太田述正コラム#2685(2008.7.23)
<部落・在日問題>(2009.1.29公開)

1 始めに

 太田述正×兵頭二十八『属国の防衛革命』(光人社)に掲載予定でゲラにも入っていた、部落・在日問題に触れた部分が、光人社が専門家と相談した結果、部落・在日関係者から強い批判を招く懼れがあるとして、削除されることになりました。
 そこで、その部分をコラムとして配信させていただくことにしました。
 もとより、上記共著の私の担当部分は、過去コラムの中から兵頭氏側でトピックを選んだ上で、編纂されたものであり、すべてネット上では公開されています。
 しかし、現時点では、依然、ネットよりも紙の媒体の方がはるかに重みがあるということなのでしょう。

2 削除された部分

 日本における代表的な「差別」である部落「差別」と朝鮮人(在日)「差別」は、米国における黒人差別や黄色人差別、あるいはフランス等西欧諸国におけるユダヤ人差別やイスラム教徒に対する差別に比べて、相対的に、歴史(根)が浅く、差別の態様と程度も甚だしくない、という点で様相をかなり異にするものだ。日本は英国と並んで世界で最も差別の少ない国の一つといえよう。
 しかも最近では、部落民あるいは在日に「対する」差別が問題というより、部落民にあっては1960年代末以降、そして在日にあっては戦後、部落民や在日に「よる」それ以外の人々に対する差別が問題となっている、という、まことにもって奇妙な状況が日本では見られる。これは英国を含め、世界で他にあまり例を見ないことだ(ここまで、差別にカギ括弧を付けたのは、日本の「差別」にこうした事情があるためだ)。
 部落解放運動にたずさわっている人が、「部落民なんていう存在や、部落という特別の空間なんて、実は存在していないにもかかわらず、人々の心の中に、さもそれがあるかのように存在している、それが部落問題なのです」 と言っていることは象徴的であろう<http://www6.plala.or.jp/kokosei/hr/buraku.html、05年11月19日アクセス>。
 この人は、だから部落「差別」を解消するのは容易ではない、と言いたいわけだが、むしろ、いかに部落「差別」が大した問題ではないかが分かろうというものだ。
 江戸時代には、部落民の前身である穢多・非人のほか、公家・僧侶・神官・医師等、「士農工商」に属さない多数の身分が存在していた。最近の説では、「士」「農」「工」「商」間に上下関係ありとしたのは当時の儒者のイデオロギーに過ぎず、一般の人々は必ずしもそうは考えていなかったとされている。
 同じことが、「士農工商」と穢多・非人との間にも言えるとする説、すなわち、生死をつかさどる職業(僧侶・神官・医師・処刑人など)・「士」直属の職能集団(処刑人を含む下級警察官僚・武具皮革職人など)・大地を加工する石切など、のように人間社会以外の異界と向き合う職業の者は、「士農工商」と便宜上区別されただけだとする説も最近有力であり、私はこの説に与している。
 そもそも、「士」が内職で「工」となっていた事例と同様に、穢多・非人にも「農工商」に携わっていた者が多くいた。例えば、「士」に直属する皮革加工業は穢多・非人が独占的「工」となることとされていた地域が多かった。また、地域によっては藍染や織機の部品製作は穢多・非人が独占的「工」となることとされていたことも知られている。さらに、穢多・非人の実態が「農」であった地域も知られている。
 ところが、江戸中期以降、社会の貨幣経済化に伴い、「士」が相対的に没落して行く。そこで、「士」は没落を食い止めるために、「農工商」への統制を強化し、その結果生じた「農工商」の不満を逸らす目的で、穢多・非人「差別」が始められた。
 この「差別」が差別に転化したのが、明治時代だった。
 明治政府によって警察官などになれるのは当初「士」のみとされ、下層警察官僚であった穢多・非人が疎外されたこと、「士」(特に上層の「士」)が特権階級たる華族とされたのに対し、「士」に直属し権力支配の末端層として機能してきた穢多・非人がなんら権限を付与されず放り出されることによって、それまでの「士」による支配の恨みを一身に集めたこと、などがその原因だった。
 つまり、部落差別が生まれたのは、それほど昔ではない明治時代であり、明治政府の、必ずしも悪意によるとは言えない政策が、結果として生み出したものである、ということだ。明治政府は、日本を近代化するに当たって、(英国になかった憲法・継受困難なコモンロー法体系・英国が強くないと考えられた陸軍等を除き、)全面的に英国をモデルにしていた。英国の国教会に倣って神社神道から国家神道をつくり出し、英国の貴族制と上院に倣って華族制と貴族院を設けた。このいじましいまでの努力が、結果として、キリスト教徒等への「差別」や、部落差別をもたらしたことになる<http://www6.plala.or.jp/kokosei/hr/buraku.html、上掲にヒントを得た。また以上、特に断っていない限りhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E5%95%8F%E9%A1%8C、05年11月19日アクセスによる>。
 在日朝鮮人(在日)「差別」の起源は、部落差別よりさらに後であり、1910年に日韓併合がなされた以降、半島から日本列島へ朝鮮の人々が渡ってくるようになってからのことだ。
