太田述正コラム#3015(2009.1.5)
<皆さんとディスカッション(続x358)>

<大>

 <SFさん、>コラム#72は非公開なんですかね、お金にもう少し余裕ができたら読ませてもらいます。

<太田>

 いや、公開されてます。
http://blog.ohtan.net/archives/50955761.html

<KY>

≫>この話が程度が低いならば、この後のKYさんの・・・というのも程度が低い気がするのですが。
 相手と同程度に下品に応じてあげたよ、という意味かもしれませんね。もちろんそれ以前に、意訳、要約、脚色も入っているかもしれませんが。≪(コラム#3011。SF)

 いや、御見事です。目には目をって奴です。無礼者に高尚な話をしたってしょうもない。

 私だって現状の日本政治がそんなに立派だとは思っちゃいませんよ。所詮は属国だし、政府に関して言えば、自国民を隣国に拉致されても数十年も放置するような代物が未だに存続している。少数民族どころか多数派の人権すら屁とも思わない政府です。

 ただし、他国の人間に得意気に説教をする位なら、自分の国の事をもう少し他国と比べて検討してみろと思いませんか?乞食に穀潰しって罵倒されたら、普通は「ふざけるんじゃねえ」と思うでしょう。自分の国では黒人が立候補どころか投票も妨害される事態が延々と続いていたのに、その何十年も前に植民地の人間を貴族として遇したり、首都に居住する植民地人を本国人が投票で自発的に国会議員に選んだような国民に向かって、今でも黒人投票者に(アラバマとか、そこらへんで)選挙妨害をやるような国の奴が説教する訳ですよ。普通の感覚なら「うるせえぞ糞餓鬼が」と思いませんか?

 そういえば、英国じゃ150年も前に黒人の警察官がいたみたいですね。既出なら失礼。
http://www.independent.co.uk/news/uk/this-britain/the-black-police-officer-who-pounded-the-beat-150-years-ago-420863.html

 日本だって戦前に朝鮮人の陸軍士官が沢山いました。今でも英国では(法律上はともかく)人種差別は歴然としてありますが、そんな英国に比べたって、実態だけじゃなく制度上も米国は周回遅れです。そういう国の奴が、相手が東洋人だと途端に居丈高になる。それに、こういう米国の白人って何人も会って来ました。たぶん普通にいるんでしょう。

 例えばイギリスの腐った町を歩いていると、chink とか言って糞餓鬼が石を投げてきたり、酔っ払いが喧嘩売って来たりします。そんな事って日本じゃ無いでしょう?そんな英国より(人種平等という点では)さらに遅れているくせに、大きな口を叩くなよ、と。ヨーロッパでもアメリカでも、少数民族が人種差別で殺される事件が時折ありますが、日本じゃ聞いた事が無い。そういう日本を、「世界で一番人種差別が酷い」とは、よくも言ってくれたもんです。

≫読んだ限りでは、差別意識云々を議論する相手ではなさそうですし、太田さんの「お見事」なる発言も、(下品な相手を)コラムで得た知識を使って軽くあしらったことに対してであろうと思いました。(が、間違ってたらごめんなさい。)≪(同上)

 いや、コラムで出る前(オバマ当選直後)の話で、苦学生時代に貧困な北部イングランドの貧民窟で生き残る過程で身に付けた知恵です。このディズレーリという具体例も、以前学者やら何やらと飲んでいた時に、「オバマっていうけど、ここには大昔にディズレーリがいたよな。マイノリティーを選ぶのがそんなに凄いのか?」という、誰かの一言が頭に残っていただけで。まあ、こういう状況は馴れていますんで。

<太田>

 KYさんにもコラム執筆お願いしたいですね。
 その気になられたら、いつでもご連絡下さい。

<Chase>(http://blog.zaq.ne.jp/fifa/article/144/

 イスラエルがガザに侵攻し地上戦を開始した。このことを明確に予測したのは、太田述正氏のみである。これは大業績だ。

 <さて、>コラム#2900(2008.11.8)「19世紀末以降の日本史をどう見るか」は、日本人にとり重要な史観と思うので、著作権を許容いただくとしていつもながら下手な英訳(レベルが下がってし まうことは大変恐縮ながら)を試みたい(英検二級レベル)。なお、まだ途中であり、今後、訳を随時追加していく(修正も随時行う)。

