太田述正コラム#3110(2009.2.21)
<信頼の帝国(その2)>(2009.4.3公開)

 「・・・<必ずしもそのようにマッデンが言っているというわけではないが、>ローマの軍事力は限界を超えて展開していた(overextended)わけではないし、「財政的野放図」と言っても、我々が理解するような意味での財政政策なんてローマは持っていなかったというだけのことだ。・・・
 マッデンに言わせれば、帝国は人間の歴史に何度も登場した。
 野心満々の軍閥が効果的な軍事力をつくりあげ、隣人達を攻撃し、彼らから貢ぎ物を集める。
 この種の帝国は続いている限りにおいては強力に見えるが長続きすることは滅多にない。この種の帝国は搾取するために存在している。これら帝国に対する忠誠心など誰も持っていない。
 アッシリアからナチスに至るまではこういう話の繰り返しだ。・・・
 マッデンは、もう一つのアプローチがあると言い出す。
 ローマ人達は、ローマが同輩中の一番であるに過ぎないところの、イタリアの独立した都市諸国家の同盟と連合(association)を率いたのだ。
 この同盟は、ローマの権力や奴隷労働力獲得に向けての強欲を充たすためのものではなく、純粋にローマの安全保障上の必要性に応えるためのものだった。・・・
 襲撃してきたケルト人達によってローマが略奪されるという紀元前390年の深刻なトラウマにより、ローマの指導者達は軍事組織とその統率について熟考しなければならないこととなった。こうして彼らは、ローマの隣人達の軍隊よりももっと一貫して戦いに勝利することができる新しい軍事形態を創り出すに至った。
 しかし、初期のローマ人達は、初期の米国人達同様、極めて孤立主義的な人々だった。
 その複雑な政治制度と極めて地方的な宗教に忙殺され、ローマ人達は、隣人達を敗北に追い込んだ後にもこの隣人達を統治することに何の関心も持たなかった。
 その代わり、彼らはこの隣人達を同盟者にした。
 ローマ人達はこの新しい同盟者達を守ると約束し、その見返りとして、新しい同盟者達に、求められた時に部隊を提供することを誓約させた。・・・
 問題は、ローマがこのように依存されたことで、絶えることなく新しい安全保障上の挑戦が出来し続けたことだ。
 自分達自身の地平を安全にするために隣人達を征服するや、ローマ人達は今度はこの新しい友人達を脅威から守ることにコミットしている自分達を発見する、というわけだ。
 新しいコミットメントはローマ人達を新しい戦争へと導き、それが今度は新しい敵を敗北に追い込むこととなり、更にこれがこの新しい敵を同盟者へと誘い、こうして、ローマ人達は同心円状に敵を発見することを繰り返して行く。
 このようなシステムの論理が、やがてローマ人達をして彼らのリーダーシップの下での全イタリア半島の統一へと導き、紀元前300年頃これが実現する。
 しかし、この統一イタリアにはそれぞれが主権を持ち、独自の制度を持ち、自分の軍隊を持っていたところの数多の政府が並立していた。
 マッデンは、紀元前200年頃のイタリアは1950年以降のNATOに非常に良く似ていると指摘する。
 同盟諸国のうちの一国は最も強力で最も影響力がある。しかし、この力は恐怖に立脚しているわけではない。それは指導的な同盟国の信頼(credibility)に立脚していた。
 他の同盟諸国は、指導的同盟国が必要が生じた時に彼らを守ってくれると信じていただけでなく、その力を責任ある形で全員の利益になるように行使してくれるものと信じていた。
 彼らは征服の帝国ではなく、信頼(trust)の帝国を築いたのだ。そして、マッデンに言わせれば、これこそが米国がやったことでもあるのだ。
 このローマのシステムは、紀元前200年代の終わりに厳しい試練に遭遇した。カルタゴの将軍ハンニバルがイタリア半島に侵攻したのだ。
 ハンニバルは史上最も偉大な指揮官の一人であり、彼のローマに対する戦略は、基本的にアレキサンダー大王のペルシャに対するそれと同じだった。すなわち、敵たる帝国の領域内に軍隊を突入させ、戦闘で1つ2つ勝利し、帝国の従属民達にもはや帝国の力を恐れなくてもよいことを示し、この帝国ががらがらと音を立てて瓦解するのを見守る、というものだった。
 この戦略はアレキサンダーの場合はうまく行った。しかし、ハンニバルの場合は失敗に終わった。
 イタリア半島内でローマ軍に連勝に次ぐ連勝を重ねたというのに、ハンニバルはローマの同盟を突き崩すことができなかった。彼がイタリアのローマの同盟諸都市を次々に略奪してイタリア人達にローマよりも彼を恐れさせようとした後においても、この同盟は揺るぐことはなかった。
 ハンニバルにとってやっかいだったのは、イタリア人達はローマ人達を恐れてはいなかったことだ。彼らは彼らを信頼しており、彼らはローマ人達との取引の方を、ハンニバルとカルタゴへの隷属よりも、そして何と彼ら自身の独立の回復よりも好んだのだ。
 というのは、独立の回復とは、個々のイタリアの都市が恒常的に他の特定の都市ないし他の全都市との戦争に備えなければならにという状況への復帰を意味したからだ。・・・ 紀元前290年から同146年の間のローマの歴史は、米国の1890年から1990年までの歴史と極めて似通った足跡をたどった。
 すなわち、自らの「半球」において支配的地位(dominant power)を確保した後、二つの超大国の一つとなり、最終的には知られていた限りの世界における覇権国の地位を占めたのだ。・・・
 ローマの覇権(hegemony)は、米国の力のように、相当な不満を呼び起こした。ギリシャ語で書かれた反ローマの夥しい文献が存在するが、これは欧州の諸言語で書かれた夥しい反米文書が存在することに比定しうる。
 しかしマッデンは主張する。信頼の度合いは、不満家が何を言うかではなく、彼らが何をやるかで判定しなければならないと。・・・
 瞠目すべきことは、このような帝国も最終的には没落するということではない。あらゆる人間の社会は最終的には没落する。瞠目すべきは、そもそもこのような帝国が出現したところにある。
 信用の帝国が確立するにつれて、マッデンによれば、同盟者達は中央における意思決定に参加するより大きな権利を求めるようになった。
 ローマは紀元前90年代にそのイタリアの同盟者達からの猛烈な叛乱に直面した。
 同盟者達は独立を要求したのではない。彼らはローマ市民権を要求したのだ。
 彼らはこの戦争に敗北したが、要求は認められた。<ローマの初代>皇帝アウグストゥスがローマではないイタリアの父親の息子であったことを思い出すだけでも衝撃的なはずだ。
 ローマ市民権は、次第により広く与えられるようになり、紀元後200年代までには、奴隷以外の全員に与えられるに至った。・・・」
http://www.newmajority.com/Show_Book_Review.aspx?ID=4bdad871-33e9-4980-8573-ed95da196306