 米国のように、建国当時こそアングロサクソンが多かったものの、その後、様々な国や地域から次々に移民がやってきたような所でも、新しい国や地域からの移民は、ことごとく「差別」の対象となった。異なった文化を背負い、英語がしゃべれず、ダーティージョッブに就き、がむしゃらに働く人々が差別や「差別」の対象になるのは、ごく自然なことといえよう。ただ、朝鮮半島出身者については、これにプラスして日本の植民地出身者であった、という事情があった。彼らに対して当時の日本人が、優越意識をもって臨んだ可能性は排除できないだろう。
 しかし、果たして戦前の日本に在日に対する差別や「差別」は本当にあったのだろうか。
 戦前(戦中を含む)来日した在日一世達の証言を孫引き紹介している、鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書2004年)を見る限り、「危ない仕事を朝鮮人に多くさせていた。たくさんの人が、事故やまた人為的に殺されていた」(101頁)といういささか眉唾物の証言のほか、具体性があるのは「賃金の格差は(中略)日本人に対して3分の2から2分の1」(101頁)という、他のすべての証言と食い違う証言くらいであるのに対し、「差別はなかった」(103頁)、「日本人に親切にされた」(104〜107頁)という具体性のある証言が多いことに驚かされる。
 ついでながら、在日が日本人にではなく、同じ在日にひどい目にあった、という証言が散見される(102頁)。これは、いわゆる慰安婦問題で、半島人の女衒にひどい目にあった半島人の慰安婦が、日本人や日本政府を逆恨みするケースが少なくないことを思い出させるものだ。
 とまれ、これでは戦前の日本では在日差別どころか、在日「差別」すらなかった、と言わざるをえない。
 であれば、1923年(大正12年)の関東大震災の時の朝鮮人虐殺は何なのだ、という反論もあろう。実際に起こったことは、大震災後の流言飛語に基づき自警団等が、(当局発表で)在日の死亡231人・重軽傷43人、シナ人の死亡3人、在日と誤解された日本人の死亡59人・重軽傷43人を惹き起こしたものだ(もっとも、完全な流言飛語というわけではなく、大震災後、在日は殺人2名、放火3件、強盗6件、強姦3件を犯している)。しかしこれは、未曾有の大災害後の異常心理が生起させた突発的な不幸な事件なのであって、これをもって当時、在日「差別」ないし差別があった証左である、とは言えないだろう。大震災の起こった年の在日人口は、8万人余であったところ、虐殺事件があったというのに、翌1924年には12万人余へと急激に増加していることは興味深い(143頁)<以上、特に断っていない限りhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD、05年11月12日アクセスによる>。
 こうした状況を一変させたのが、先の大戦における日本の敗戦である。
 日本が朝鮮半島を植民地統治したことは、支配された側にとっては悲劇であり、日本をうらむことは当然かもしれない。しかし、客観的に見て朝鮮半島の近代化が日本の支配下で大いに進捗したことはまぎれもない事実である。加えて、日本国内においては既に見てきたように(そして恐らく半島においても)、個々の日本人はおおむね心暖かく朝鮮の人々に接してきたと考えられる。
 しかも在日は、徴用(これは強制連行とは言えない)で日本に連れてこられたごくわずかの人々を除けば、自分の意思で、よりよい生活を求めて日本列島に渡ってきた人々である。
 にもかかわらず、鄭大均の前掲書の29〜31頁を見れば、在日は、敗戦に打ちのめされた日本人に対して、牙を剥いて襲いかかった。
 このように、戦後の占領期における在日による、いわば日本人差別によって、日本人は初めて在日に差別感情を抱くに至ったのだ。この差別感情は、戦後60年を経た現在、いまだに日本人の潜在意識の中に生き残っている。
 しかし、日本人は在日(これ以降は、朝鮮半島出身者またはその子孫で日本永住者だが日本国籍を取得していない者を指す)を差別するどころか、腫れ物に触るような態度で接し続け、在日による日本人差別は、事実上継続している。
 1954年には生活保護受給対象が外国人(その大部分は在日)に拡大され、やがて在日が生活保護の半分を占めるようになってもこれを受忍した。
 在日が3割方占めているとも言われる暴力団は「温存」され、このこととも関連して在日の犯罪率が異常に高いことも見て見ぬふりがされた。
 北朝鮮による日本人拉致という重大犯罪すらつい最近まで放置され、北朝鮮産の覚醒剤が日本での流通量の半分を占めているというのに抜本的取り組みが回避されてきた。
 金王朝讃美教育を行うところの、単なる各種学校たる朝鮮学校に対し、各地方自治体は、色々な名目で事実上補助金を支給してきた<参照は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3、05年11月21日アクセス。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%AD%A6%E6%A0%A1、05年11月21日アクセス>。
