太田述正コラム#2659(2008.7.10)
<ハセガワとベーカーの本(その2)>(2009.1.15公開)

3 ベーカーの本を手にとって

 何と言っても、びっくりするのは、巻末の注だけで、総頁数566頁中、92頁も占めていることです。
 小説家がここまでやるか、という執念を感じました。
 後書きを見ると、この本のタイトル、Human Smoke は、アウシュビッツで死体を焼いた煙のことだったのですね(PP474)。
 同じく後書きの中で、ベーカー(Nicholson Baker。1957年〜)は、「ニューヨークタイムスは、英国の新聞が重い検閲の下で発行されていたことから、第二次世界大戦の歴史と前史に関する恐らく単独で最も豊かな史料だろう。」と記しています。
 第二次世界大戦が、英国にとってはその存亡をかけた戦いであったのに対し、米国にとっては、余裕を持って任意で参戦した戦いに過ぎなかったことがここからもうかがえます。
 面白いのは、ベーカーが地元のニューヨーク州のロチェスター大学のイーストマン音楽学校(Eastman School of Music)に在籍したことがあることです(本の奥付)。
 この音楽学校は、全米屈指の音楽学校であり、日本で言えば芸大音楽学部に相当するといったところでしょうか。
 この音楽学校在籍者OBの有名人リスト62名中、作家が2人いますが、その1人がベーカーです。
 ベーカーが何を専攻したのか、知りたいところです。
 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Eastman_School_of_Music
(7月10日アクセス)による。)

 ベーカーはその上で、ペンシルバニア州フィラデルフィア郊外にあるクエーカー系のリベラルアーツ・カレッジであるアーヴァーフォード・カレッジ(Haverford College)を卒業しています。
 このカレッジは、ユニバーシティーを含む米国の全大学中、入学難度が18位の名門カレッジです。
 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Haverford_College
(7月10日アクセス)による。)

4 ハセガワの本の中身

 ハセガワの本のテーマは、「原爆は、それまでトルーマンが直面していたところの、解決できないジレンマ・・日本の無条件降伏をソ連の参戦以前に確保するというジレンマ・・を解決した。トルーマンはポツダム宣言を、日本への警告としてではなく、原爆の使用を正当化するために発出した。私は原爆が即時かつ決定的なノックアウト的衝撃を日本の戦闘継続意思に与えたとの共通に抱かれてきた見解に異議を唱えるものだ。すなわち、日本を降伏に誘ったことに原爆より大きな役割を果たしたのはソ連の参戦だったのだ。」(PP5)です。
 まさに、革命的な指摘であると言うべきでしょう。

 では、一体どうして日本政府は降伏を容易に決断できなかったのでしょうか。
 ハセガワは、それを当時の日本の国体観念に求めます。
 その国体について、ハセガワは、「天皇は政治、文化、、そして宗教において絶対的な力を持っている。「国体」とは、このような天皇制の政治的、かつ精神的エッセンスの象徴的表現なのだ。しかし、天皇の政治的かつ文化的中心性にもかかわらず、彼は現実の政策決定にあたっては名目的存在(figurehead)にとどまっていた。この体制が、日本の政治思想の最大の権威である丸山真男が言うところの「無責任体制」をもたらした。」(PP4)と述べています。

 国体論といい、丸山真男に対する評価といい、ここはハセガワはちょっとオーソドックス過ぎるのではないでしょうか。
 ハセガワによる、それに引き続く先の大戦の前史(PP7〜18)の叙述ぶりも、極めてオーソドックスであり、私の欲求不満が募りました。
 しかし、1941年12月7日の真珠湾攻撃でいわゆる「太平洋戦争」が始まると、ハセガワの筆がにわかに冴え始めます。

 ナチスドイツと死闘を演じていた1941年12月末段階で、スターリンやソ連の外交エリート達は来るべき対日戦のプランニングを始めていたというのです(PP19)。 

(続く)