太田述正コラム#2901(2008.11.8)
<オバマが尊敬するリンカーン>(2009.5.8公開)

1 始めに

 7日に行われた、次期大統領としての初めて記者会見において、大統領職に就く準備としてどんな本を読んでいるか聞かれたオバマは、ずっとエイブラハム・リンカーンの著作を読んでいると答えた。「彼はいつもスゴく啓発してくれるんだ」と。
http://www.guardian.co.uk/world/2008/nov/08/barackobama-obama-white-house

 リンカーンは奴隷解放をやったし、オバマと同じくインテリで弁護士出身で文章家だったし、おまけに、オバマと同じ、イリノイ州出身の政治家だったのですから、オバマが尊敬するのも当然です。
 そこで、このところリンカーンについてはしばしば取り上げて来ていますが、再度彼を取り上げることにしました。

2 リンカーンについて

 (1)リンカーンの読書傾向

 米国の大統領中偉大な文章家であった者はごくわずかだ。トーマス・ジェファーソンは<彼の起草した米>独立宣言の散文の素晴らしさで記憶されており、ユリシーズ・S・グラントの『個人的回顧録』は120年経っても再版されているけれど、セオドア・ローズベルトとウッドロー・ウィルソンは20世紀におけるただ二人の文章家たる大統領だ。
 しかし、大統領たる文筆家で一番優れているのは、何と言ってもエイブラハム・リンカーンだ。・・・
 彼はベンジャミン・フランクリンの『自伝』やメイソン・ウィームス(Mason Weems。1756〜1825年)の『ワシントンの生涯(Life of Washington)』といった米国の政治家群像について初期に書かれた古典的諸名著を読んだ。
 また彼は、ヒュー・ブレア(Hugh Blair。1718〜1800年。スコットランドの修辞学者(太田。以下同じ))、デービッド・ヒューム(コラム#497、517、1254、1255、1257、1259、1699、1701、2279)、エドワード・ギボン(コラム#581、858、1768、2138、2382)といった英国の哲学者や歴史家や、サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson。1709〜84年。イギリスの著述家)やローレンス・スターン(Laurence Sterne。1713〜68年。イギリスの小説家)がお気に入りだった。
 彼らは19世紀の米国では誰もが読んだ著者達だった。しかし、リンカーンの読書傾向はある種変わっているところがあった。彼はフィクション、とりわけ小説にはほとんど関心がなかった。ただし、彼はチャールス・ディケンズの諸作品やハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』は知っていた。(ストウに会った時、彼は、「あなたが大きな戦争を引き起こした本を書いた小さな女性なのですね」と言ったことになっている。)以上はどちらかというと例外に属する。
 他方、詩は彼の生涯を通じての情熱の対象だった。
 彼は、トーマス・グレイ(Thomas Gray。1716〜71年。イギリスの詩人)の憂鬱な雰囲気、アレクサンダー・ポープ(Alexander Pope。1688〜1744年。イギリスの詩人)の風刺的批判、そしてロバート・バーンズ(Robert Burns。1759〜96年。スコットランドの詩人)の民俗的な言葉、バイロン卿(Noel, 6th Baron Byron。イギリス/スコットランドの詩人)の叙情詩的な美にいかれていた。
 彼の時代に近い米国の詩人達の中にもお気に入りがいた。・・・彼は、若き弁護士時代、「ポー(Edgar Allan Poe。1809〜49年。米国の詩人・短編小説家)の本をいつも持ち歩き」、旅行の際にはポーの「カラス(Raven)を読みかつ愛し、何度も何度も読み返したものだ」という。
 それはそれとして、何と言っても、一人の作家がリンカーンの頭の中を支配していた。シェークスピアだ。彼の作品をリンカーンは読み込み、沢山の文章を空で言えるようになった。その結果われわれは、シェークスピアの響きをリンカーンの政治的演説の所々で感じ取ることができる。例えば、有名な二回目の大統領就任演説の一節である "With malice toward none, with charity for all" などは、シェークスピア劇の中の独白といった趣がある。より重要なことは、リンカーンが世界を理解するのにシェークスピアの戯曲を活用したことだ。彼は、南北戦争をシェークスピアの『ヘンリー4世』シリーズの助けを借りて考え、『オセロ』のレンズを通して人種的差異を眺め、『ハムレット』を通じて人間の本性を眺めた。

 (2)リンカーンの世俗性

 そのキリスト教徒としてのバックグラウンドにもかかわらず、リンカーンは全く熱心な信者ではなかった。彼は、キリスト教の古典から詩的とさえ言える散文のスタイルを学んだが、聖書に書かれていること自体にはほとんど関心がなかった。彼は、教会に行ったことはほとんどなかったし、聖書からの引用の持つ説得力は承知していたものの、神学のことなどせせら笑っていた。

 (以上、
http://www.latimes.com/features/books/la-ca-fred-kaplan9-2008nov09,0,2847036,print.story
による。)

 (3)リンカーンの黒人への偏見

 リンカーンは、<トーマス・ジェファーソン同様、解放された黒人奴隷達をアフリカ等に>移住させるべきだと信じていた。彼は1862年に黒人の著名人のお歴々に対し、黒人と白人は決して一緒に調和的に暮らすことはできないと主張し・・・た。彼は、その年に回覧され始めた、奴隷解放宣言の初期の草案の中に移住の話を盛り込んでいた。しかし、リンカーンが政治的賛同を得ることができなかったため、そのくだりは最終案からは落とされた。
 奴隷解放宣言は、南北戦争たけなわの時につくられた戦術的な軍事的文書だった。それは北部連邦が勝利する可能性を高めることを意図してつくられたものだった。この宣言は叛乱を起こした諸州で奴隷制を廃止したけれど、北部連邦に味方した境界地域の諸州やその他の南部連合の支配下にあった地域では奴隷制を維持することとしていた。とはいえ、できあがった宣言は、奴隷解放は「憲法で保証された正義の行為」であると謳っていた。
http://theboard.blogs.nytimes.com/2008/11/07/savoring-the-undertones-and-lingering-subtleties-of-obamas-victory-speech/

3 終わりに

 愛読書と言い、その世俗性と言い、リンカーンはほとんど英国人そのものだったと言って良いと思いますが、奴隷解放を成し遂げたリンカーンが、黒人差別意識を持っていたとは驚きですね。
 というか、一見、19世紀後半で最も純粋なアングロサクソン的な米国人だったと言えそうなリンカーンも、やはりできそこないのアングロサクソンに他ならなかった、ということなのかもしれませんね。