History of Japan since 19th century by Nobumasa Ohta

(1)My fundamental viewpoint

When you talk about history, you need to consider deliberately whether it is based on the facts or not. Besides that, there is no right perception of history if any in the world, but there are private histories of “may be appropriate”or “may not be appropriate” which vary among individuals according to his/her own sense of values.

When you talk about the perception of history, you need to show your sense of values regarding history. My sense of values is very simple in which autocracy is evil, freedom is virtuous, but anarchy is bad, the principle of equal opportunity is to be pursued, and to kill the people who don’t resist is to be avoided by all means.

Needles to say, this is fundamentally Japanese sense of values for history as well as that of Anglo-Saxon.
I am not interested in the discussion at all on something like what an invasion is, or whether invasion is always evil.
When I talk about war, I make it a rule to judge the character of the war, after making sure how the parties talk and behave along with the sense of values mentioned above. This is an approach for history based on (enlighted) values, or you may either say it is an approach based on (enlighted) civilizational viewpoint.

In modern-contemporary era, the world has produced a common history encompassing regional histories.
Japan has not been a principal actor in modern-contemporary history of the world.
Therefore, to describe modern-contemporary history from the viewpoint of Japan is not productive.

(2)Modern-contemporary history of the world is the history of conflicts between civilizations of Anglo-Saxon freedom and that of European autocracy.

(3)The United States of America is a bastard Anglo-Saxon nation which is based on Angro-Saxon civilization primarily and on European civilization secondarily.

(4)The conflict had embraced another confrontation/conflict between Anglo-Saxon and Russia, an extension of European civilization, which had continued for about 100 years. The so called Great Game which had been developed in central Asia towards the end of the 19th century was the beginning of this conflict between Anglo-Saxon and Russia. Afterwards, although the position of Russia was replaced by China who adopted a position of an extension of Russia, the confrontation is still continuing now. Even now, Russia is playing an important role in autocratic world as a junior partner of China.

(5)Japan who has the most similar civilization in the world with that of the Anglo-Saxon had confronted and/or fought with Russia standing on the Anglo-Saxon side for all these 100 odd years, and has been opposing China accordingly until now. The history of Japan since the end of the 19th century could be divided into four periods. As for the first three periods, namely the first period(1894〜1924), the second period(1924〜53) , the third period(1953〜91) , Japan had confronted Russia, and the fourth period has confronted China.

(6)First period: the Sino‐Japanese War (1894‐95),the Russo‐Japanese War (1904‐05), Dispatch of Japanese Troops to Siberia(1918-25)
Japan fought against Russia directly or indirectly while being supported by Great Britain and the United States in terms of their neutral positions in favor of Japan, financing Japan, or dispatching troops on the Japanese side. And Japan also tried to block and lessen the expansion of Russian sphere of influence by raising the banner of civilization and enlightenment, in other words Anglo-Saxonisation, as an official position. Although colonizing surrounding area was not necessarily happy business for Japan at that time, Japan’s colonial rule that came to an end at the conlusion of the so called 15 Years War(1931〜45) was successful in comparison with those of the western powers, particularly Great Britain. This can be clearly illustrated if you compare current situations in Korea and Taiwan with the ex-colonies of the western powers. During the main part of the first period, 1902〜23, Japan was allied with Great Britain. (Russia introduced communism (which originated in Europe) at the end of the first period and renamed as the USSR.)・・・

