太田述正コラム#3123(2009.2.28)
<皆さんとディスカッション(続x412)>

<ドイツゲーマー>

0前置き&参考文献

しばらく不在にしていました。約束通り形式的責任論の新しい論点を紹介したいと思います。簡単になってしまいますが、お許しください。

なお、先ほど不在中のコラムのうち「ディスカッション」だけ斜め読みしたのですが、コラム#3093(2009.2.13)におけるNelson さんのコメントのうち「形式的議論」の部分は、メルクマール?とか、おっしゃることがよくわかりませんでした。「真実を*共に*探求」という表現も私にはピンと来ません。真実を知るにはpolemicsが大切ではないかと。
それから、

>残念ながら、その割に、おっしゃるのは「2つの聖断が重要な局面において天皇の意思が通っていた証拠だ」というご指摘だけで何もないし、

とお書きですが、コラム#3079(2009.2.6)での被引用部において、天皇自身の発言を含め、いくつか挙げてますよ。

「実質的議論」の部分も、ご質問の意図がよくつかめませんが、1の「「重要な局面」とは何か?」については、一般には、国家の行く末・命運を左右するような局面、でいいのでは?
 例えば、和平交渉とか開戦とかその他戦時の安全保障上の決定の多くはその範疇に入るでしょう。ただし、左翼の法学者が言っている「重要な局面」とは、まさにその「2つの聖断」の局面のことをさしています。通常の重要局面では臣下がよきにはからってくれるが、例外的緊急時にこそ本質が立ち現れる、と言えばいいか…
 次の記述は参考になるでしょうか。

「通常の国家意思決定システムが不完全にしか機能しない時に、天皇という機関が国家意思の最終決定システムとしての役割を果たした。(…)究極の危機管理システムであったことも示している。(A: p. 252)」

もう1つの方は…さんざん書いたことなので…河野先生の無能社長の例でご理解いただけないということですか?それとも「可能性がある」という部分を見落とされてる?

>(皇族方もおられましたが・・・)軍人のほとんどは国民(臣民)であったので、「国民サイド」といったのですよ。

以下述べる1bをご参照ください。

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A 歴史科学協議会−編『天皇・天皇制をよむ』東京大学出版会
B 藤田久一『戦争犯罪とは何か』岩波新書
C 原武史『昭和天皇』岩波新書

Aについては以下も参照:
http://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/200901010000/

Cについては以下も参照:
http://randomkobe.cocolog-nifty.com/center/2009/01/post-92f5.html
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1形式的責任論(A: p. 250-251)

1a<天皇無答責論>(帝国憲法第3条より)への反論:

本来の君主無答責は、西欧的な立憲君主制(実質的国民主権と両立可能)を前提としたもの。よって、大日本帝国憲法における天皇に適用するのは無理筋。

1b<輔弼機関答責論>(帝国憲法第55条より)への反論:

軍事面については内閣の輔弼と無関係(統帥権の独立)。軍事命令の発令者は天皇で、天皇に直隷する軍令機関のみが輔翼。つまり、形式上、天皇に全責任があった。

なお、1については、これに加え、国際法の観点からの反論があります。
 二人の国際法専門家の共通意見では、「(国内の)憲法上の君主無答責の規定によって戦争犯罪を免責することは、国際法上は不可能」とのことです。つまり、君主無答責の規定から、国内法廷に引っぱり出されることはないが、国際法廷が設置されれば、憲法上の君主無答責の規定は全く意味がなく、国際法的には従わざるをえないのだとか。

その契機は、一次大戦後のカイゼルの戦争責任についての議論でした。
 ナポレオンの時代は、戦争は合法(いわゆる無差別戦争観の時代)で、当然その戦争責任が問われることはなかったのに対し、カイゼル(ウィルヘルム二世)の場合は、戦争違法化への動きが始まっていたため、その戦争責任が問題にされました。休戦条約調印後の平和予備会議にて、戦争責任の審理のための委員会が設置されたのですが、その報告書に次のような件があるそうです。

