太田述正コラム#2591(2008.6.5)
<新裁判雑記(続々)>(2008.12.6公開)

1 始めに

 5月27日付で、勝訴判決があり、本日打ち合わせに弁護士の所に行ってきました。
 打ち合わせと言っても、一応勝訴したので、成功報酬を払わなければならず、その算定根拠を聞かされたのがメインです。
 なお、原告の千葉氏が控訴するかどうかはまだ分かりませんが、控訴になると、成功報酬は控訴審裁判の弁護士費用(手付け金)に自動的に充当されます。
 とにかく、こんなばかばかしい裁判でもおカネはしっかりかかります。
 本人弁護をやれば、弁護士費用はかかりませんが、裁判の内容によりけりですし、私も忙しくなってきており、やはり弁護士を頼まざるをえません。
 今後も裁判を提起されるかもしれないし、裁判に負けて損害賠償金を払わされることだってありえます。
 というわけで、皆さんからいただいたカンパは、有効に活用させていただいています。カンパしていただいた方々に、ここで改めて御礼を申し上げます。
 さて、改めて勝訴判決文を読み、本日弁護士(結局年配の弁護士一人が今回の裁判を担当しました)と議論したことも踏まえ、今回の判決への感想めいたことを申し上げます。

2 判決内容

 今回の裁判(裁判B)は、公益目的である書籍の内容を要約紹介したところのコラム#195における私の記述が名誉毀損であるとして千葉氏が私を訴えた(裁判A)ことを受け、コラム#1184において、千葉氏から訴えられたことを記した上で、コラム#195での記述に誤りがあった(千葉氏を創価学会員と記した)ことを発見したと記すとともに、コラム#195の内容を改めて紹介し、コラム#195で私が書籍の要約紹介を行った趣旨を説明したことが、新たに名誉毀損に該当するとして、千葉氏が(裁判A確定後)私を再度訴えてきたものです。
 (頭が混乱した方は、コラム#195とコラム#1184に直接あたって下さい。)
 ちなみに、裁判Aではその後私が一審でも控訴審でも敗訴し、損害賠償金50万円を千葉氏に支払っています。
 
 さて、裁判Bの第一審判決は、コラム#1184は原告(千葉氏)の社会的地位を低下させてはいないという結論を下します。

 「インターネット上の掲載文は他の情報媒体に比して一般的に信憑性が低く、閲覧者が掲載文の内容を直ちに信用するとは限らないこと、本件旧記事(コラム#195(太田))と本件新記事(コラム#1184(太田))の表現媒体は、いずれもインターネット上のホームページという点で同じであり、いずれの記事についても、これを閲覧する者の範囲に大きな差はないこと、本件新記事と本件旧記事の対象も本件書籍の内容を要約した同一のものであって、その掲載方法もホームページ上に、いずれも被告を表示する「太田述正コラム」と題してその記事を継続して載せる一連のものであることが認められる。
 ・・・以上の諸事情にかんがみると、本件新記事における事実の摘示及びその掲載の態様は、本件旧記事の掲載当時のものと変わりがないのみならず、本件旧記事の閲覧者より多くの者が本件記事を閲覧するとも認められないから、本件新記事の内容は、本件旧記事の掲載当時から更に原告の社会的地位を低下させるものと評価することができないというべきである。」

 本来、判決文はここで終わってもよいわけですが、判決は、ご丁寧にも、仮にコラム#1184が千葉氏の社会的地位を低下させたとしても、被告(太田)に損害賠償責任を負担させるほどの違法性はないと念押しをします。

