太田述正コラム#3114(2009.2.23)
<「暴力」をめぐって(その2)>(2009.4.5公開)

 「暴力を醸成することに関する宗教の役割は、宗教的テロリズムの心理についての彼のこの本の中でジョーンズが見事にかつ科学的に詳細にわたって探索されている。
 これは、最近の現象であるということでは全くない。世界の全ての主要宗教について、その季節的な醜い変容が何世紀にもわたって何度も見られてきたところだ。
 我々は現在では既に、キリスト教を基本的に平和的なものと見ているけれど、それは十字軍、スペインの異端審問、17世紀における永遠に続くかと思われた諸戦争、そして現代の米国における反妊娠中絶の過激派達を生み出したのだった。
 この本が衝撃的に提示していることの一つは、世界の主要な宗教の原理主義者達が、世俗化し、反道徳的な今日の消費者社会に対してほとんど同様の批判意識を共有しているということだ。・・・
 宗教的テロリズムの特に甚だしい害毒は、その信者達に、彼らの敵を神を蔑ろにする異教徒達であると非人間化する一方で、彼らに自分達が何かより高次元の目的を追求していると思い込ませるところにある。・・・
 「宗教は他のイデオロギーとは違って、単に暴力を正当化するだけではない」とジョーンズは記す。「暴力とジェノサイドが宗教的至上命題になることとがあるのだ。いかなる政治的ないし法的権威が提供するものをも超える宇宙的ないし精神的意味を持つものとして」と。・・・」
 (ファイナンシャルタイムス前掲)

 「・・・私、ジョーンズは、法医学的心理学(forensic psychology)をやっているので、どんな個々のケースにおいても、暴力的行動を予想するなどということは、すこぶるつきに困難であってまずは成功する試しがないことを知っている。・・・
 我々が気をつけるべきところの、警告を発する徴(しるし)的なものがないわけではない。しかし、これらの徴は、決して決定的なものでも自動予想器でもないのだ。・・・
 <また、>理解するか行動するかどちらかを選ばなければならない、両方やることは不可能だ、という観念は、ほとんど病理的であり、テロリストの思い込みの一つであるところの二値的思考法であると言える。・・・
 <テロリスト達の>行為を理解することは、いかなる意味においてもそれを許すということではない。行為を説明することはそれを宥恕することを全く意味しないのだ。
 もっとも、ここにはもっと深い含意がある。他者・・それがあなたを破滅させようとする他者であれ・・を理解することは彼らをより人間的に見せることは確かだ。
だから、理解することは、政治家や政策立案者達の一部がテロリストと戦うために必要だと感じているところの、他者の悪魔視(demonaization)を不可能にする場合があるのだ。
 他者の悪魔視は、宗教的動機に基づくテロリストの武器庫における主要な武器だ。
 テロリズムに対抗するためだからと言って、かくも心理的かつ精神的に高く付く戦術に我々もまた訴えなければならないものだろうか。
 それとも我々は、宗教によって動機づけられたテロリスト達に、彼らのようにならなくても対抗できるのだろうか。」
http://www.bloodthatcriesout.com/2008.07.01_arch.html

 ジョーンズが、主要な宗教と言うとき、ヒンズー教はともかく、仏教までもその中に入っているようですが、それはおかしい。この関連で、彼がオウム真理教を仏教の分派と考えているのだとすれば、それも違うだろうと言いたくなります。
 また、宗教と他のイデオロギーは違うというジョーンズの見解にも首をかしげざるをえません。
 マルクスレーニン主義者やファシストが20世紀に人類にもたらした災厄は、アブラハム系一神教の宗教原理主義者が人類に累次にわたってもたらした2000年に及ぶ災厄に優とも劣らないものがあるからです。

4 終わりに

 極めつきに非暴力的な戦後日本に、テロ集団のオウム真理教が出現した、というのですから、日本の人文社会科学者は、もっと暴力について研究してしかるべきでしょう。
 政治家や官僚のみならず、日本の人文社会科学者の多くも、一体何が楽しくて、無為の人生を生きているのでしょうか。

(完)