太田述正コラム#3247(2009.5.1)
<皆さんとディスカッション(続x473)>

<KT>

≫音楽音痴のアングロサクソン≪(コラム#3239。太田)(コラム#3241)

 Beatlesの「let it be」
http://www.youtube.com/watch?v=4oZYqAeIdYk
が好きなのですが、Beatlesも音楽音痴なのですか?

 「let it be」って和訳すると「ほっておく、なすがまま」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej/Let+It+Be/m0u/let+it+be/
という意味みたいですが、個人主義の信条
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9
に通じているように思いました。

<太田>

 日本語のウィキを見ると
 「・・・ビートルズの音楽的ルーツ(基本)は米国黒人(チャック・ベリー、リトル・リチャード、シュレルズなど)のリズム・アンド・ブルースやロックンロール、およびそれをルーツとした白人(エルヴィス・プレスリー、バディ・ホリーなど)のロックンロールとされる。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA
と記されています。
 また、「・・・ビートルズは、デビュー当時は単なるロックンロール・バンドと見られていたが、その音楽的な領域は単なるR&Bにとどまらず、バラードからハードロック、またカントリーソングからゴスペルソング、そしてフォーク・ソングからオペラ風ソング、クラシック音楽からジャズ風のサウンド、バンド音楽からピアノ曲、バロック音楽からレゲエ風ソング、ジョージ・ハリスン作曲のインド音楽、さらにはレヴォリューション9にみられる実験的音楽まで、ありとあらゆるジャンルに広がっており、・・・」(同上)とも記されています。
 私に言わせれば、ビートルズの音楽は、米国の音楽、ロックを主、欧州のクラシック音楽を従とした折衷音楽あり、そこにはイギリスの音楽的伝統は影も形もありません。いや、そんなものは存在しないのですから当然ですが・・。
 要するに、ビートルズは新しい音楽ジャンルを生み出したわけではなく、だからこそ、ビートルズの前にビートルズがないのは当然として、ビートルズの後にもビートルズの流れを汲む音楽家ないし音楽集団はいないのです。
 また、ビートルズに匹敵するような世界的人気を博した音楽家ないし音楽家集団も、その後イギリスは生み出していません。
 ですから、ビートルズがいたからといって、イギリス(アングロサクソン)が音楽音痴ではない、ということにはならないのです。

 補足的に申し上げると、ピアソラ(コラム#3235)は、自分の生まれたアルゼンチンの音楽であるタンゴと、米国音楽(ジャズ)と、欧州のクラシック音楽の三つを融合させて、新タンゴ(nuevo tango)という新しい音楽ジャンルを生み出した
http://en.wikipedia.org/wiki/%C3%81stor_Piazzolla 
ところ、タンゴに相当するものがビートルズにはないわけです。
 
 「let it be」のタイトル、歌詞については、詳しい読者の方のご意見を拝聴したいものです。 

<KT>

≫悪貨は良貨を駆逐する≪(コラム#3229。太田)

 なぜ、勉強することに「勝ち・負け」とか、「善・悪」なんてものが、存在しているのか。
 ただ劣等感と虚勢を煽るだけで、物事の本質なんかどうでもよくなってしまうのか?と空しさを感じます。
 能力別にクラスを分けても、やってることは「記憶訓練の難度が強い、弱い」で、応用して何を考えるか、というのはほとんど教えないんですしね。(典拠は経験です。)
 現場にいる教師の方たちも苦労されてるようです。
http://blog.tatsuru.com/2009/01/20_1010.php

 文章中に「現場にいるとはっきりわかることは、それが「構造的なもの」だということである。」と書いてあります。

 日本が属国だというのも、本当は中学の時に教えなきゃいけないんじゃないのですか?と憤りを感じるということは、劣等感を晒しているってことです。
 早く、この国は「独立」しなければいけません。

<太田>

 学業成績試験(achievement test)しか、日本にはないことが問題なのだと思います。
 この種の試験は、記憶力の試験の側面が強く、必ずしも知力の試験とは言えないし、いわんや、判断力・・あなたの言う応用して考える力・・の試験にはなっていません(コラム#3210(未公開))。

 なお、揚げ足を取るわけではありませんが、日本が属国だと中学の時に教える指導要領ができるとすれば、それは、日本の米国から「独立」が間近な段階でしょうから、結局、属国であることを教える必要はなさそうです。
<一言居士>

