太田述正コラム#2646(2008.7.3)
<イラク・ミャンマー・チベット問題をどう見るか(その1)>(2009.1.3公開)

 (これは、7月4日、神戸で行う講演の原稿です。基本的に過去コラムを取捨選択して作成しました。)

1 イラク

(1) イスラム世界について

 ア 千夜一夜物語の世界

 『千夜一夜物語』の原典をひもといてみると、子供向けに書き直された「シンドバットの冒険」等を読んだときの印象とは違って、暗く殺伐とした話が多いと思われることだろう。
 色欲と物欲の塊のような人物が続々と登場し、その欲と欲とが激しくぶつかりあい、せめぎあう。油断をすれば、あっと言う間に身ぐるみをはがれ、命もとられてしまう。こんな社会では、人々は明日の我が身に何が起こるか分からないという不安を抱きながら生きなければなるまい。
 しかし、これは決して物語の中だけの話でも大昔の中東の話でもないのだ。いまもなお、中東の人々は多かれ少なかれこのような無常の世界に生きているのだ。
エジプトの経済学者ガラール・アミンは、近年のエジプト社会について次のように語っている。
 いわく、「腐敗の横行、規律の無視あるいは規律そのものの不在、暴力事件の増加、新たな種類の犯罪の出現、家族の解体、物質的価値観の広まりによる、浮利の追及の優先、生産労働の軽視。社会の相互協力・連帯の精神の弱まり、都市と農村の双方での生活様式の沈滞……」。
 アミンは、エジプト(あるいはアラブ世界)がこのような状況になってしまったのは、1967年の第三次中東戦争によるナセル大統領の敗北、およびび1970年のナセルの死のショックの後遺症だと考えているようだ。
 しかし、エジプトで少年時代を過ごしたわたしは、エジプト社会は、英国保護領時代のメッキがはげて、元に戻っただけだと見ている。
 歴史が始まって以来、次々に襲来する外来勢力による情け容赦ない支配と収奪に晒されて来た社会は、このような姿になってしまうのだ。
 つまり中東は、法や制度によって個人や血縁・地縁等の集団が保護されてきた欧米や日本とは異なるのはもちろん、支配者たる天子(皇帝)に最低限の自己抑制を強いる易姓革命思想を奉じた歴代中華帝国の支配下にあった中国とも異なる。万人が万人に対してあい争う、苛烈にして索漠たるホッブス的世界なのだ。
 イスラム教がこのような中東に生まれ、中東と歴史的環境が似通った北アフリカ、中央アジア、南アジア、東南アジアに急速に普及し、今でも中部アフリカ等へ普及しつつある理由は明らかだろう。
 イスラム教に帰依すれば、バラバラの個人や集団の間で、共通の神アラーをいただき、共通のイスラム教的生活規制に従うことを通じた擬似的な連帯感が生まれ、イスラム教が「喜捨」による相互扶助を勧めていることともあいまって、人々が抱く根元的な不安が多少なりとも軽減されるからだ。
 この中東世界は、イギリスに端を発する世界の近代化(ヨーロッパ化)のうねりに、決定的に乗り遅れてしまった。
 中東のようなホッブス的社会においては、共通の世俗的利益のために私益を犠牲にする、という発想はない。
 このため、社会全体を近代化するような、社会の成員各層による長期にわたる協同的かつ献身的な努力が要請される大事業を推進することは、至難のわざなのである。

 イ イスラム世界の深刻な状況

 さて、イスラム社会が近代化に失敗して深刻な状況にあることは、以下の諸データが雄弁に物語っている。

 識字率は、ユダヤ教徒が97%、キリスト教徒が87%、仏教徒が85%、ヒンズー教徒が53%であるのに、イスラム教徒は51%にとどまる。一人当たり所得は、ユダヤ教徒が1万5000米ドル(113カ国を調査)、キリスト教徒が7500米ドル、仏教徒が6000米ドルであるのに、イスラム教徒は1800米ドルに過ぎない。

 それもそのはずだ。

2001年のイスラム諸国(総人口13億人近い約60カ国)への投資額は、合計約136億ドル(約1兆6000億円)と、人口900万人のスウェーデン1国への投資額と同程度に過ぎない。

 アラブ諸国(22カ国)の総人口は、2000年には約3億人と、20年前に比べて70%も増えたが、過去20年間の一人当たり所得の伸びは、サハラ以南のアフリカ諸国の次に低く、年率0・5だった。

