太田述正コラム#3040(2009.1.17)
<改めて日本の主要マスコミについて思う>(2009.3.1公開))

1 始めに

 本日、ニューヨークタイムスとガーディアンの記事を読んで、改めて日本の主要マスコミのだらしなさを痛感しました。
 どういうことか、お話ししましょう。

2 ニューヨークタイムスのオオニシ記者の記事

 「・・・<自民>党の中のすべてが<野中広務のような>部落出身者を総裁として受け入れる心の準備ができているわけではない。
 少なくとも一人、現在首相であるところの麻生太郎は、彼の緊密な仲間達との2001年の私的会合で自分の見解を明らかにしている。
 「我々は本当にこんな連中を日本の指導者にさせるのか」と述べたと、この会合に出席していた亀井久興は言う。・・・
 2年後、引退する寸前に野中氏は自民党の10数名の最高指導者達の前で麻生氏に詰め寄った。あんなことを言ったアンタを「絶対に許さない」と。
 そこにいた何人かの人々によれば、麻生氏は何も言わなかったという。
 2005年になってようやく、一人の野党の議員が国会で麻生氏にこの発言について質問した。その時、麻生氏は、「私は絶対にそんなこと言ってません」と答えた。
 <本件で>麻生氏へのインタビューを求めたけれど受けてもらえなかった。その代わり、<官邸の>スポークスマンのサカシタ・オサムは麻生氏の国会での上記答弁を引用した。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/01/16/world/asia/16outcasts.html?ref=world&pagewanted=print
(1月17日アクセス。以下同じ)

 私は、こんな話は、2005年にも気付かなかったし、麻生氏が首相になってから主要紙の電子版で読んだ記憶もありません。
 いくらあの悪名高いオオニシ記者の記事だと言っても、恐らく麻生氏が上記のような、考えられないほどひどい発言をしたことは間違いないのでしょう。

3 村上龍の小説に対するガーディアン書評

 「・・・<村上龍の>『オーディション』<(英訳版)>の一番大きな問題は、<準主人公と言うべき、主人公青山の愛人となる>山崎を存在感のある人物であると受け止め難いことだ。
 というのは、彼女は天使と怪物という二つの顔しか我々に見せないからだ。だから我々は、彼女が受けた虐待が青山が最終的に体験するところとなる彼女の極端な精神病的行動の原因となったことについて、実感することなど不可能なのだ。
 このような意味において、この小説は、女性の性(sexuality)に対する男性の恐怖の新たなる寓話となってしまっている。
 フェミニズムが、欧米におけるように、日本の社会には強く浸透してはいないことは明白だ。だから、我々は『オーディション』がいかなる文化的背景の下で生まれたかを理解はするが、英語を話す男性の作家がほとんどいかなる小説のジャンルであれ、山崎のような女性の人物を登場させることはほとんど考えられないだろう。・・・」
http://www.guardian.co.uk/books/2009/jan/17/audition-ryu-murakami-irvine-welsh

 私は、村上の小説は一つも読んだことはないのですが、彼のメルマガは講読しています。
 もっとも、最近では、このメルマガで私が読んでいるのは、米国在住とオランダ在住のお二人のコラムだけですが・・。
 このメルマガを通じて私が村上について感じているのは、彼が、現在の日本を忠実に写す鏡としての類い希な才能のある作家だということです。
 そもそもこのメルマガのメインは、経済問題についての特集ですが、上記米国在住者は野球大好きの軍事嫌い人間であり、オランダ在住者は国連職員であってその職業柄当然と言うべきか国連礼賛者です。また、やはりコラムに寄稿している中共在住者(女性)は、フランス人から日本は米国の属国だと言われて、ただ反発することしかできなかった人物です。
 村上は、自分のメルマガを経済をメインにするものにしただけでなく、このメルマガへのコラム寄稿者を選ぶ際にも、意識的かどうかはともかく、(経済優先軍事ネグレクトの)の吉田ドクトリン信奉者であるかどうかをメルクマールにしていると私は思うのです。
 その村上が、自作の小説の中で上記のような女性像を描いているとすれば、それは的確に日本の現在の典型的女性像を模したものであるに違いないのです。
 だとすると、先進国としては考えられないほどの男女差別社会の中にあって、日本の典型的女性は、男性を自分の金銭的、あるいは性的欲望等の欲望を充足する手段としか見ることができず、かかる欲望を充足してくれる男性には天使として、そして充足してくれない(と瀬踏みをした)男性には怪物として、2値的にしか接することしかできない、ということなのではないかと思うのです。
 ぞっとする話じゃありませんか。

4 感想

 この二つの記事を読んで、急に気になったのが、産経新聞の(4ヶ月前まで)北京特派員で現在総理番の福島香織記者の、麻生氏についての最近の記事(ブログ)です。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081128/plc0811280112000-n1.htm
の方はまだよいとしても、
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090117/stt0901170020000-n1.htm
の方はいただけません。

 「・・・麻生さん自身が、人気取りを潔しと思っていないフシがある。媚びないというのはホメ言葉だが、むしろ、嫌われてもかまわん、とおもって、言葉を選ばない発言をしているのではないか、と疑う場面を、ときどき目の当たりにしている。それは見る人によっては傲慢に映る。・・・
 わざと悪ぶるのが、麻生首相の「キャラ」(キャラクター)だそうだが、悪ぶっていて実はイイヒト、というのは近しい人には理解されても大衆には伝わらない。政治家というのが人気商売だとすれば、それはまずいだろう。・・・
 しかし、政治家も新聞も、そうやって有権者、読者の方ばかりみて、それを自分の行動や発言のスタンダードにしていくと、次第に個性というか骨がなくなっていく感覚もしているのだな、実は。・・・
 本当は 政治家やメディアも、おのれの信念や哲学、矜恃を批判を恐れずに自らの行動や発言の規準としていくのが理想で、そういうことを「分かってくれる」人こそ、真の支持者であり読者なのだろうが。でも、テレビやネットのチラ見で膨大な情報を摂取して消化不良のままものごとを判断しがちな匿名という名の大衆が、 びっくりするほど影響力をもつ今の日本で、そういう「傲慢さ」を貫くのはものすごく難しい。
 日本は、政治家もメディアも育ちにくい国ではないかと、ふと思ったきょうこのごろ。」

 総理番だから手加減せざるを得ないというのは分からないでもありませんが、総理番なら当然、冒頭でご紹介した麻生発言のことを福島記者は知っているはずです。
 それにしては、ちょっと麻生評が甘っちょろすぎると思いませんか?
 総理番っていうのは、要するに記者クラブ制度の官邸版です。
 記者クラブ制度という政官と主要マスコミの癒着構造の下で、いかに日本の主要マスコミが堕落しているか、お分かりか。
 もう一つ思ったのは、現在の日本の最大の恥部の一つである構造的女性差別問題についても、福島記者は女性であるにもかかわらず、恐らく意識的無意識的に記事にしなかったであろうし、今後とも記事にしないだろうということです。
 主要マスコミが日本についての事実を記事にしないのですから、日本がなかなか変わり得ないわけです。