 --コラム#2870「20世紀初頭の欧州史(その1)」を読んで--

 「歴史は繰り返す」という思いを強くします。
 有史以来、良くも悪くも人間の性向は変わっていないと見受けられるからです。
 個々の民族ではなく地球規模での人間というものを見ると、表面的に変化(学習)してきたように見えても、ほぼ同じパターンが繰り返されているようです。

 人間の生き方はこれから先も、その時々の戦争、自然災害、地球環境などによって変わるのでしょうが、フーコーの振り子のように、いずれまた元の経路を行き来すると思います。これは数千年先を空想したまで・・・。

 このように考えながらも変化を求めるのが人間の性。愚かと思われても次の日本の政権に期待します。

<太田>

 「歴史は繰り返す」の語源に関する、
http://www.miyamoto-net.net/column/talk/1213108629.html

あたりを典拠につけていただきたかったですね。

<植田信>(2009.4.30)(http://8706.teacup.com/uedam/bbs

 --ブリテン島と大陸が対立しているという図式の点で、太田氏とフッサールが一致した--

 太田述正氏の『防衛庁再生宣言』から第8章の「アングロサクソンと日本」のところです。
 冒頭にこうあります。

 「私は、世界の近現代史の最大のテーマは、アングロサクソンと欧州大陸(後には欧州・ユーラシア大陸)の間の大抗争(Great Game)であると考えている。これは、<個人主義=自由主義・経験主義>対<全体主義・合理主義>の大抗争であった。全体主義の起源は、欧州大陸において原始キリスト教が変容して生まれたカトリシズムである。(ここでカトリシズムというのは、欧州の中世のそれであって、現在のカトリシズムではないことに注意)。
 カトリシズムにあっては、主権者(国王等)が被治者に特定の信仰を強制するのが特徴である。つまりは、特定のイデオロギーに洗脳が行われる。このカトリシズムの風土に生まれたのが、〈フランス革命の鬼子たる〉ナショナリズムであり、〈ドイツ観念論の鬼子たる〉マルクシズムやナチズム(ファシズム)である。異端審問(あるいは査問会議)や魔女狩り(あるいは粛清、エスニック・クレンジング)がカトリシズムに結びついていることは、容易に理解できよう。」P.191、192

 ここのところを見て、この対立図式はどこかで見たことがあるなあ、と思いました。
 思ったものの、なかなか浮かんできませんでした。
 今朝になって、分かりました。
 フッサールの『危機』です。

 フッサールによると、ヨーロッパの近現代史は、大陸とブリテン島の間で展開された大戦争の歴史です。
 フッサールのいう戦争とは、哲学の戦争です。
 大陸の合理主義哲学とイギリスの経験論哲学の大戦争です。
 人物名で言えば、フッサールが挙げているのが、デカルトとジョン・ロックの対決です。

 「ロックは、デカルトが開拓した人間精神の最も奥深い問題には立ち入らなかったし、そのような問題があることもロックは認知できなかった」ということです。『危機』書のどこかに出ています。

 というわけで、対立図式の点では太田氏とフッサールはまったく一致しました。
 興味深いことです。

<新井信介>(同上)

>カトリシズムあっては、・・・容易に理解できよう。」

・・・カトレシズムの基本は、ラテン語の聖書「ウルガータ」。
 これの完成は、405年。書いた(翻訳した)のは、ヒエロニムス。

どうも、この内容には、当時のAD100〜300の ヘブライズム、ヘレニズム、そして、アラム語を話すサカ族によって、仏教説話(ジャータカ)とも影響しあっています。

<Chase>(2009.4.30)(http://blog.zaq.ne.jp/fifa/archive/200904/1

 太田述正氏のブログでまた拙ブログを引用いただいた。ありがとうございます。
 論壇の最先端を行く太田テーゼの英訳をどんどん行っていきたいところだが、あせらず徐々にやっていきたい。とりあえず、以前訳した(積り)の太田近代史観のとりまとめを、私の英語学習専用サイトにポストしておく。
http://fifa5963.exblog.jp/

 最近でも、日本の戦後の防衛整備が、米国に対する言い訳の産物である云々はシンプルであるが、ぞっとする指摘である。氏の指摘に対して、我々日本人は素直に向き合えるだろうか・・・。米国にしてもジャパンハンドラーズは別にすれば、この日本人の精神構造は理解の及ばないところであろう。これは英訳のし甲斐があるところだ。