19世紀末以降の日本史
(1)基本的スタンス
 歴史を語るにあたっては、それが事実を踏まえたものであるかどうかについて、慎重の上にも慎重を期すべきだ。
 それはそれとして、「正しい」歴史認識などありえない。各自の抱いている価値観に照らし、「もっともらしい」歴史認識であるか「もっともらしくない」歴史認識であるかどうかだけだ。
  歴史認識について語る際には、自分の価値観を明らかにすべきだ。
 私の価値観は、専制は悪で自由は善、しかしアナーキーは悪、機会の平等が追求されるべきで、無抵抗の人間を殺すことは極力避けなければならない、というシンプルなものだ。
 言うまでもなく、これはアングロサクソン的価値観だが、基本的に日本的価値観でもある。
 「侵略」とは何かとか、「侵略」は常に悪か、といった議論には私は関心がない。
 戦争(冷戦を含む)については、どちら側が、より上記価値観に則った言動を行っているかどうかを見極めた上で、評価を下すよう心がけている。
 これは歴史に対する価値観的アプローチだが、文明論的アプローチであると言ってもよかろう。
 近現代においては、世界は地域史を超えて共通の歴史を織りなすに至っている。日本は、この世界の近現代史の中心的なアクターではない。よって日本を中心とした日本近現代史を描くことは生産的ではない。

(2)世界の近現代史は、自由主義のアングロサクソン文明と専制主義の欧州文明の抗争の歴史である。

(3)ただし、米国はアングロサクソン文明を主、欧州文明を従とする、アングロサクソンのできそこない(bastard)である。
(4)19世紀末から、この抗争は、アングロサクソンと(欧州文明のextensionとしての)ロシアの対峙・抗争へと収斂するに至り、この抗争は約 100年続いた。(19世紀末に中央アジアで展開されたイギリス対ロシアのいわゆる Great Game は、その序章にあたる。) その後は、ロシアと支那の主客が逆転し、アングロサクソンと(欧州文明のextensionのextensionとしての)支那の対峙の時代となって現在 に至っている。ただし、現在においても、ロシアは支那のジュニア・パートナーとして専制主義世界の中で重要な役割を演じている。

(5)アングロサクソン文明と世界で最も親和的な文明を持つ日本は、19世紀末から約100年間にわたって、一貫してアングロサクソン側に立ってロシアと対峙、抗争し、その後は支那と対峙し、現在に至っている。
 この19世紀末以降の日本史は、ロシアに対するところの第一期(1894〜1924年)、第二期(1924〜53年)、第三期(1953〜91年)と、支那に対するところの第四期へと四期に区分できる。

(6)第一期:日清戦争、日露戦争、シベリア出兵の時期。
 日本はそれぞれ英米から、好意的中立、諜報的・資金的支援、共同出兵、の形で支援を得ながらロシアと間接的、直接的に戦い、文明開化(実態はアングロサクソン化)を掲げて自らの勢力圏を拡大することで、ロシアの勢力圏拡大の阻止、減殺を図った。  (周辺地域の植民地化は、必ずしも日本の望むところではなかったが、「15年」戦争の終焉((7)参照)まで続いた日本の植民地経営は、欧米列強の植民 地経営と比べて、就中英国の植民地経営と比べてすら、成功したものだった。このことは、韓国と台湾の現況と欧米列強の旧植民地の現況を比較するまでもなく明らかだ。)  この第一期の大部分の1902〜23年、日本は英国と同盟関係にあった。  なお、第一期の末期に、ロシアは共産主義の衣を纏うに至る(=ソ連)。