 アラブ諸国合わせて年間300冊しか翻訳書が出ていない。これはギリシャ1カ国の五分の一よりも少ない。

 イスラム国パキスタンのムシャラフ大統領は2001年12月末、「今や世界の人々はイスラム教というと文盲、遅れ、不寛容、無知蒙昧、そして暴力を連想する始末だ」と嘆き、2002年2月には、イスラム諸国が「人類の中で最も貧しく、最も読み書きができず、最も遅れ、最も不健康で、最も無知蒙昧で、最も虐げられ、最も弱い存在になりさがってしまった。……イスラム諸国の総GNPをかき集めてもわずか1兆2000億ドルに過ぎない。これは、イスラム諸国が教育と科学の発展をないがしろにしてきたからだ」と演説している。

  ウ いかなる対応がなされてきたか

 さまざまな対応が試みられてはきた。
 20世紀以降にしぼってみよう。
 イスラム精神を作興することでヨーロッパの挑戦を克服しようとイスラム復古運動が盛んになり、アラビア半島に原理主義的なワハブ派を奉じるサウディアラビアという国が生まれ、エジプトにも原理主義的なムスリム同胞団が出現した。が、それぞれ中東アラブ世界全体を揺り動かすには至らなかった。この系譜から生まれた鬼子が、アルカーイダなどのイスラム過激派だ。
 さりとて、いきなりアングロサクソン流の自由・民主主義を導入することによって中東社会の根底からの近代化を図ろうとしても、そうは問屋がおろさない。イラクの立憲王制はものの見事に失敗し、ヨルダンの立憲王制もまだ事実上停止されたままである。
 西欧ゆずりのナショナリズムについては、イスラム圏内の中東地域中、イラン高原やアナトリア半島(トルコ)といった、アラブ世界以外で、かつ地域的にまとまりあるところではともかく、アラブ世界では機能しないことが、次第に明らかとなっている。
 アラブ世界全体を一括りにしたアラブナショナリズムを展開するのは、地域的に広すぎて無理があるのだ。
 加えて、エジプトを除けば、ナショナリズムの前提となるところの、住民が歴史的体験を共有するような明確な「地域」が、存在しない。そのエジプトにおいても、ナショナリズムは英国からの完全独立と外来の王家の追放を達成したものの、ついに国民を近代化に向けて動員することには成功しなかった。
 西欧に淵源を持つマルクス・レーニン主義は、無神論である以上、イスラム教的なものを「必要」とする中東世界に浸透するのは困難だった。
 最後に残されたのが西欧由来のファシズムである。
 そのファシズムの導入を試みた2つの国が、イラクとシリアであった。それぞれの国において、独裁者が国民への世俗的単一イデオロギー(バース党イデオロギー)の注入と、疑似民主的政治過程への国民各層の動員に成功したことに、英米は注目している。彼らは、かねてからこの両国が、中東アラブ諸国の中で最も近代化に成功する可能性が高いと見てきた。
 このうちのイラクが、本日の私のお話のテーマの一つだ。

 イスラム世界で唯一完全に世俗化した憲法を持っているのがトルコだ。
 日本ではトルコの近代化、民主化を実現した偉大な英雄と見られているトルコのケマル・アタチュルクだが、英国人のオルダス・ハックスレーは、アタチュルクを「ロシア、トルコ、イタリア、そしてドイツの独裁者達」と同列にみなしている。すなわち、スターリン、ムッソリーニ、ヒットラーと変わらないというわけだ。
 実際、アタチュルクは、世上言われるように、トルコを「世俗化」したのではなかった。彼は、イスラム教を、神話(と死後のアタチュルクの神格化)に立脚するケマリズムで置き換え、ケマリズムを唯一の公的宗教(=イデオロギー)とするトルコという概念(民族にして国家)を創造したのだ。
 このイデオロギーは、アングロサクソンやクルドによって、同時代のファシズムや共産主義と並ぶ民主主義的独裁の一形態として、ケマリズムと呼ばれ、嫌悪の対象となって現在に至っている。
 このようにトルコは、ケマリズムという国家イデオロギーを国民に強制することによって、かろうじて世俗化社会の外観を維持しているだけであって、近代化にも成功しているとは言いがたい。このトルコのケースを見ても、イスラム社会を世俗化することの困難さが推し量れるだろう。