 その他にも植田信さんのブログで、『防衛庁再生宣言』の第8章の「アングロサクソンと日本」の箇所が引用されており、ここも白眉だ(なんて偉そうなことは言えないが)。

(引用はじめ)
 「私は、世界の近現代史の最大のテーマは・・・<中略(太田)>・・・>がカトリシズムに結びついていることは、容易に理解できよう。」p191,192
(引用おわり)

 太田氏のこの大きな枠組みも魅力的だ。法哲学における対立を想起させる。
 植田さんはフッサールの危機との類似を提起されているが、この指摘は私にはよくわからない。フッサールの危機は、私は集合論の危機に関わるものと理解しているのだが・・・・。
 閑話休題。
 太田氏のGreat Game論に戻ると、やはり私は小室直樹氏の指摘が気にもある。
 それは、ソ連がビザンチン帝国の末裔であり、聖俗の分離がなされなかったところにスターリン主義の淵源を観る視点だ。そのことと太田氏の視点がどう絡むのか無関係なのか素人には興味のあるところだ。
 いずれ考えてみたい。

PS.
 余談だが、(僭越ながら)太田氏のテーゼを刺激的に表現すれば、氏の著書は、5万部は売れると思う。例えば書のタイトルを「自衛隊はアメリカへの償いの所産」とか・・・。
 単価を\1,500とすれば、7,500万円の売り上げとなり、印税を10%とすると750万円の収入だ。年に二冊ほど上梓していけば、年収1,500万円は軽い。清貧に甘んじている太田氏を救済できること請け合いだ。
 出版会の名伯楽の出現を期待したい。(脳天気に偉そうなことをいってすみません)

<太田>

 残念ながら、私のアングロサクソン論、なかなか広まらないようですね。

<植田信>(2009.4.30)(http://8706.teacup.com/uedam/bbs

 --なぜ日本は戦争したのかー日本の要因と、アメリカの要因--

 太田述正氏の『宣言』の話題から、続きです。

 まず、これです。
 「より重要なのは、なぜ日本が負けることに決まっている戦いを米国に挑む羽目になったのかである。」P.201

 で、答は、ウォルフレンが言う、日本にはそれを止める人が誰もいなかった、ということでした。
 もちろん、これは、答の半分です。
 日本側の要因です。

 戦争には相手があります。
 つまり、アメリカ側にも要因があり、それはなにか、というのがもう半分です。
 これについては、2002年4月に<私の>ホームページを立ち上げてから、かなり論じてきました。
 日本側の問題を検討するようになったのは、その後です。

 で、答は、アメリカにはスペイン戦争以来、グローバル戦略がある、というものです。
 太平洋戦争はその一環です。
 これらの論は、たとえばウォルター・ラフィーバーの『ザ・クラッシュ』や、・・・ロバート・スミス・トンプソンの一連の著作があります。

 これがアメリカの世紀にわたるグローバル・プロジェクトだとすれば、東条英機が始めた日米戦争に限れば、日本海軍に対する真珠湾誘導計画がありました。

 さて、武力を主体にした日米戦争は終わりました。1945年のことです。
 そうすると、ここで疑問になるのは、それによってスペイン戦争によってスタートした、アメリカのグローバル・プロジェクトは終わったのか、です。

 ジョン・ダワーの『吉田茂とその時代』を見ると、こうあります。

 「占領初期の理想は<非軍事化と民主化>のスローガンに要約され、一般に、保守以外の反対勢力はこの概念は全面的に正しいと引き続き確信していた。
 だがアメリカの政策が、日本を<工場>として、<防衛前線>の不可欠の軍事基地として、工業戦力の源泉として、〈地域自衛〉に参加する可能性のある仲間として、その戦略的重要性に焦点を合わせてくるにつれて、<非軍事化と民主化>のスローガンは二つに分割され、<民主化>だけが修辞的要素として残された。反対派からは、これでは最初の生気にあふれた理想の枯れ葉にすぎないではないか、日本がいったん戦略的担保物件と化した以上、逆コースとその後の<行き過ぎ是正>は、<民主化>も抑制されるという十分な証拠と考えられるではないか、という議論が起こった。強力な国家が自治体や自由になった個人に先行することになりかねない。そして占領解除後は、主権といっても、国家そのものが国際社会において完全な自主性を否定されるような性質のものになりかねない、というのであった。」『吉田茂とその時代・下』中公文庫P.147

