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太田述正コラム#2858(2008.10.18)
<アイルランドの奇跡(続)>(2008.12.4公開)

1 始めに

 以前(コラム#632で)アイルランドが一人あたりGDPで旧宗主国である英国を追い抜くという奇跡を起こした原因について「機会があれば、もっと掘り下げた分析をしてみたい」と記したところです。
 コラム#2611でほんの少し敷衍した「分析」を行ったところですが、私が注目しているリューヴェン・ブレナーによる分析(約2年前の2006年9月末に書かれたもの)を見つけたので、それをご紹介することで約束を果たすことにしました。
 
2 奇跡の分析

 (1)ブレナーによる分析

 どうしてアイルランドは西欧の最貧国の一つから最富国へと変身できたのか?
 国際的企業の本社を1,000も誘致できたのはどうしてか?・・・
 かつて<カナダの>モントリオールにあった金融センターはどうしたのか? それは約40万人の人々とともにトロントに移動した。キューバの頭脳は今どこにいるのか? フロリダだ。そしてこのため、かつて繁栄していたキューバはひどい貧困に陥ってしまった。メキシコの人的資本はどこに存在しているのか? 10%あるいはそれ以上が米国にやってきている。ロシアの何十万人にものぼる科学者、技術者、技能工達はどこに行ったのか? イスラエルだ。欧州で高い能力を持った人々はどこに流れて行っているのか? アイルランドだ。約10年の間に40万人以上、アイルランドの人口の10%に相当する人々が流入した。
 <ではどうしてアイルランドに人々がやってきたのだろうか?>
 1993年までに、アイルランド政府は、国債関係経費を除いた政府歳出を対GDP比で1985年の55%から41%まで圧縮した。こうして<歳出を切り詰めることで>政府は、法人税率を12.5%まで下げ<ることができ>た。当時の欧州諸国における最低法人税率は30%で、米国は35%だった。そして2004年からは、アイルランドは研究開発費の20%を戻し税(tax credit)の形で還元する政策をとっている。
 本当の奇跡は、これらの政策転換に伴い、アイルランドが世界中から資本とやる気のある若い人々を惹き付けたことによって起きた。今や、アイルランドの人口は欧米の中で最も若者が多くなった。
 1995年から2000年までの間に、25万人の人々がアイルランドに移住した。(このうち約半分がアイルランド人を祖先に持つ人々だった。)当時のアイルランドの人口はわずか360万人だった。
 アイルランドはその後、英国、スウェーデンと同様、2004年にEUに加盟した10カ国からその労働市場に無制限の移入を認めた。それ以来、アイルランド人を祖先に持つ人々のアイルランドへの移民は減った。その代わり、今や13万人以上のポーランド人がアイルランドに住んでいる。そして、最近の資料によれば、平均して毎月東欧から1万人が到着している。・・・
 アイルランドの人口増加は、低技能及び高技能の移民の流入によるものが大部分だ。大量の資本の流入とあいまって、この開放政策は、米国において現在戦わされている移民論議において予測されているところの負の効果を何らもたらしてはいない。アイルランドの失業率は現在約4.5%だが、1993年にはそれは15%内外もあった。それにアイルランドは当時に比べてはるかに豊かにもなった。
 およそ国であれ会社であれ、それが成功するかどうかは資本と高い能力を持った人々を惹き付けることができるかどうかにかかっている。アカウンタビリティーに欠ける政府の官僚機構ではなく、企業と金融市場こそがこの二つを適切な組み合わせへと導くことができる。企業と金融市場は創造性とやる気をよりよい経路へと橋渡しするのだ。

 (以上、
http://article.nationalreview.com/?q=ZDNjZjMyNTJjNjRmODY2YzZlNjkzZGRiOWQ0Y2IxNjk=
(10月17日アクセス)による。)

 (2)補足

 ・・・4年前のEUの拡大以前、アイルランド政府は企業がほとんど制限なく世界中から働き手を雇うことを認めていた。2000年から2004年の間に約150カ国から10万人以上の人々が到来した。アイルランドは自国領域内でEUの新加盟国の市民達が働くことを認めた既存EU加盟3カ国のうちの一つだった。(他の2国は英国とスウェーデンだった。)それ以来アイルランド政府は、企業が低技能職位を新加盟国の市民達で充足することを奨励してきた。約7万人のポーランド人がアイルランドでめでたく職にありつけた。外国人としては、英国人とポーランド人に続いてアフリカ人が多い。アイルランドには約5万人のアフリカ人がおり、彼らの多くは亡命希望者だ。・・・
 例えば、アイルランドに最低6ヶ月滞在した外国人は、地方選挙で選挙権だけでなく被選挙権すら行使できる。この政策は1972年に採用されたものだが、移民奨励策というよりは、北アイルランド向けの政策だった。北アイルランドでは、投票権を制限する法律が事実上<多くの>カトリック教徒の政治参加を阻んでいた。これがカトリック教徒が大部分のアイルランドを不快にさせており、居住を投票権の根拠とすることで、アイルランドは北アイルランドとは異なるとの姿勢を示したというわけだ。
 しかし、それが本来の意図ではなかったとはいえ、この法律は移民達に地域社会において声を上げる権利を与えた。そして何人かはこの機会を活用した。2007年には2000年にアイルランドにやってきたナイジェリア人難民・・・が、アイルランド市民ではなかったのにダブリンのベッドタウンであるポートラオイズ(Portlaoise)の市長に選出された。
 2004年まで、アイルランドはその領域内で生まれたすべての子供達に市民権を付与してきた。これは米国の制度を採用したものだ。しかし、アイルランドの政策は米国の憲法上の保証よりも寛大だった。なぜなら、アイルランド政府はこうして市民権を付与された子供達の両親達に、子供達の面倒を見るためにアイルランドに法的にとどまる権利を与えていたからだ。・・・
 このようなアイルランドでの取り扱いは広く知られるところとなり、これが一つの原因となって、1990年代初期には数百人であった亡命希望者数は2002年には11,000人以上へと急増した。アイルランドはその時点で、欧州諸国の中で<領域内での>生誕によって市民権を付与する唯一の国だった。しかし、この取り扱いを悪用する例が続出したため、2004年の国民投票で80%近くの国民がこの取り扱いを廃止することに賛成票を投じ<、この取り扱いは廃止され>た。・・・

 (以上、
http://www.slate.com/id/2201909/
(10月17日アクセス)による。)

3 終わりに

 日本の人口の10%というと、1,200万人ですが、短期間でこれだけ大量の移民を受け入れても大丈夫であった国、しかもそのおかげで高度経済成長を実現し、失業率も大幅に減らした国があったということです。
 しかし、このようなヒトの面での開国を実現するためには、カネの面でも徹底した開国を実現する必要があることも分かりますね。
 そのほか、アイルランドがそうしたように、かつての宗主国との安保条約に相当するNATO条約から脱退し、外交・安保面で宗主国から完全に自立する政策をとっていたことも忘れてはならないでしょう。
 逆に、このような手はずを整えれば、ヒトの面の開国はできる、ということです。

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