 最後にインド亜大陸についてだ。
 インド亜大陸はイスラム教圏と非イスラム教圏のせめぎあう最前線の一つだ。そのインド側から、過激な発言を繰り返しているのが、トリニダード生まれのノーベル文学賞受賞者、V・S・ナイポールだ。
 ナイポールに言わせると、インドを破壊し、現在の様々な問題をもたらしたのは、「短期間」インドを支配した英国などではなく、イスラム教である。
 イスラム教は世界中の国や地域の歴史と文化の破壊者であり、インド固有のサンスクリット文化は、イスラムの軍事的侵略により、西暦1000年をもって生命を絶たれた、とナイポールは断罪している。
 世界中の非難を浴びたタリバンによるバーミアンの石像仏破壊や、トルコが激しく批判したサウディアラビア政府によるメッカ近郊のオスマントルコ時代の城塞の破壊は、ナイポールの批判を裏付けるだろう。
 また、インドネシア、イラン、ヨルダン、クウェート、レバノン、モロッコ、パキスタン、サウディアラビア、トルコのイスラム9カ国の1万人弱を対象に2001年10月と12月に実施された世論調査の結果によれば、2001年9月11日の同時多発テロの首謀者がアラブ人だと思うかとの設問については、サウディアラビア、ヨルダン及びモロッコでは、質問することも許されず、また、調査結果は、61%もの回答者がこの設問に対し「思わない」と回答するという、世界の常識と著しくかけ離れた驚くべきものだった。

 エ まとめ

 総合すれば、イスラム教圏の人々は、歴史と文化を軽んじ、事実を直視しようとせず、しかるがゆえに教育と科学をおろそかにし、しかも政治的自由もないか著しく制約されており、その結果として退廃と貧困の生活を送っている、ということだ。
 イスラム圏においては、イスラム化→イスラム原理主義化→非世俗化→社会・生活規制の強化→反主知主義/自由の抑制→「先進」地域との所得等格差の増大→イスラム化→(以下、同じ事の繰り返し)、という悪循環が進行している、と言ってもよいかもしれない。
これこそがパレスティナ紛争がかくも長引いている背景であり、アルカイーダやタリバンが生まれた背景でもあるのだ。

 オ イスラム教について

 参考までに、イスラム教そのものについて触れておきたい。
 イスラム教の神は、東洋の専制君主のイメージを借りたものであり、ユダヤ=キリスト教の愛の神とは似ても似つかないものであり、必然性や規範性を無視してきまぐれかつ暴力的にふるまい、人間を翻弄する存在であるとの指摘がある。
 このようなイスラム教は、一神教を標榜しつつも実は多神教に等しく、そのためイスラム社会において政治権力は異なった神をかついで細分化され互いに争いあい、その一つ一つの政治権力の下で、被治者たる個々人もまた、ばらばらの状態でそれぞれの神をかついであい争うことになる、という。
 そしてイスラム教には宗教と政治を分かつ考え方もない。
そうだとすると、イスラム社会は非寛容であり、思想の自由を認めず、世俗化が困難、ということにならざるをえない。
 すなわちイスラム教は、本来的に原理主義的であり、かつ教義と暴力とを切り離せないというわけだ。暴力的原理主義はイスラム教の本質的属性だ、ということになるのかもしれない。

 このような議論の典拠を少しだけお示ししておこう。
 コーランには、次のようなくだりがある。

 「他の神を信仰しようとする者を見つけたら、アラーとともにその者を殺せ」(宗■機腺供法
 「不信心者にこう伝えよ。信仰なき者がイスラム教を拒むのなら、彼らのそれまでのことは大目に見てやれ。しかし、彼らが再び信仰なき者に立ち戻ったのであれば、古よりの過酷な運命が彼らには待ち受けている。だから、(彼らのためにも)彼らがアラーを受け入れるまで戦え」(検39〜42)。

(2) イラク
 
  ア 始めに

イラクという国は、英国が、第一次世界大戦後、敗戦国たるオスマントルコに放棄させた旧オスマントルコ領のうち、モスル、バグダッド、バスラの三州を合体させて人工的に造った英国の国際連盟委任統治領が起源です。
 フセイン政権も一応バース党政権だったわけですが、親ソ的なカシム政権を倒すためにバース党を積極的に援助してバース党をイラクの政権の座につけたのは米国(のCIA)です。
 だから、米国や英国からすれば、中東の鼻つまみ者のフセイン政権を倒してなぜ悪い、いや倒す義務がある、というところでしょう。

