太田述正コラム#3118(2009.2.25)
<アカデミー賞報道(その2)>(2009.4.7公開))

 「・・・23日、インドのマンモハン・シン首相でさえ「スラムドッグ」に携わった人々と、・・・「微笑めピンキ」に携わった人々に関し、「この受賞者達はインドを誇りにも思わせた」と祝福した・・・。
 前回、インドがオスカーをとったのは、1982年のリチャード・アッテンボロー監督による伝記的映画の「ガンディー」での衣装賞だった。
 当時、多くのインド人達は、彼らの国父を演じた俳優が、よく知られたインド人俳優でないことにじれったい思いをした。ガンジー役を演じたベン・キングズレーは、部分的にインド人の血が入っているに過ぎない人物だったからだ。(<このほか、>1992年には、インド人の映画監督のサタジット・レイがその生涯の業績を称えられてオスカーを授与されている。)
 「スラムドッグ」はもちろんインド映画ではない。この映画は二つの米国の映画会社によって支援されたものだ。監督のダニー・ボイルは英国人だし、インド人外交官の本を翻案した脚本家もそうだし、映画の制作者もそうだ。
 しかし、「スラムドッグ」の出演者は、<インド系>英国人俳優のデヴ・パテル・・10台の主人公ジャマルを演じた・・等以外のほとんどがインド人だった。
 また、この映画はムンバイの街で撮影された。これは<撮影所内でつくられるところの、>大部分のインド映画とは違うが・・。そして、会話の約三分の一はヒンディー語で行われている。
 制作者にも何名もインド人が加わっている。助監督のラヴリーン・タンダン(Loveleen Tandan)、そしてもちろんのことだが、<A.R.>ラーマン(Rahman)氏だ。彼は、その深いインド的感覚で世界中の音楽から音楽作品を紡ぎ出す。
 一番重要なことは、「スラムドッグ」が古典的なボリウッドのおとぎ話の核心的主題・・元気のよい「負け犬(underdog)」、兄弟同士の競争、ゲットーの暴力団員達、そして助けを待ちわびている美しい女の子達・・を拾い上げていることだ。
 最近インドでこの映画が上映され始めると、小さな怒りの噴出が見られた。
 ・・・子供達が「僕たちを犬と呼ぶな」と書かれたプラカードを掲げてカプール<(後述)>の家の前に集まったのだ。
 週刊誌の「今日のインド(India Today)」の最近号で、・・・ある映画制作者は、この映画を「完璧なまでに意図的なインドの搾取である」と形容した。
 しかし・・・ある新聞コラムニストは、23日に自分のブログに、彼がこの映画が<アカデミー賞を>受賞したことと、かくも多くのインド人達が<表彰式の>舞台に上がった光景に「身震いした」と記した。「「ガンジー」が何年か前に最優秀映画賞をとった当時でさえ、我々はインドが受賞したなどとは全く思わなかった」と彼は記した。「私には、これがインドにとって突破口になるかどうか、また、我々がその後に続くことができるかどうかは分からない。しかしいくつかのことははっきりしている。<スラムドッグが百万長者になるTV番組の司会者役をこの映画で演じた>アニル・カプール(Anil Kapoor)は今や世界で最も有名なボリウッド俳優になった。あんないい奴なんだからこれはいいことだ。また、<この映画の音楽を作曲した>ラーマンについては、ワールドミュージックの主要なスターとしてしか今後彼を語ることはできなくなった」と。
 この映画の最も若いスター達である・・・<の二人>が在籍している慈善学校の校長の・・・<女史>は、「スラムドッグ」の物語は、彼女が会った何百人というインド人の子供達の姿を彷彿とさせると語った。「我々はこのような現実を無視するわけにはいかない。我々は現実を直視しなければならないのだ。インド人全体がね・・」と。英国人がこの映画を制作したことは彼女にとってはほとんどどうでもよいことだ。「これは本当のインドの物語なのよ」と・・・<彼女は>言う。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/02/24/world/asia/24india.html?ref=world&pagewanted=print

 「・・・革新的作曲家で作曲賞と主題歌賞で<今回>それぞれオスカーをとったところの、A.R.ラーマンの住んでいる町であるチェンナイ(マドラス)では、彼の家の反対側の通りの真ん中で、彼のファン達が、飴を配り、花火を打ち上げ、巨大なケーキカットを行った。
 「ジャイ・ホー(Jai Ho)」・・この意味は「褒め称えよ(Praise Be)」といったところだ・・という、ラーマンが作曲者として関わったこの映画の大当たりした主題歌が授賞式の日には一日中インドのTVチャンネルの多くから聞こえた。
 こいつはどでかい瞬間だ。ムンバイのテロ以来、あらゆる人がラーマンをインド人としてよりはイスラム教徒<・・彼はイスラム教に改宗した・・>と見るようになった」とムンバイから来た・・・は言う。「彼は政治家がやらねばならないことをやっている。人々を互いに遠ざけるのではなく結びつけている」と。
 しかし、<インドが>檜舞台に出たことをみんなが喜んでいるわけではない。「これはどはでなショーさ」と、この映画の多くの部分が撮影されたムンバイのスラム街である・・・地区でビデオゲーム店を経営している・・・は言う。「この・・・地区を歩き回り、ここにいる子供達と一日過ごせば、「スラムドッグ」がこの・・・地区を忠実に描写していないことが分かるだろう」と。
 西部の都市アハメダバードの人類学者の・・・は、この映画がインドの自己認識も、外の世界のインド認識も反映していないと語った。・・・
 「この映画は逆さにされ速度が速められたところのボリウッド神話のハリウッド版だ」と。・・・」
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-india-slumdog24-2009feb24,0,1305108,print.story

 インドの人々の欧米、就中旧宗主国英国制作の映画に対する屈折した気持ちは分かるような気がします。
 「八月十五夜の茶屋」
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD7058/comment.html
から比較的最近の「SAYURI」
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD7886/story.html
に至るまで、米国映画が描く日本や日本人の姿はグロ以外の何物でもありませんからね。
 同じ違和感を彼らは「スラムドッグ」に感じているのでしょう。
 もっとも、日本人は「SAYURI」だって、喜んで鑑賞しています。
 日本人には、現在の宗主国であるとはいえ、米国で制作された映画に対する屈折した感情なんてほとんどないからです。
 インド人が「スラムドッグ」を喜んで鑑賞できるようになるためには、インド映画が、とりわけボリウッド映画が、アカデミー賞をとる必要があるのでしょうね。

(続く)