「委員会は、その責任が正式に構成された裁判所の前で確定されたとき、いかに上位の地位の者であれ、いかなる事情のもとでも責任を免れさせるべき理由はないことをはっきり表明しようとした。これは国家元首の場合にさえ及ぶ。これには、国家主権者の免除の主張、とくに不可侵権の主張にもとづいて反対の議論が提起された。しかし、この特権は、それが認められても、国内法上の実際的便宜のひとつにすぎず、基本的なものではない。たとえいくつかの国では主権者が自国の国内裁判所において訴追を免除れるとしても、国際的観点からする立場はまったく異なる。(B: p. 34)」

反対意見はもちろんありました。結局は、戦争責任を定めた国際法の未整備のため、カイゼルはオランダから引き渡されずにすんだとのことです。

ちなみに、天皇の場合、政治的取引によって最終的に裁判を免れているので、裁判があったらどうなっていたかはわからないが、その場合は、戦争にまつわる意思決定にどの程度実質的に関与していたかで決まっただろう、と二人とも言っていました。

2実質的責任論

目に留まったものをざっとご紹介します。

「(…諸研究の蓄積・進展によって…)<戦争責任>否定論は、すくなくとも学説レベルでは、かなり克服されたといってよい。昭和天皇は、国家意思形成、とりわけ軍事戦略・作戦の決定に際して、しばしば重大な役割を果たしてきた。昭和天皇は、(…)最高レベルの軍事情報を毎日「戦況上奏」として提供されていた(…)「御下問」「御言葉」を通じて国家意思形成に深くかかわった。(…)統帥部の方針や具体化の方法をかならずしも無条件で認めていたわけではない。(A: p. 251-252)」

「(奉勅命令の発令のほか…)戦略作戦指導については、昭和天皇の場合、平時においても「陸海軍年度作戦計画」が天皇の発言によって変更された事例が確認されている。また、戦時においても、昭和天皇が、一九四二年八月、ガダルカナル島をめぐる攻防戦が始まるころから、きわめて精力的に作戦に介入したことが知られている。たとえば、ラバウル・ソロモン諸島方面への陸軍航空隊の派遣は天皇が再三要求し実現した。(A: p. 236)」

 十一月五日時点ではっきり開戦を決意していた(C: p. 124)
東條首相から見た開戦時の様子(C: p. 125)
戦勝気分に酔いしれていた(C: p. 126-127)
近衛や高松宮の戦争終結提案を拒否(C: p. 143)
戦争継続(鈴木貫太郎内閣成立時!)への強い意思と作戦への容喙(C: p. 145)

戦後についてもいろいろありそう…(C: p. 172)

以上です。

<太田>

 Ms.Nelson、よもやリタイアされたわけではないと思います・・海賊のコラム待ってますよ!・・が、最近音沙汰がないこともあり、再度私が彼女の代理を務めさせていただきます。

>本来の君主無答責は、西欧的な立憲君主制(実質的国民主権と両立可能)を前提としたもの。よって、大日本帝国憲法における天皇に適用するのは無理筋。

 「実質的国民主権と両立<した>西欧的な立憲君主制」の下では、無条件に「君主無答責」なのではないですか。ぜひお調べいただきたいと思います。
 もしそうであるならば、大日本帝国憲法に規範性がなく、あるいは同憲法が変遷し、大正デモクラシー期以降、日本においても「実質的国民主権と両立<した>西欧的な立憲君主制」が成立していたことを示すことができれば、「天皇無答責」ということになるわけですね。
 また、私の主張であるところの、1930年代からの有事における挙国一致内閣制への移行が「実質的国民主権と両立<した>西欧的な立憲君主制」の「実質的国民主権と両立<しない>西欧的な立憲君主制」への回帰ではなかった・・実際例えば衆議院の優位が維持されていた?・・ことを証明すれば、戦前の昭和天皇は、常に「実質的国民主権と両立<した>西欧的な立憲君主制」の下にあった、ということになります。

 なお、国際法、国際法とおっしゃいますが、「実質的国民主権と両立<しない>西欧的な立憲君主制」の下での君主の政治的な戦争責任を問うた先例すら存在しないようですから、「実質的国民主権と両立<した>西欧的な立憲君主制」の下で君主の政治的な戦争責任があるとする国際法など、戦前どころか、現在ですら存在しないのではありませんか。
 お確かめいただければ幸いです。