 「・・・マッデンは帝国には三つのタイプがあるという。征服の帝国(本の中ではほとんど扱われていない)、商業の帝国(19世紀の英国のそれのようなもの)、そして信頼の帝国(ローマと米国)だ。
 征服の帝国と商業の帝国は元来からして外向的だ。これらの帝国はそれぞれ資源と市場を求め<て外に出>る。
 これに対し、信頼の帝国は、マッデンの分析によれば、ほって置かれることを望んでいるだけなのだ。
 信頼の帝国は、国土・・・の安全保障のために必要な場合においてもっぱら海外向けの営みに乗り出す。信頼の帝国は異った動機を持ち行動を行い、長く続く潜在性を有する、とマッデンは主張する。
 ローマ帝国は不可避的に瓦解するまで数百年続いた。
 米国だって、もし、外国勢力に米国の動機に対する信頼をもたらしたところの諸原則に今後とも忠実でありさえすれば、米国の時代がもうまもなく終わると考えるべき特段の理由はないと。・・・」
http://mvreading.blogspot.com/2009/01/empires-of-trust.html

3 終わりに

 マッデンのローマ帝国の分析には傾聴に値するものがありますが、彼が米国をローマに比定したのはいただけません。
 いちいちコラム番号はあげませんが、米国の領土拡大は、キリスト教原理主義的/アングロサクソン的使命感とそのコインの裏面たる有色人種差別意識とを原動力とするものであり、安全保障を原動力とするものではないからです。
 19世紀から20世紀の変わり目に、米国が領土拡大を止め、その代わり軍事基地を海外に展開する形の帝国主義へと変貌したように見えるのは、単に、それ以上領土拡大すると有色人種を抱え込みすぎるようになる、と判断したからに他なりません。
 してみると、米国の帝国は、それ自体が空前の新たな帝国のタイプであると言うべきでしょう。
 私には、安全保障上の理由で勢力を拡張したという意味でローマ帝国に比定されるべき存在は、むしろ戦前の日本帝国であるように思われます。
 その日本帝国が短期間で瓦解してしまったのは、ローマ帝国のような信頼を構築できなかったためなのか、独特の帝国たる米国と征服の帝国たるロシアの挟撃にあったためか、はたまたその両方の理由によるのか、更なる考察が必要でしょう。
 皆さんはどう思われますか。

(完)