太田述正コラム#3059(2009.1.27)
<皆さんとディスカッション(続x380)>

<コバ>

≫・・・情報も沢山あるし、最も進歩的であるはずの東京や大阪で何で自民系知事が幅利かしてるんだろ?(コバ)
 東京や大阪は公明党が強く、公明党が自民系知事(候補)を支援してきたからでしょう。(太田)≪(コラム#3057)

 公明党の強くない地方から、自民党を引きずり下ろして中央を打倒するしかないですね…。

<うえやま>

≫ロスバードの主張って要するに市場万能主義のようですね≪(コラム#3055。太田)

 誤解を恐れずに言うとその通りですね。
 ただ、万能というと全てを市場に任せればバラ色の人生が待っている(なんてことはないから国家が規制しないと大変なことになるんだぞ!)というような、若干の語弊があるかも知れません。(特にwikipedia「市場原理主義」。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%A0%B4%E5%8E%9F%E7%90%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 「・・・「効率と公正のトレードオフ」<の名の下に>政府の所得再分配が制約され、所得格差はいっそう拡大し、<それ>による市場の弱体化は2008年秋の世界金融危機の一因となり、皮肉にも弱者救済に反対していた高所得者が、公的資金投入という「救済」を必要とすることになった。・・・」
というような誤解が出そうな気がします。橘木俊詔って人の著作が典拠になっているけど、ほんとにこんなこと書いてるのかなぁ)。
 もう少し情緒的に言うと、全てを市場に任せたところで全ての人間にバラ色の人生が待っているわけではもちろんないが、という留保がついた上で、今の制度よりははるかにマシだし(国家による介入や独占はそれ以上の弊害がある)、それ以上の「体制」は考えられないのではないか、という主張だと理解しています。

 公共財についてですが、ロスバードが直接公共財そのものについて論じたものを残念ながら記憶していません。しかし、道路の政府等による独占を非難し(勁草書房「自然の倫理学」pp.138。洋書から紹介する元気はありません 笑私が10年ほど前に手にした彼の洋書もこの本でした)、仮に世界に一つだけのオアシスの所有者がいた場合、それを使用したサーヴィスはその所有者が完全なる決定権を持つ(上掲pp.246。ハイエクの独占についての議論に対する批判。ただし(上記例や実例ではAT&Tに代表されるような)自由の結果である独占についてどう考えるかについては、私個人は結論が出ていません)とする以上、太田さんのおっしゃる意味での公共財は認めていない、ということになるかと思います。
 しかしこれはある団体(それはもしかすると日本全体や世界全体)による「共有」に関しては否定するものではないはずです。つまり、上記オアシスの所有者が、全体の利益あるいは自分の利益のために、ある契約の元にその所有権自体を手放すことを禁止する権利はどこにもないということです(蛇足ですが、もちろん手放させる権利も誰も持っていません)。
 それはもはや「公共財」と呼んでも差し支えのないものでしょうが、ロスバードの基本的主張である自己所有権の延長上にあるものだと理解しています。

≫ちょいと今は時間がとれない。本件の議論は後回しにせざるをえないなと思いました。≪(同上)

 もちろんそうなさってください。こちらとしては、いつでもいいからお返事がいただければという気持ちです。こんなくだらない話に太田さんの貴重な時間を割くなって批判が聞こえてきそうですから、年数回だってかまいませんよ 笑こんなこと太田さんはご理解くださっていると思いますが、何もなくたって太田さんの活動を支援・支持していますから。首都圏と私の田舎を中心に、たぶん次回の選挙では民主党の票が10票ほど以前より増えていると思います。そのうち半分ほどは共産党の票です 笑私がいけばもう1票増えるけれど、そうはならないのは理解してください。

≫こういった議論が時代を超えて一般論として成り立ちうるのか≪(同上)

 自己所有権(自由)が生まれ持った権利であると仮定し、かつそれ(自分の自己所有権)を守るためには相手の自己所有権(自由)を侵害するべきではない、というのはいつの時代にも通用しうる概念だと私は思っています。そうである限り、その自己所有権を強制的に(しかもそれは合法的ですらある)侵害する国家という存在は要するに盗賊である、というロスバードのような議論は真っ当なものではないでしょうか。

≫それともネット社会化している現代においては、傾聴に値する部分が出てきたのか≪(同上)