<太田>

 英訳の試みをしていただくとは、まことにありがとうございました。
 少々手をいれさせていただきました。 

<FM>

 初めて投稿します。
 コラム#2648(2008.7.4)を読みました。

 太田さんの博覧強記(凶器)ぶりに感心(歓心)しながら拝見しています。

 チベットへは86年夏陸路で敦煌ゴルムドラサと3泊4日で行きました。
 ゴルムドは51年世界の目が朝鮮戦争に釘付け中人民解放軍がラサ侵攻の前線基地とした開発したチベット領土です。
 高山病予防の為二千米級の当地で2日間体調を慣らして五千七百米の峠を越え高山病に苦しみながら約2千Kmを走破し三千米級の高地ラサに入りました。十日程滞在し市内及び郊外の生活状況等観光兼ねて見学しました。
 状況は正に植民地でした。
 貨幣経済が浸透していないラサ以外の地区から流入したチベット人がコジキ化し物乞したり身に付けた飾りを買ってくれと手真似で言って食事の為の現金を求め来たりしてました。市内通りの商店街は全て漢族の経営で我々外人相手の漢族店主は、チベット人は馬鹿で無能で汚いと言い、物乞に来るチベット人を箒で追い払いっていました。
追い払っても来る子供のコジキにチベット人女の子の店員が店主の目を盗んでこっそり店のパンを子供に与えもう来るなと諭してました。私の顔を見て悲しげでした。
 宿の受付のチベット女性は中国語で話す私を後回しで西洋人を優先したので文句を言うとパスポ‐トを見ながら日本人なら英語を話せと…!当時まだ内陸からの漢族旅客はなくほとんどが西洋人か海外華僑でした。彼女には華僑も漢族と同じ者らしく、私も言葉で漢族扱いでした。
 ラサホテルのレストランでは、チベット人ウエイトレスがやる気の無い態度で突っ立っているのを漢族の女主任が金切り声で叱ってましたが、彼女達は馬耳東風…見事な態度でした。が、古温い香りのしないお茶を持って来たので、これは昨日のお茶か?と、文句を言うとくだんの主任がやって来て、私を漢族と思ってかチベット人ウエイトレスに指示しながら、ドイツモコイツモノロマでアホばかりと…怒ってました。
 夜、宿の中庭でビールを飲みながら皆で雑談、旅情報の交換をしていると、遥か遠くからドンドンと音がする。雷かと話すと一人の西洋人があれはカノンの砲声だと!彼は越南戦争従軍経験の米国人だと。何でだろう? 他の西洋人はあれはチベット人への威嚇で毎晩この時刻になると聴こえると…。
 軍事的経験の無い日本人の私には、雷と砲声の区別がつかずあきれられた。日本に徴兵制度が無いことを説明せねばならず、また中国ソ連と核武装国に囲まれ、中国の反日態度や朝鮮半島の不安定状況に、徴兵制度がないとはと驚いてました。
 ポタラ宮の参観では、三倍近い外人参観料金を取られ、漢族の監視員はこんな仏像を拝むチベット人は愚昧だと。チベット人の賽銭箱守の小僧が薄い暗い蝋燭の灯り下、熱心に粗末な本読んいたので、良く看ると英語の本。英語で話掛けると、インドへ行きたい、ダライラマのいるあちらには真のチベット人世界がある、と。
 市内の小学校に天天学習天天向上 毛沢東の巨大な掲示板が有ったので、子供には分かりやすい良い文句だと言うと、あるチベット人は不機嫌な顔で無理やり漢語をやらされてなにが良い文句だ、と言い返された。
 そんなチベット体験が有ります。

 今、内陸部と鉄道が完成し、漢化と植民地化が強化されているようで、機会が有れば再度訪問して直接見たいと思っています。体験して現場感を持つ事も必要では…!

 タイペイタイムズが典拠としてよく引用されますが国民党寄りと思えます。
 台湾には党機関紙の中央日報、党寄りの中国時報、連合報。独立派の自立報、台湾日報が有りますが、司馬僚太郎の台湾紀行や李登輝博士との対談が取り上げられたのは独立派の新聞です。国民党系は無視か否定的な態度でした。
 国民党の馬英九が総統に帰り咲きましたが、第三次国共合作の様子です。
 歴史的に見ると全て共産党の勝利で終わってます。さて今回は?

 中国台湾、朝鮮半島問題を期待しています。直接日本の存亡に関係有りと思えますので。

<太田>

 貴重な体験談をありがとうございます。
 なお、台北タイムスは、民進党寄りだと思いますよ。
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太田述正コラム#3016(2009.1.5)
<イスラエルのガザ攻撃(続x4)>

→非公開