>軍事面については内閣の輔弼と無関係(統帥権の独立)。軍事命令の発令者は天皇で、天皇に直隷する軍令機関のみが輔翼。つまり、形式上、天皇に全責任があった。

 コラム#35で「そもそも帝国憲法について、いわゆる統帥権の独立以外の解釈の余地がなかったのか個人的には疑問に思っている。仮に統帥権が独立していたとしても、政府には軍部に対する予算統制権(行政府及び議会)、立法権(行政府及び議会)や人事権(行政府)があったことを忘れてはならない。」と申し上げたことがあります。
 
 帝国憲法には、第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあるだけです。
 では、一体関係法令はどうなっていたのでしょうか。

 「参謀総長の統帥上の命令も天皇から了解を得た動員・開進計画の範囲を越えると奉勅命令「勅命にもとづいた参謀総長の命令」が必要だった。ただ作戦計画は野戦軍司令官が命令するのが建前である。そして動員・開進計画は陸軍予備経費を越えると臨時予算となり議会の承認も必要である。すなわち戦前の軍事行動は参謀総長が独走したものではなく、必ず議会の承認があったことを忘れてはならない。・・・そして衆議院は男子のみに限定された普通選挙が昭和以降の選挙では実施されていた・・・。 更に内閣官制では第7条が関係する。 「事の軍機軍令ニ係ワリ奏上スルモノハ天皇ノ旨ニヨリ之ヲ内閣ニ下付セラルルノ件ヲ除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣総理大臣ニ報告スヘシ」 ・・・すなわち参謀総長は陸軍大臣を通じて戦時でも作戦を首相に報告せねばならないのだ。・・・つまり戦時の統帥権の独立すら日本には完全には存在していなかった。」
 にもかかわらず、「東條英機や近衛文麿が俗流統帥<権独立>論を信じていた<こともあり、>太平洋戦争勃発のさいは、「戦争開始」について軍令参謀本部長が提案した。」という運用が有事下にとられるに至っていました。
 すなわち、いわゆる「統帥権の独立」とは下克上的な法令違反が横行していたこの時代の一つの現れだったのであり、近衛、東條は首相当時にこの種の法令違反を黙認した政治的責任を問われなければならないのです。
 いずれにせよ、開戦の決定は内閣の輔弼の下でなされたことを忘れてはなりません。
 (以上、「」内は以下による。
http://ww1.m78.com/topix-2/meiji%20constitution.html

 さて、帝国憲法第10条に「大本営の補翼を以て統帥権を行ふ」とあるので、天皇は、内閣の輔弼や帝国議会の協賛を受け、政治責任を負わない(=無答責である)ことと同様、作戦についての責任・・戦争犯罪(当時の戦時国際法違反)についての責任を含む・・も負わないと解すべきでしょう。
 そうだとすれば、

>「(奉勅命令の発令のほか…)戦略作戦指導については、昭和天皇の場合、平時においても「陸海軍年度作戦計画」が天皇の発言によって変更された事例が確認されている。また、戦時においても、昭和天皇が、一九四二年八月、ガダルカナル島をめぐる攻防戦が始まるころから、きわめて精力的に作戦に介入したことが知られている。たとえば、ラバウル・ソロモン諸島方面への陸軍航空隊の派遣は天皇が再三要求し実現した。・・・」

といった言動は、一有力有識者としての昭和天皇の言動に過ぎないと見るべきでしょう。
 作戦は、政治とは本来無関係な分野なので、昭和天皇としてもより自由な言動を行いがちであった、ということはあるでしょうが・・。
 いずれにせよ、我々が論じているのは、あくまでも昭和天皇の政治的責任の有無であって、統帥(作戦)は政治ではない以上、この種の話は、それが事実であろうとなかろうと、イレレバントなのではないでしょうか。

>十一月五日時点ではっきり開戦を決意していた・・・東條首相から見た開戦時の様子・・・ 戦勝気分に酔いしれていた・・・近衛や高松宮の戦争終結提案を拒否・・・戦争継続(鈴木貫太郎内閣成立時!)への強い意思と作戦への容喙