 ネット社会あるいはIT産業というのは、他の産業に比べて政府による規制が少なく、そのため進化・成長のスピードが速く劇的で、それもさらに政府による規制を難しくしていて、一種の自由主義者にとっての(ささいな)フロンティアになっている、というのが私の意見です。それが、昨年の米大統領予備選でのロン・ポールのようなリバタリアンがインターネット上では熱狂的な支持を集めた理由の一つなのではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB#.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.83.8D.E3.83.83.E3.83.88.E3.81.A7.E3.81.AE.E4.BA.BA.E6.B0.97
 ただし、ネット社会が訪れたから上記のような議論が初めて行える素地ができた(アナルコ・キャピタリズム的な世界が実現可能になった)というわけではなく、いつの時代にも考察可能で実現可能な議題であると認識しています。

 名前に関しては気にしないでください。言われて初めて以前はueyamaと書いていたのを思い出しました。以前も何かのタイミングで言った気がしますが、ただの記号です。

<太田>

 かなり前に、うえやまさんが初めてアナキズムについて問題提起をされた時、江戸時代が一種アナーキーな時代だったのではないか、という話をしたことを覚えていますが、どうも、うえやまさんご紹介の限りでのロスバードの主張は、アングロサクソン的な個人所有権を絶対視しする主張にように受け止められます。
 このような背景の下、アングロサクソンには夜警国家思想/市場万能思想があり、時々実践されてきたわけで、もはや、議論、実験がやり尽くされた感があります。
 その延長線上にアナキズム的社会の展望など開けないのではないでしょうか。
 蒸し返すようですが、うえやまさんが、本当にアナキズム的社会の実現を望んでおられるのなら、むしろ日本の過去に目を向けられた方がよいような気がします。
 徳川時代の江戸なんて、不動産は借り物、動産は(金持ちを含めて)誰も大したものを持っていないという社会でしたが、だからこそと言うべきか、司法・警察なんてあってなきがごとしでした。

 「・・・飲み水の安全はどうやって確保したか。橋のたもとに高札を立てただけです。高札には「川より両側三間以内は草を刈ってはいけない、木を切ってはいけない、洗濯をしてはいけない、川に物を棄ててはいけない、水を浴びてはいけない、魚をとってはいけない」など5〜6ヵ条の禁令が書かれています。ロンドンには、神田上水に相当するニュー・リバーという水道がありました。木管が地上に露出していたものですから、悪戯をされないように100mおきに番人を置きました。1812年にロンドン警視庁ができたとき、巡査が3235人いたそうです。江戸の町奉行所定廻りと呼ばれた正規の巡査はたった12人でした。やってはいけないことはやらない習慣があったのでしょう。高札を立てるだけで水が汚れない不思議なシステムです。・・・」(『無限大』No.122 2007年冬 62〜63頁の石川英輔氏の発言)

<花子>

≫それにしても、子供が巣立った後の長すぎる老後を、「普通に結婚して」専業主婦を楽しんでいる女性がどのように過ごすのか、他人事ながら心配しちゃいます。≪(コラム#3055。太田)

(激しい啓蒙的な論争のなかで、間のぬけたコメントですが)

、、、だからこの有意義な太田さんのブログを楽しませて頂いているのです。
 今は有難いことに電子辞書を片手に暇に任せて世界中の出来事を瞬時に知る事も出来ますし、自分の生きた時代がもはや歴史の一部分になりつつある事を後期高齢者新人としては痛感する毎日です。せめて争いの無い平和な世界を、人の命を鉄砲玉にしないよう祈るのみです。

<Nelson>

≫ひょっとしてアベラールも知ってる?≪(コラム#3057。太田)

 (知っている・・・と言いたいですが)残念ながら知りませんでした。
 だから、調べました。ピエール・アベラール(Pierre Abélard 、1079年 - 1142年4月21日)と出てきて、下に「トマス・アクィナスらによって集成されるスコラ学の基礎を築いた」のですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AB
 「トマス・アクィナス」と「スコラ学」を大学の一般教養試験で勉強したのを微かに思い出しました。
 ただ、昔の欧州の神学者・哲学者などの思想家は色恋沙汰等のトラブルが結構多いですね(特にニーチェとか・・・)。

