太田述正コラム#2868(2008.10.23)
<フランスの成立(その3)>(2009.4.23公開)

  キ フランスの成立再論

 無政府状態から国家を救うどころか、ナポレオンは以前にも増して深く分裂した国家を後に残した。ブルターニュとヴォンデー(Vendee)は歴史家の中には「ジェノサイド」と呼ぶ者もいるほどのひどい目にあった。
 ニーム(Nimes)を中心とするガール(Gard)県は、フランスの北アイルランド(Ulster)とも言うべき場所だが、プロテスタントがカトリック教徒によって虐殺された。フランスのかなりの地域は山賊によって支配されていたし、大都会のいくつかは事実上独立国家のようなものだった。
 1789年の革命からずっと後になるまで、中央(Paris)は各州に文明開化的(civilising)影響を及ぼそうと苦闘を続けた。
 フランスの多くの地域で、20世紀になるまで、フランス語は少数派の言語であり続けた。スタンダール(Stendhal)が1830年代に書いているところによれば、「フランスの文明化された部分」はナント(Nantes)とディジョン(Dijon)を結ぶ線の北側だけであり、その他のすべては野蛮な地域だった。すなわち、「連中は魔女の存在を信じており、フランス語を読むこともしゃべることもできない」というわけだ。その後70年も経った時点でも、人気の観光ガイドブックはどれも、都会以外を訪問しようとする観光客達に、地元住民に話しかけるなという警告を記していた。ミシュランが1912年に、フランス全土に標識を立てるよう政府に求める請願を行ったのは、自動車を運転する人々が得体の知れない地域の種族と接触するのを避けることを可能にするためだった。
 とはいえ、中央(Paris)だって秩序正しさの範例とはおよそ言えたものではなかった。
 <例えば、1830年の革命で復活した立憲君主制の時代、>1839年から1848年の間、パリの街中では戦闘はなかったのだが、この程度でも、うらやむべきほど安定していた時代と言われたものだった。・・・

 普仏戦争における屈辱的な敗北とアルザス・ロレーヌ(Alsace-Lorrain)のドイツへの割譲の後、このことについての犯人捜しが行われた。そして、いくつかの贖罪の山羊が標的にされた。その内の一つが第二帝政の廷臣達だった。彼らこそフランスの男達の、ひいてはフランスそのものの士気を低下させたと断言するむきもあった。・・・
 それでも次第に、フランス国家なる大きな郷土(grande patrie)は、フランス人達が依然として最も愛着を抱き続けたところの個々の小さな郷土(petites patries )とを調和的に共存させることができるようになり、フランス語もまた、数多い地域的方言や言語に代わって公の場所における共通語になって行った。また、フランスの経済も、フランスの社会的構造に修復不可能な損害を与えることなく農業的、産業的近代化をなしとげた。・・・
 しかし、普仏戦争から何十年も経ってもフランスはなお1870年によって憑依されていた。そして1914年に戦争が再び避けられないと考えられるようになると、フランスの人々は大破局が繰り返されるのではないかという巨大な恐怖にとらわれた。
 マルヌの戦いは9月の初めの数日間続き、250,000人のフランス人が命を落とした。しかし、少なくともあの<普仏戦争が生み出した>幽霊は雲散霧消することになった。ドイツ軍の進撃は押しとどめられ、パリは救われたからだ。
 この時こそ、フランス人達が彼らのイデオロギー的な相違を克服した瞬間だった。あらゆるフランス人男性が軍役への呼びかけに応じ、150万人の犠牲者を出すという代償を支払って、第一次世界大戦の間ずっと、共和国の存続を可能ならしめ、もって共和国と国民を一体的存在たらしめたのだ。

3 終わりに

 フランス革命によって生まれたナショナリズムなる民主主義独裁のイデオロギーは、フランスの内外に大小の戦争を何度となく引き起こしながら、1世紀以上かけてフランスを統一することに成功した、ということがお分かりいただけたでしょうか。
 (イギリスは、最初から資本主義の社会であり、イギリス全体として早期から単一市場を形成しており、フランスのようにイデオロギーの力を借りて統一を図る必要などありませんでした。)
 ナショナリズムは、第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリーという帝国を解体するために米国によって用いられ、結果として欧州の情勢不安定化をもたらすこととなる一方、ナショナリズムに次いで欧州で生まれた民主主義独裁のイデオロギーである共産主義は、米国が期待したようにナショナリズムが共産主義への拮抗力として機能しなかったこともあって猛威をふるい、また、ナショナリズムそのものはファシズムへと突然変異し、世界中が不安定化することになるわけです。
 このすべてはフランスが生み出したナショナリズムが原因なのですから、恐ろしいことです。
 (ではなぜフランスでナショナリズムなるイデオロギーが生まれたのでしょうか。それは、少なくとも16〜17世紀のルイ13世の頃までさかのぼらなければなりません。コラム#129、162を参照してください。)

(完)