 このようにして、「80年代以後、日本のマス・メディアが第二次世界大戦中の日本の国家犯罪を語り、在日の犠牲者性を語る過程で在日は無垢化されるとともに、『被害者』や『犠牲者』の神話」が確立し(鄭大均前掲書33頁)、在日による日本人差別が名実ともに正当化され、現在に至っているのだ。
 近年、わが国には、中高年における韓流ブームと若者における嫌韓意識の高まりの並存、という興味深い状況が見られる。
 前者は、かつての日本人の在日を含む朝鮮半島の人々に対する、上述したような心暖かい心情の復活であり、後者は、北朝鮮による拉致問題の進展のなさや、ノ・ムヒョン政権による日本の歴史認識問題(首相の靖国神社参拝問題と教科書問題)の執拗な提起に対する反発が、インターネットの世界で伏流となってくすぶり続けてきた在日「差別」感情と化学反応を起こして顕在化したものであろう。
 日本人のこの在日に対する差別意識の解消を図るためには、その原因をつくっている韓国・北朝鮮・在日の側が変わらなければならない。しかし、日本政府にもできることは多々あるはずだ。
 第一に日本人の拉致問題について、それだけを取り上げるのではなく、北朝鮮における人権侵害問題全般に取り組むことを通じて、韓国の北朝鮮に対する人権問題での及び腰の姿勢を改めさせ、もってこの問題での日米韓連携の確立を図り、北朝鮮を追いつめることである。
 第二に歴史問題について、日本と朝鮮半島だけを対象にするのではなく、他の植民地統治との比較研究を行うことだ。日本の台湾統治と朝鮮半島統治の比較、東アジアにおける欧米諸国による植民地統治である米国のフィリピン統治との比較。さらには、(日本による朝鮮半島統治と同様の)隣接地域の植民地統治であるイギリスのアイルランド統治との比較、に幅を広げることを韓国政府側に提案することだ。
 植民地獲得方法と植民地統治実績を見れば、フィリピン統治とアイルランド統治は、台湾統治や朝鮮半島統治に比べて、はるかに暴力的であり拙劣だったことが理解できるだろう。
 日本政府は、単独ででもこうした研究を助成すべきだろう。もちろん、助成対象を日本の学者だけに限定する必要はない。
 第三に日本政府は、在日による日本人差別について、その歴史と現状を調査し、情報を開示することだ。その結果、在日あるいは朝鮮半島出身またはその子孫で日本国籍をとった人々、もしくは韓国の人々の間から、自然に遺憾の声が出てくれば、一番良いのではないだろうか。
 1922年に結成された水平社は、部落差別解消に大きな役割を果たしたが、差別解消に成功しなかった。
 戦後、1955年に部落解放同盟が結成され、アファーマティブアクションを含む様々な差別解消施策の実施を政府に強く求めた。その結果、1969年に同和対策事業特別措置法が成立し、目的を達成したとして(三回の延長を経て)同法が終了した1992年まで、政府によって鋭意差別解消施策が講じられた<以上、http://www6.plala.or.jp/kokosei/hr/buraku.html前掲による>。
 その間に、部落差別は基本的に解消したといえよう。
 部落差別の歴史(根)が浅かったからこそ、部落民側と政府の努力によって、このような急速な差別解消が実現した、ということだ。
 しかし、特措法による差別解消施策が余りにも長く続けられたため、それが利権(同和利権)化し、様々な弊害が起きただけでなく、1980年代からは、部落民を騙って金銭を強要する者(エセ同和)まで出現して現在に至っている。
 これは、在日による日本人差別に倣って言えば、部落民(エセ同和を含む)による一般納税者の差別である、といっていい。
 現在形で書いたのには理由がある。部落民による一般納税者の差別は、特措法が終了した現在でもなお、形を変えて続いているからだ。
 その一つが、皮及び皮製品輸入規制である。
 日本政府は、農産品の輸入規制を堅持する一方で、工業製品の輸入規制は撤廃させようとしてきた。しかし、木製品や水産製品とともに、皮及び皮製品については、工業製品だというのに例外的に輸入規制を堅持してきたのだ。
 その理由は、部落民の生業を保護するためである。もっとも、日本政府は国際的圧力を受けて、次第に皮及び皮製品についても輸入規制を緩和してきた結果、この10年間に日本の革靴の輸入は80%も増加し、日本での生産は40%も減ってきた。この現状に部落関係者は不満の声を挙げている<http://www.atimes.com/atimes/Japan/GK09Dh01.html、05年11月9日アクセス>。
 以上のことから、戦後在日と部落民に「よる」差別に翻弄されてきたことが、日本人にとってトラウマとなっており、移民受入問題を冷静に議論することが困難になっているとわかるだろう。
 とりわけ、人口比的には1%にも満たない在日(近代日本が初めて受け入れた移民)に「よる」差別体験は、大きいと考えられる。英国や西欧諸国のように10%にもなるような移民を抱えたら、日本は彼らにかき回されて無茶苦茶になる、と多くの日本人は思い込んでいるのではないだろうか。
 しかし、在日と部落民に「よる」差別に翻弄されてきたのは、敗戦によっても日本人の心暖かさは失われなかった一方で、敗戦によって日本人が自信喪失に陥ったからにほかならない。日本人が、不条理なことには毅然と対処する気概を取り戻しさえすれば、新たに移民を受け入れても二度と翻弄されるようなことはあり得ないだろう