太田述正コラム#2661(2008.7.11)
<ハセガワとベーカーの本(その3)>(2009.1.17公開)

 例えば、ソ連の当時の外務次官のロゾフスキー(Lozovskii)はスターリンと外相のモロトフに次のようなメモを送ったというのです。
 第一に、戦後世界における主要な対立はソ連と資本主義社会の間のものとなるであろうことであり、第二に、ソ連にとって最も課題は安全保障であり、日本に関するソ連の目標は、宗谷海峡、千島列島、津軽海峡を開放することによってソ連の太平洋へのアクセスを再確保することである、と(PP19)。
 また、1944年1月11日には、当時の外務次官のマイスキー(Ivan Maiskii)がモロトフ外相に長いメモを送り、極東においては、太平洋へのアクセスを確保するためにソ連は南樺太の返還と千島列島の移管受けを実現しなければならないが、ソ連は参戦せず、米国と英国に莫大な人命と資源を費消させて日本を敗北させてから、一発の銃弾も撃つことなくして、日本の敗北後の平和会議において南樺太と千島列島を獲得することができる、と(PP25)。
 更に同年7月、モスクワに召喚されたソ連の駐日大使のマリク(Iakov Malik)がやはり長文の報告書を提出しています(PP25)。
 マリクはこの報告書の中で、日本の敗北は目前であるとし、ソ連は米国と英国が日本帝国を解体する前に行動しなければならないとし、ソ連の目標は、太平洋への通航を確保することであって、そのために満州、朝鮮、対馬、及び千島列島といった戦略的要衝を、他国が占領するのを防止しつつソ連が占領することであると記しています(PP26)。

 ハセガワは、この3名とも、ソ連の安全保障上の要請の重要性、とりわけ太平洋への自由通航の重要性を強調し、南樺太の返還と千島列島の占領を唱えており、戦後の領土問題の決着を、大西洋憲章やカイロ宣言が基礎としているところの、歴史的正当性によってではなく、安全保障上の必要性に基づいて立論していることを指摘しています(PP26)。
 同時にハセガワは、ロゾフスキーとマイスキーはソ連参戦なしでの目標達成が最上の策であるとしているのに対し、マリクはそんなことが可能か疑問を呈しているとも指摘しています(PP26)。
 ハセガワは、スターリンとモロトフは、この頃までに対日参戦を決意しており、スターリンは1944年の夏にヴァシレフスキー(Aleksandr m. Vasilevskii)元帥を白ロシア戦線から呼び戻し、彼に対日戦の総司令官をやらせるつもりであることを伝え、9月には秘密裏に、参謀本部に対し、極東における兵力集中と極東の部隊への兵站支援の見積もりを策定するよう命じた、と記しています(PP27)。

 ハセガワによれば、この時点で日本政府は、ソ連が対日戦を決意し、その準備に着手しているなどとは夢にも思わず、しかも、ソ連は領土問題の決着を安全保障上の観点から行おうとしていたのに、日本政府は、歴史的正当性に基づく最小限の譲歩を行うことで日ソ中立条約の維持が可能だと思っていた、というのです(PP29)。

 スターリンは、1944年11月6日、10月革命記念日に、初めて日本を侵略者とし、日本による真珠湾攻撃をナチスドイツの対ソ攻撃になぞらえるが、これと平行して、ソ連の新聞に反日的見解を掲載することを許す措置を講じているとハセガワは続けます(PP32)。

(続く)