などのお示しの昭和天皇の言動については、開戦についても終戦についても、輔弼(決定と言い換えてもよい)したのは内閣なのですから、同天皇の政治的責任につながるようなものではありえません。
 なお、「近衛や高松宮の戦争終結提案を拒否」については、その時の近衛も、また高松宮はもちろんのこと、首相でもないわけですから、そんな人物のいわば私的な提案を天皇が相手にしなかったのは当然です。

 ところで、私はこれまであえて、1928年の張作霖爆殺事件における昭和天皇の対応
http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_6b40.html
には触れずに来たのですが、この話、お時間がある時に読者のために整理していただけませんか。
 もちろん、ご自身のご所見を加えていただいて結構です。

<ηζα>(http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1196337365/l50x

さすがだねえ、イギリス人。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/feb/05/race-immigration

<太田>

 この論説見落としてたなあ。サンキュー。
 この論説が引きおこした論争まで読む時間がないけど、英国人にとっての外国人(移民の)序列は、Americans、Other white English-speaking nations、/Northern European non-English speakers、Southern European non-English speakers、Irish、Eastern Europeans、East Asians、South Asians (from non-Muslim countries)、Latin Americans、/Caribbeans、Africans、/Arabs, and Asians from Muslim countries だ、というわけね。おおむねこういったところだろうね。
 /は私が勝手に入れたんだけど、私自身は、英国人(正確にはイギリス人)は、自分達を頂点として、外国人をこんな風に、アングロサクソン、野蛮人、アンタッチャブル、敵の4つに区分けしていると見ているところです。

<michisuzu>

 小沢さんの第7艦隊発言をここぞとばかり批判して得点にしようとした自民党のお歴々は国民が全く興味を示さないのにがっくりでしょうね。
 国民の方は米軍にこれ以上、お金をつぎ込むことには否定的なのに気が付いていないのでしょうね。
 自分たち(自民党)が日本を守ってきたって言いたいのかなあ?

<太田>

 michisuzuちゃん、「国民の方は米軍にこれ以上、お金をつぎ込むことには否定的」を裏付ける何らかの典拠をつける労をどうして惜しむの?
 そうすりゃいい投稿になるのに。
 よっぽど勉強嫌いなんだね。

<少数株主>

 よく麻生総理、マスコミをはじめ、沢山の人が民主党などには政権担当能力がないというけれど、政権担当能力とはどういう事でしょうか教えてください。

<太田>

 太田コラムの読者であれば、自民党が自分達には政権担当能力がある、と言っているけれど、その実態は、宗主国米国に外交・安全保障の基本を丸投げし、あとの雑事は官僚機構に丸投げしているだけだ、ということがお分かりの方が大部分でしょう。
 こんなこと議論するのもばかばかしいと思います。
 なお、美濃口坦氏が、中川前財務相の記者会見等にからめて、「日本の政治家の発言は、情報価値に乏しい「犬が西向きゃ尾は東」か、それとも「失言」か、という二つのケースしかないように思われることがある。日本には政治家に対して絶対的な不信を抱く人が少なくないが、このような政治文化と無関係でない。」と言っています(「萬晩報」 0090228)が、これは政治文化の問題ではありません。
 吉田ドクトリン下の日本には中央における「政治」がそもそも存在しない、と考えるべきなのです。

 記事です。
 讀賣が産経並のダメ社説を掲げました。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090227-OYT1T01147.htm
 朝日は少しマシで、社説で小沢発言に及び腰の批判を行いました。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 ちょっと補足すると、在日米空軍と海兵隊が日本列島から撤退したとしても、憲法の政府解釈を変更し、自衛隊の調達装備等の価格を引き下げ、自衛隊の兵力構成をより攻守のバランスのとれたものに変えることで、現行の防衛費を大幅に増やすことなく、その穴を埋めることができますよ。
 しかし、肝心の小沢が発言をトーンダウンしちゃいましたね。
 「(自衛隊が)他国の有事に参加するなどということはあり得ない。われわれの安全保障に対する原則は突然、変わるわけがない」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009022802000105.html

 やはり野に置けレンゲ草か。
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太田述正コラム#3124(2009.2.28)
<イスラム・中世のイギリス・中世の欧州(その1)>

→非公開