<太田>

 女性であるのにあえて男性の「偉人」である「ネルソン」をハンドルネームにされたのだから、恐らくハミルトン夫人のこともご存じだろうと思ったら図星だったけれど、アベラールはご存じなかったですか。
 アベラールは、神学者としても有名ですが、『アベラールとエロイーズ』という愛人との往復書簡集
http://www.geocities.jp/kyoketu/6816.html
でもってより有名な人物です。
 この往復書簡集において、我々は、「昇華された」恋の一つの典型・・肉体的・倫理的に2度と結ばれることが不可能になった2人が生涯愛を育み続け、互いに知的に高めあって行く・・を見いだすことができるのであり、これは、別居中の妻がいながら、愛人の(ネルソンの熱烈なファンであった)夫と共同生活・・一妻二夫制!・・をしてこの愛人との間に子供までつくったネルソンの「背徳的」な恋愛とは好対照です。
 差し出がましいようですが、Nelsonさん、こういう類のフィクションやノンフィクション、もっと読まれた方がいいですよ。

<サヨク>

≫・・・<天皇が>自殺すれば、よりよい国になれるという、その「情報」はどこから刷り込まれたんでしょうか。≪(コラム#3053。ベラドンナ)
≫人民網も日本人に何かを刷り込むためにプロパガンダしてるのかもしれない≪(コラム#3057。コバ)

 「伝統とは初源を忘れること」という言い方があるようで・・・。始まりが、取るに足らない事だったり偶然だったり、あるいは悲劇だったり喜劇だったりということはおおいに有り得ることです。伝統の尊重が思考の「纏足」に陥らないよう気を付けたいと思ってます。ぼくは。
 「刷り込み」を疑うことはなにより「自分だけは免れている」という錯誤を避けるためにも、先ずは自分に向けたいものです。

<Nelson>

≫私のNelson様へのコメントに失礼があったことはお詫びします。≪(#3057。michisuzu)

 いいえ、私の不徳ですよ。あまり気にしないでください。
 
 「昭和天皇の責任」の続きです。
 昭和天皇に実質的責任はあるのか?ここでいう「実質的責任」の有無は、昭和天皇が第二次世界大戦あたりの帝国の政策(主に安全保障政策)に、実質的に相当程度関与したのか否かが基準とします。
 私は、昭和天皇にここでいう「実質的責任」は無いと考えます。なぜなら、昭和天皇は、田中義一首相更迭事件以来、原則として立憲君主制(constitutional monarchy )を順守され、例外として二・二六事件とポツダム宣言受諾において二度だけ「聖断」されたのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%96%AD
 つまり、昭和天皇は、ほとんど実質的な政策決定権を内閣・国会・軍部等の国民サイドに託していたということになります。
 さらに言えば、1941年9月6日の御前会議で、、昭和天皇は「この草案は、戦争が主で外交が従ではないか」とおっしゃられ、迷走する国民サイドの安全保障政策を逆に諌められておられます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%89%8D%E4%BC%9A%E8%AD%B0

 したがって、原則立憲君主制を採られていた昭和天皇に戦争・敗戦の実質的責任はないと考えます。逆に、昭和天皇が国民サイドの失策を予知し教えていたのにもかかわらず、再考しなかった国民サイドの方に実質的責任があると私は思うのです。「天皇の責任」については以上です。

≫それにしても日本国民はなぜこれほどまでに天皇家を尊敬するのでしょうか?≪(同上)

 天皇がいなければ、日本が「日本」じゃなくなるからではないでしょうか? 
 コラム#3033において、太田様が私(Nelson)の質問に対して「明治憲法下においても現憲法下においても、天皇は・・・国家を体現した存在」とおっしゃっていました。
 つまり、目玉焼き(日本)を体現する黄身(天皇)の部分をとれば、もはやそれは「目玉焼き(日本)」ではないということではないのでしょうか。だから、日本人はかけがえのない天皇を大切にしているのだと思いますよ。
 答えになってないかな?だとしたら、ごめんなさい。
 
≫私は戦後の日本人の品格の無さに関してそのルーツを私なりに研究していまして、その結論が昭和天皇にあるということにたどり着きました。≪(同上)

 「戦後の日本人の品格の無さ」については同意です。
 ただ、私は戦後国民が堕落したのは、国民自身が原因であるという考えですが・・・。 とりあえず、「国民サイドの戦争責任」についてのところでその理由をお答えしたいと考えておりますので、また後日にということで許してください。

<michisuzu>

>目玉焼き(日本)を体現する黄身(天皇)の部分をとれば、もはやそれは「目玉焼き(日本)」ではないということではないのでしょうか。だから、日本人はかけがいのない天皇を大切にしているのだと思いますよ。