 「・・・本件新記事は、被告が本件旧記事を一部訂正する内容のであり、本件新部分についても、原告の名誉に関して、新たな事実を摘示するものではなく、本件書籍の要約紹介の論旨についての趣旨を説明したものにすぎないところ、その訂正記事という性格に照らすと、被告は、本件新記事を掲載することにより、原告の名誉を新たに毀損する意図や加害の意思を積極的に有するものではなかったというべきである。そして、上記・・・の説示のとおり、本件旧記事の内容と本件新記事の内容は、事実の摘示及び行為の態様も同じであり、両記事は連続する一連のホームページ上の記事というべきものである。
 ・・・<また、>本件新記事は、本件前訴(裁判A(太田))の第一審の審理中に、ホームページに掲載されたこと、そのうち本件新部分を除く部分については本件書証として被告から証拠提出されたので、本件前訴の第一審において証拠調べがされたこと、被告は、本件前訴で提出した本件答弁書において、本件新部分と同趣旨の主張をしたこと、本件前訴の第一審は、被告が本件旧記事の他に本件新記事をホームページに掲載したことを踏まえて、・・・同年12月26日、一切の事情を考慮して慰藉料額を50万円の限度で認める一部認容判決を言い渡したこと、これに対し、被告が東京高等裁判所に控訴したが、同裁判所は、・・・同年6月7日に同控訴を棄却するとの判決を言い渡したので、上記第一審判決が確定したことが明らかである。
 また、・・・被告は、そのインターネット上で本件書籍の要約紹介について、コラム記事として本件前訴の経緯について継続的に報告し、本件新記事の掲載もその報告の一環としてなされたものであること、被告は、平成18年12月27日、そのホームページ(コラム#1593(太田))において、原告の請求を一部認容した本件前訴の第一審判決の「争点に対する判断」部分を全部掲載し、閲覧者に対し、東京地方裁判所が本件旧記事により原告の名誉が毀損されたと判断した旨を知らせたこと、被告は、原告に対し、確定した上記判決に基づいて、本件旧記事に係る名誉毀損の損害賠償として50万円全額を支払っていることが認められる。
 ・・・してみると、仮に本件記事の掲載により更に原告の社会的地位が低下したとしても、本件旧記事が先に掲載されていることからすれば、その低下の程度はわずかであると評価できること、本件前訴の審理において、既に、本件新記事のうち名誉が毀損し得る部分の存在が明らかとなり、同事実を踏まえてその審理が遂げられている上、被告が原告に対し、本件前訴において確定した判決に従ってその損害賠償として50万円全額を支払っていること、本件旧記事と本件新記事は、連続する一連のホームページ上のコラム記事であり、しかも本件新記事は本件旧記事の訂正記事であるので、本件新記事の掲載を個別に取り上げてこれを独立の違法行為として損害賠償の対象とすることは相当ではないこと等にかんがみると、本件新記事の掲載には不法行為を構成する程の違法性はないというべきである。」

3 感想

 もともと、今回の裁判(B)は私の負けようがない裁判です。
 従って、いかなる理屈で私を勝たせるかが問題になるわけです。
 そういう観点からは、不満足な点が多々ある判決です。
 まず、「インターネット上の掲載文は他の情報媒体に比して一般的に信憑性が低く、閲覧者が掲載文の内容を直ちに信用するとは限らない」と、私が主張したことを判決文の中で用いたことは評価しますが、それが必ずしも判決の結論に影響していないことにはがっかりさせられます。
 私としては、だから千葉氏は、私のホームページの管理者(すなわち私)に、記事の削除や訂正を求める、あるいは私のホームページの掲示板にその旨の投稿を行えば足りるのであり、裁判を提起するまでもない、と言って欲しかったところです。
 また、「<コラム#195とコラム#1184の>両記事は連続する一連のホームページ上の記事というべきものである」と、太田述正コラム全体が一つながりの巻物のようなものととらえていることも評価します。この論理を徹底させれば、裁判Aの結末(単に一審判決の要旨がコラムに掲載されているだけでなく、控訴審判決の結果(敗訴して確定)もコラムに掲載されており、その瞬間、コラム#195の違法性は阻却される、ということになってもおかしくないからです。かみ砕いて言えば、コラム#195のどことどこが名誉毀損を構成すると裁判所が結論を下した、とコラムに書いた瞬間、読者は、千葉氏が職務を怠ったかどうかは必ずしも明らかではないのだな、と受け止めるはずだから、太田述正コラム全体としては、名誉毀損を構成する記述はなかったことになるのではないか、ということです。
 明らかにおかしいのは、「<コラム#195とコラム#1184の>いずれの記事についても、これを閲覧する者の範囲に大きな差はない」の箇所です。
 両コラムの間には2年以上の月日が流れており、太田述正コラムの読者の多くは入れ替わっており、かつ読者の数は増えています。(その後、同じことが、はるかに大規模に進行しています。)
 私の側にとって不利な話をあえてすると、コラム#195が上梓された頃は太田述正コラムの読者ではなかった人が、その後読者となり、コラム#1184で初めて千葉氏のことを知ったということは大いにありうるのであって、その場合、その読者は千葉氏に関する「誤った」認識を持ち、千葉氏の社会的地位は低下したはずなのです。
 しかも、その読者がコラム#1593が上梓されるまで読者であり続ける保証はない以上、その読者が永久に千葉氏に関する上記「誤った」認識を持ち続ける可能性だって大いにあるのです。
 つまり、太田述正コラムは単一の巻物だけど、そのどこを読むかは読者によって異なる、という実態が、この判決を書いた裁判官達には分かっていないと思われるのです。

 いずれにせよ、私が言いたいことは、公益目的のインターネット上の記述は、反論可能性が担保されてさえおれば、名誉毀損を原則として構成しない、という考え方を裁判所は採用すべきだ、ということに尽きます。
 「原則として」をつけたのは、例外的に名誉毀損を構成する場合があることを否定はしないからです。ただし、その場合でも損害賠償金を科するのではなく、原記述(とその反論)の削除でケリをつけるべきでしょう。