 この引用文中に、アメリカから見た戦後の日本の位置づけが見事に出ています。
 日本は、戦略的担保物件、です。
 たとえば、その具体化が、そのための日米安全保障条約でした。

 しかし、ここでも、日本側の要因があります。
 なぜ戦後の日本は武力の放棄を宣言して平気だったのか。

 「1950年には、再軍備に反対し冷戦の中で日本の永世中立を主張する強力な民衆運動が起きるまでになり、・・」前掲P.124

 戦後の日本人の中には、日本を永世中立の国しようとして、再軍備には断固反対する勢力がいたことがわかります。
 この人たちは、何に反対したのか。
 私が思うには、戦前・戦中の皇軍の在り方に対してだったでしょう。
 朝鮮戦争の勃発を機とするアメリカによる再軍備の要請への反対の底には、皇軍に対する根深い反発があったものと考えられます。

 しかし、戦後といっても、大きく見ると、二つの時期に分けることができます。
 1991年のソビエト崩壊がボーダー・ラインです。
 55年自民党体制は、冷戦時代の産物です。
 以後の、つまり、現在の自民党体制は、不比等戦略の産物です。いや、前期<55年体制>・自民党体制も不比等戦略の産物でしたが、この時は、それ以上にアメリカの冷戦戦略の要因が大きかったわけです。

 私たちが今考える必要があるのは、冷戦終了後の、日本国の安全保障の在り方です。
 冷戦期よりも、ずっと日本人自身でどうするか、どういうことができるか、という選択肢が増えている、と言っていいでしょう。
 誰を仮想敵にするかも、日本人が自分で決められます。
 冷戦中には、このような選択肢はなく、アメリカのソビエト戦争の中に、日本はアメリカ陣営として否応なく組み込まれていました。

<太田>

 「皇軍に対する根深い反発があった」のではなく、皇軍と完全に自己同一化し、試験だけを通じて陸士海兵から皇軍の将校に任官し、徴兵を通じて皇軍の手足となり、議会を通じて皇軍に係る法律と予算を承認し続けた結果、未曾有の敗戦に至らしめた、日本の一般国民の自分自身に対する根深い反発があったと考えるべきでしょう。
 この意識を背後から支えたのが、弥生モードから縄文モードへの回帰という全般状況である、というのが私の見解です。

<植田信>(2009.5.1)(同上)

 --「安全保障を買うには、一兆円でもいくらでもかまわない」by 橋本首相--

 自国の安全保障を外国人に任せて、そのまま60年放っておくと、どうなるか。
 という、思考実験をしてみます。

 いや、これは、皆さんもご承知の通り、実験するまでもなく、戦後の日本国の事実です。
 では、どうなったか。

 といえば、予想される通り、自分で自分を守ることを放棄すれば、その組織はたいていは腐ります。
 あるいは、相手国の言うなりにしか動けなくなります。

 だから、私は、戦後の日本国の実状を見ないことにしていました。
 日本人が悲惨すぎるではありませんか。
 日本に駐留するアメリカ軍の家族が、夏に帰国するとき、日本の部屋のクーラーをかけっぱなしにしておくとか。なぜか。光熱費は日本政府の「思いやり予算」から出るから、まったく心配なし、と。
 太田述正氏の『宣言』に紹介されています。

 しかし、なぜ戦後の日本人は、それでよし、としてきたのでしょうねえ。
 やはり、それだけ戦前・戦中の日本軍の再来を恐れている、ということなのでしょうか。
 いくらアメリカ軍にぼったくられても、皇軍・日本軍の再来だけは二度と御免だ、と。

 その結果、戦後の日本人は次のような状況を受け入れています。

 「基地問題に対するこれまでの日本政府のやり方は、運用面(集団的自衛権の放棄等)でも整備面でも防衛努力を怠りながら、カネ(思いやり等)で関係先のほっぺたを張って問題を先送りする手法であり、米国や基地関係自治体(沖縄県等)との関係を悪化させるばかりだった。
 沖縄の普天間基地の周辺が市街化した問題を<解決>するためと称し、沖縄に公共事業のカネを注ぎこむ一方で、一兆円以上とも見積もられる経費をかけて一定期間後撤去できる(!)基地を建設して普天間の海兵隊部隊を移駐させようという、かっての橋本首相の構想に対し、米国政府首脳は〈クレージーだ〉と語ったと言われる。一兆円以上出せば、艦載機こみで空母がつくれるのであるから、確かにおかしな話である。基地問題には正面から取り組む以外の方法はないのだ。」『防衛庁再生宣言』P.80

