太田述正コラム#2876(2008.10.27)
<人間は戦争が大好きだ(その1)>(2008.12.10公開)

1 始めに

 イスラエルの軍事史家で軍事理論家であるクレヴェルド(Martin van Creveld。1946年〜)が最近上梓した、『戦争の文化(The Culture of War)』のさわりをご紹介しましょう。

 (以下、この本の書評である
http://www.latimes.com/features/books/la-ca-martin-creveld26-2008oct26,0,2253771,print.story
(10月25日アクセス)、及び
http://www.nysun.com/arts/why-we-fight-martin-van-crevelds-the-culture/86443/
http://www.d-n-i.net/dni/2008/09/24/on-war-275-van-creveld-writes-another-big-book/
(いずれも10月26日アクセス)による。)

2 戦争の文化

 クラゼヴィッツの「戦争は他の手段による政治の継続である」という主張は誤りだ。・・・
 戦争は国家の諸利益に奉仕するために存在するのではない。むしろそれは、人間の本質(nature)と文化の根源的な一部なのだ。・・・<戦争は、>それゆえそれに従事している人々に事実上一種の満足感をもたらす。
 さもなくば、どうして人々、特に男達は互いを殺し合うことを楽しむのだろうか、そしてどうして傍観者達が戦争を眺めたり考えたりすることに魅了されるのだろうか。「戦争」、とりわけ戦闘は、他のあらゆるものを霞ませるほど、われわれ人類が従事するものの中で最も愉快で、最も刺激的な活動の一つなのだ。非常にしばしば、その愉快さと刺激は純粋な喜びをもたらす。・・・恐らくはあらゆる喜びのうち最大の喜びを。・・・
 いかなる人間文化も戦争を除外視しては考えることはできない。戦争・・・は・・・文化を形成し、文化は今度は、合理的な軍事的効果の計算をはるかに超越した強力さで戦争を遂行せしめる。・・・
 それが大衆文化であれ、高級文化であれ、文化と戦争との紐帯は、歴史の、決して変わることがない定数であり、大黒柱なのだ。・・・
 ギルガメシュの叙事詩からオデュッセイアまで、そしてイリアスと聖書において、戦争と文化は常に関係づけられている。戦争と文化は、戦闘の死ぬほどのスリルと性的快感というドラマによって溶接されている。シェークスピアの戯曲がとりわけ軍事的であるように、戦争は文学に浸透しているだけでなく、最も初期の絵文字からベトナム帰還兵記念碑に至るまで、芸術にも浸透している。
 同様に、戦争は音楽の進化や建築、そして他人の命を奪うことへの禁忌を殺人への聖なる処方箋へと変容させた儀典、にぬぐいがたい足跡を残した。われわれが遊ぶゲームすら、それがチェスであろうとサッカーであろうと、最近の次々に新バージョンが出るビデオゲーム「ドゥーム」であろうと、それらは等しく戦争の副産物なのだ。戦争は、文化のアンチテーゼなどではなく、むしろ「壮麗なる相手方」なのだ。・・・
 人間が戦争に対する興味をなくしたとか戦争そのものがもはや歴史の屑籠に投げ捨てられつつあるなどと主張することは、真実をねじまげること甚だしい。1946年から2002年の間に226の戦争が戦われたし、最近の40年だけでも避難民の数は4倍に増えた。実際、先進国間の戦争の数は減ったけれど、これは平和主義の産物ではなく、核によるホロコーストへの恐怖の産物に過ぎないのであり、発展途上国間の紛争の数が減っていないことを忘れてはならない。・・・民主主義国家は互いに戦争をしないというのもウソだ。1776年と1812年の英米間の戦争や、民主的に選ばれた南部連合と北部連邦との間の米国の南北戦争を思い出して欲しい。・・・

 ここで問題になるのは2点だ。
 第1点は、軍事文化を実際の戦争から乖離させてしまうことの帰結であり、第2点は軍事制度を戦争の文化から切り離そうとすることの帰結だ。
 <まず、第1点だが、>7年戦争が終わった1763年の後、プロイセンの陸軍はあらゆることを様式化してしまい、複雑でほとんど役立たない訓練ばかりをやるようになってしまった。・・・
 その結果、プロイセン陸軍は脆弱になり、1806年にナポレオンと相まみえた時に、粉砕されてしまうことになる。
 第2点の例としては現在のドイツ軍があげられる。・・・
 最初のうちは1933〜45年の間だけが悪魔払いの対象となった。ところが、1968年以降は、暗闇を広げる傾向が次第に募り、やがて昔までが対象にされるようになった。パンツァー戦車部隊の指揮官たるハインツ・グーデリアン(Heinz Guderian。1888〜1954年)だけでなく、はたまた砂漠の狐たるエルヴィン・ロンメル(ロメル=Erwin Rommel。1891〜44年)だけではなく、ハンス・フォン・ゼークト(Hans von Seekt。1866〜1936年)、パウル・フォン・ヒンデンブルグ(Paul von Hindenburg。1847〜1934年)、エーリッヒ・ルーデンドルフ(Erich Ludendorff。1865〜1937年)、アルフレッド・フォン・シュリーフェン(Alfred von Schieffen。1883〜1913年)、そしてヘルムート・フォン・モルトケ(Helmut von Moltke。1800〜91年)までもが消え去ってしまった。彼らは、国家に奉仕した英雄達から、「軍国主義者」、「反動」、「帝国主義者」、「ならず者」へと貶められたのだ。今日の宿営(casern)においては、彼らの名前や肖像画を見いだすことはできなくなってしまった。・・・
 おぞましい<ドイツの>歴史的背景を踏まえれば、これらすべては完全に理解はできる。しかしその一方で、軍隊というものは、その構成員が彼らの国家のために戦い、死ぬのであれば、戦争の文化を持っていなければならないことは争いがたい事実なのだ。・・・

(続く)