  イ フセイン政権打倒の理由

 フセイン政権打倒の理由としては
  ・イラクによる大量破壊兵器の取得・保有・使用・横流しの危険性
  ・イラクがイスラム原理主義と結びつく危険性
  ・イラクの体制変革の意義と実現可能性
があげられたところです。
 最後の点ですが、イラクは、非イスラム(=世俗主義)、バース党イラク支部(実体はイラクバース党)による独裁とフセイン崇拝、秘密警察等の活用、大衆の積極的動員、経済統制、そして反共、アラブ統一(=ウルトラ・ナショナリズム)の標榜、戦争・暴力志向、という特徴を持つ全体主義独裁国家であり、典型的なファシズム国家であると見ることができます。(シリアバース党エリートが支配するシリアもファシズム国家の色彩を帯びています。)イラクバース党は1968年にクーデターでイラクの政権を握り、イラクバース党の重鎮であったサダム・フセインが1979年に全権を掌握し、もともと中東アラブ世界の最先進地域の一つであったイラクは、教育水準がシリアと並んで中東一、脱イスラム化の度合いが(とりわけバグダード周辺において)中東一(・・その象徴が、長期に渡ってイラクの副首相をつとめ、最近まで外相を兼ねていたキリスト教徒のタリク・アジズ・・)、貧富の差の少なさが中東一、女性の社会進出の度合いが中東一の国となりました。
 このイラクの全体主義独裁を崩壊させることができれば、イラクが自由・民主化に成功し、その石油資源とあいまって、中東アラブ世界における「西側」のショーウィンドウへと変貌を遂げる可能性が十分あると米国(と英国)は考えたわけです。

  ウ 米国のイラク占領統治の失敗

 しかし、お粗末なイラク占領統治ですべてをだいなしにしかかったのが米国です。
 何がお粗末だったかというと、基本的に次の4点です。

・米軍治安兵力量が不十分であったこと
・米軍治安兵力の治安訓練が不十分であったこと
・(国防省主導の)占領統治政策検討が不十分であったこと
・イラク軍を解散、バース党員を公職追放したこと

 この結果、その大部分がスンニ派であったところの、元軍人やバース党員の大量失業者が発生し、そこにアルカーイダ系テロリスト達がつけいり、スンニ派の対多国籍軍蜂起が起き、次いでスンニ派とシーア派の間、更にはシーア派内部で抗争が起き、イラクは内乱状態となってしまうのです。

  エ 君主制について

 ここでちょっと脱線しますが、私は、イラクでは君主制を復活させるべきであったと考えています。これは決して私だけの考えではありません。

 君主制は世襲原理を前提としており、帝国(多民族国家)は民族自決権(national self-determination)の抑圧を前提としていることから、どちらも過去の遺物だという観念がありますが、必ずしもそうとは言えません。
 いや、むしろ、うまくいっているところの多民族からなる民主主義的国家の大部分は君主制を採用しており、帝国の残骸(relics)という非合理的要素を政治制度の中に残している国々なのです。

 イラクは英国が第一次世界大戦の時にオスマントルコ帝国から切り取ってつくった人工的国家です。
 そのイラクは、マクロ的には、そのいずれもが自治を経験したことのないところの、一番人数の多いシーア派、そして少数派のスンニ派及びクルド人からなるパッチワークでした。
 英国が導入したところのスンニ派の君主をいただく君主制のおかげで、上記三派間のいがみあいが戦争に転化するのを抑えることができたのです。
 君主制を廃止すれば、独裁制でも導入しない限り、三派がそれぞれ民族自決を求めて・・より正確には、シーア派はスンニ派による支配から脱しようとし、クルド人はイラクから分離独立しようとして・・流血の事態となることを食い止めることはできないことを当時の英国は分かっていました。
 案の定、英国がイラクを独立させると革命が起こって君主制が廃止されると、イラクは、当然のようにスターリンを彷彿とさせるサダム・フセインの世俗的独裁制国家になってしまいました。

 ところが米国のブッシュ政権は、ここのところが全く分からずに、2003年に武力でフセインの独裁制を倒した後、君主制を再導入しようとはせず、純粋な民主主義を「押しつけ」てしまったわけです。これに反対しなかった英国のブレア政権もその一半の責任を免れることはできません。
 その必然的帰結がイラクの現在の苦境なのだ、と私は考えているのです。

  オ 転機

 内戦状況が泥沼化する懸念があったイラク情勢が好転したのは、昨年、米国が遅ればせながら米軍治安兵力を3万人増やしたおかげです。

 この米軍兵力増強に助けられ、昨年来、スンニ派の主要諸部族がそれぞれの居住地たる州でアルカーイダの影響力を排するとともに、今年に入ってからマリキ(Nuri al-Maliki)イラク首相とイラク軍によって代表されるところのシーア派の主流がバスラ、アマラ、及び(バグダッドの)サドルシティーを、サドル師のマーディ民兵等の手から解放するに至ったのです。
 米国のせいで、5年も回り道をしたけれど、イラクが自立した、民主主義的な法治国家となる見通しが立ったと言ってよいと思います。

(続く)