 橋本構想は、アメリカ首脳から<クレージー>だと言われました。クリントン大統領の時代ですから、首脳とは誰ですかね。
 では、橋本氏はクレージーか。
 といえば、橋本氏の構想は、戦後日本のクレージーさを典型的に示しただけ、ということでしょう。

 考えるべきは、なぜ戦後の日本は、クレージーを当たり前にしてしまったのか、です。
 つまり、国家の安全保障を外国に丸投げして、それで当然、と。

 原点は、吉田茂です。
 この人が、たった一人で、1951年、サンフランシスコで講和条約と日米安保条約に署名しました。(たった一人だったのは、後者です)。

 ジョン・ダワーが日本国の戦後の原点になった吉田茂の決断をこう述べています。

 「1951年9月、サンフランシスコで吉田茂を首席全権とする日本代表団は、48カ国との講和条約、1との軍事協定に調印した。軍事協定すなわちアメリカとの二国間安全保障条約は、講和条約の代償であった。講和条約は寛大で制限をともなわないものであったが、安全保障条約は対等国間の協定ではなかった。」『吉田茂とその時代・下』P.148

 こうして戦後の日本がスタートしました。
 私たちはこの延長線上にいます。
 枠組みは、まったく変っていません。

 日本人は、なぜこの事態に平気なのか。
 全員、見て見ぬふりをしてきた戦後の60年だったのか。

 というわけで、戦後日本の原点をつくった吉田茂は、そもそも何を考えて、このような事態でよし、としたのか。
 ここの解明がどうしても必要です。

 戦後日本人のノーテンキさの原点には何があるのか。
 いや、ノーテンキさとは、実は、自分で自分の国をどうすることもできないことの絶望ではないか、と私には思えてきました。
 ノーテンキさの背後には、深い絶望がある、と。

 そして不思議なのは、外国のどこかがこの状態を強要しているわけではないことです。
 日本人自身が、自分に絶望しているわけです。

 となると、単なるアホ、か?
 あ、アメリカの首脳さんと同じセリフが出てしまった!!

<太田>

 私の考えをみごとにパラフレーズしていただき、感謝します。
 なお、吉田茂が「そもそも何を考えて、このような事態でよし、としたのか」は、拙著『属国の防衛革命』の24〜29頁をご覧下さい。

<『属国の防衛革命』感想1>(2008.12.18)(http://sorceress.raindrop.jp/msgenq/msgenq.cgi

 金属バットで横殴り級の衝撃。
 よく「ひとと同じ事をしていては特筆されるべき結果は出せない。」と説教する本は沢山ある。
 しかしどのくらい違っていればいいかの度合いと律し方を教えてくれる本は少ない。
 数少ないうちの一冊がこの本だと思う。

<『属国の防衛革命』感想2>(2009.4.17)(同上)

 太田述正の名前をみて買ったけど、兵頭さんの文章も面白かった。

<太田>

 共著、お読みいただき、ありがとうございます。

 前回の「ディスカッション」で、ワインと寿命の記事に解説をつけるのを忘れました。
 日本人の場合は、(朝鮮半島の住民も同じらしいですが)欧米とは違って酒に弱い人が多く(コラム#3235)、こういう人が酒を飲むと食道癌を発症するする可能性が増大することを忘れてはなりません。
 「日本人の食道がんの約9割は扁平上皮がんというタイプのがんだ。この扁平上皮がんはアルコール摂取が原因で生じることが明らかになっている。」
http://cancernavi.nikkeibp.co.jp/report/080304_01.html

 本日の記事の紹介は1件です。
 
 世界不況の影響で欧州でも日本でも共産党が息を吹き返しているというのに、英国では全くそんな気配がないこと、更には、そもそも、マルクスやエンゲルスが後半生をロンドンで過ごしたにもかかわらず、英国に共産主義がまったく根付かなかったのはどうしてか、を説明する論考がガーディアンに出ました。
 マルクスなき後、エンゲルスが英国の左翼のリーダー格を次々と人格批判の対象としたせいで、共産主義自体が嫌われてしまったというのです。 
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/may/01/may-day-communism-marx
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太田述正コラム#3248(2009.5.1)
<新型インフルエンザ(その1)>

→非公開