、これに左半球における同じ部位の薄化が付け加わると、鬱病になりやすかった人が実際に鬱病の発症に至る、と考えられる。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/03/25/health/25brain.html?_r=1&hpw=&pagewanted=print
5 終わりに

 「生涯のうちに鬱病にかかる可能性については、近年の研究では15%程度」、「鬱病を反復する症例では、20年間の経過観察で自殺率が10%程度とされている」「男性より女性のほうが2倍ほど、鬱病になりやすいとされている」だそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%B1%E7%97%85
 また、上記文中に登場した社会不安障害についても、やはりかかる可能性は鬱病と同じくらい
http://www.2px.jp/psycho/cafe41.htm
だそうですから、精神障害の種類はこれ以外にもあることに鑑みれば、本シリーズの冒頭で私が申し上げたように、我々の回りにゴロゴロ顕在的・潜在的患者がいて当然なわけです。
 かくいう私だって、これからどれかの精神障害を発症しないという保証はありません。

 最後に一言。
 役人時代に、実は例外的に、私から見て、(精神障害に罹っていた可能性があるとまでは言いませんが、)おかしいんじゃないかと私が思う人がたくさんいた職種が身近に存在しました。
 自民党系の政治家という職種がそうです。
 そのうち何人かは、『実名告発防衛省』の中で実名で登場していますよ。
 機会があれば、別途論じたいと思いますが、どうしてそんなことになるかを解明する鍵は、2世政治家の多さ、吉田ドクトリンの墨守、そしてこのこととも関連するところの日本の政治家業の歪み、更には、戦後日本におけるエリート教育(の欠如)にある、と思います。

(完)