 なかなかこの件(天皇がなぜ尊いのか)に関する反論、意見は相当な知識人でも返答に困る根源的なものです。
 普通はそこは避ける人が多い(本人も実はそこまで考えていなかった場合がほとんどです)のに真摯に答えて頂いて感謝し、尊敬もしています。

 ただ私には今ひとつ貴方の説明では納得出来ないのも事実です。
 私は神の存在や天皇の意義についてどうにも信用できないのです。
 翻っていうならば神の存在を信じたいのに余りのこの世の悲惨な出来事(戦争やレイプ、殺人が余りに多いこと
http://www.scaryblog.org/←参照してください
が私に神の存在を信じさせないのです。
 天皇を信じて?らっしゃる貴方はきっと神の存在も信じておられるならば、その根拠というか理由を教えていただければ幸いです。
 これは皮肉で言っているのではありません、真摯に伺っております。

 太田様の日記にこのような私事を書きなぐることをご容赦ください。
 Nelson様もしよければMIXIの私のブログ(michisuzu)にお越しいただければ幸いです。

<太田>

 Nelsonさんとmichisuzuちゃんの「ディスカッション」ホント面白いですね。
 クラシック音楽になぞらえれば、ロマン主義の曲と現代音楽の曲が交互にかなでられているような感じを受けました。
 michisuzuちゃん、太田コラムに関して投稿する時だけは、ロマン主義の曲をかなでてくれると有り難いんだけど・・。

 それはそれとして、神の存在なんて迂遠な話に飛ばずに、天皇と深く関わっている神社のことを考えてみたらどうです?
 神社だって、正月とかお祭りの時には、結構「大切にされ」たり「尊敬」されたりしていると思うけど、それはどうしてだと思う?
 これだってすぐきちんと答えられる人、知識人であれ非知識人であれ、ほとんどいないと思いますよ。
 最近、アニメがらみで一種の神社ブームが生まれているようです
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/ishinabe/index.html
が、そもそも現在の日本のソフトパワーの中心の一つであるアニメ自身、日本人の宗教意識を抜きにして生まれ得なかったのではありませんか。

<IT支援グループ>

 太田述正掲示板の投稿記事文字数の制限が2000字になっていて、ちょっと長い投稿ができないようだったので、10000字までの制限にしておきました。

<KT>

 太田さん、今、クイズコーナーの問題を作るために、コラムを読みまくっているのですが、#2447「NLPで役人をやめた私」シリーズで気になることがあるので質問します。
 #2883で「米国は日本を保護する立場にあることはのぞんでおらず・・」と書いていただきましたが、そもそも米国にとっては、米国にとっての安全保障のために米軍を置いているわけですよね。
 三沢基地での日本の安全保障(仙台施設局長時代の太田さんの安全保障)と米国の安全保障(米軍司令官たちの安全保障)の違いを(安全保障そのものの意味は同じですよね)教えてもらえないでしょうか。

<太田>

 米国の国益と日本の国益はオーバーラップしているけれど、ほとんど同じ、というわけではありません。
 というか、ほとんど同じなら、日本が(独立国であろうが属国であろうが)米国と違う国である必要はなく、両国が合邦するのが自然の姿でしょう。
 国益がほとんど同じか同じではないか、これは他人に聞くのではなく、一人一人の日本人が自分で考えなければならないのです。

 さて、記事の紹介です。

 友達がたくさんいる人と友達が少ない人は、遺伝子的に決まっていることが分かってきました。
 友達がたくさんいる人ばかりでないのは、そういう人は感染症にかかる可能性が高い一方、友達が少ない人はその可能性が低いから、どちらかに淘汰されることがなかったというのです。
http://www.guardian.co.uk/science/2009/jan/26/congeniality-genes-sociable-party(1月27日アクセス。以下同じ。)
 友達の少ない人は悲観する必要はありません。
 あなた方も人類の存続にとって不可欠な人々なのですよ。

 中共の鉄道の切符は政府のコネがある人か、鉄道官吏から横流しされた切符を扱うダフ屋から買う人以外、入手することが極めて困難なのだそうです。
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-china-train-tickets26-2009jan26,0,4684171,print.story
 一事が万事、中共の腐敗はどうしようもない、ということでしょう。
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太田述正コラム#3060(2009.1.27)
<東大生とオバマの読書傾向比較>

→非公開