太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#2842(2008.10.11)
<ル・クレジオのノーベル文学賞受賞(その1)>(2008.11.25公開)

1 始めに

 ノーベル文学賞にフランスと(インド洋上の)モーリシャスの国籍を持つ、小説家にして児童文学者にして随筆家のジャンマリ・ギュスターブ・ル・クレジオ(68歳。1940年〜)が選ばれました。
 スウェーデン・アカデミーは「新しい出発、詩的な冒険、そして官能的な悦楽の作家。支配的な文明を越えた、またその文明の下積みの人間性を追究した」と授賞理由を説明しましたが、英米の主要メディアを元に、この受賞について少し詳しくご説明したいと思います。

 (以上及び以下は、
http://www.asahi.com/culture/update/1009/TKY200810090270.html
(10月9日アクセス)、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-nobel10-2008oct10,0,6464161,print.story
http://latimesblogs.latimes.com/jacketcopy/2008/10/french-author-j.html
http://topics.nytimes.com/top/reference/timestopics/people/l/jeanmarie_gustave_le_clzio/index.html
http://www.nytimes.com/2008/10/10/books/10nobel.html?_r=1&oref=slogin&ref=world&pagewanted=print
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/09/AR2008100900243_pf.html
http://www.guardian.co.uk/books/2008/oct/09/nobel.prize.gustave.clezio
http://www.guardian.co.uk/books/booksblog/2008/oct/09/nobel.le.clezio
http://www.guardian.co.uk/books/2008/oct/10/nobelprize-france
(いずれも10月10日アクセス)による。)

2 ル・クレジオについて

 ル・クレジオは南仏のニースで英国籍の父親とフランス国籍の母親の間に生まれました。
 彼は祖先が18世紀にフランスのブルターニュ地方からモーリシャスに逃げるように移住した家系であり、父親もモーリシャスの出身であったことから、モーリシャスがル・クレジオにとって心の古里でした。
 彼の少年時代、医者であった父親は一人アフリカでの生活を続けていましたが、ル・クレジオは7歳の時、母親らとともに父親がいたナイジェリアに赴き、そこで2年間過ごします。
 彼は、英国のブリストル大学で英語英文学を学び、卒業後ニースの文学学院(Institut d’Etudes Litteraires)を経て、エイ・アン・プロバンス(Aix-en-Provence)大学で修士号を取得し、ペルピニャン(Perpignan)大学でメキシコ初期史に関する博士論文を書きます。
 また、英国のロバート・ルイス・スティヴンソン(Robert Louis Stevenson)やジョセフ・コンラッド(Joseph Conrad)等による孤独な冒険譚から文学的影響を受け、フランス軍に勤務してタイとメキシコの大学で教鞭を執ったことがあるほか、米国ニューメキシコ州のアルブカーキ(Albuquerque)やマサチューセッツ州のボストンでも教鞭を執りました。
 マヤ文明の聖なるテキストの翻訳を出版したこともあります。
 彼の最初の結婚は離婚で終わり、1975年にモロッコ人の女性と再婚し2人の女の子をもうけ、現在はアルブカーキを拠点に、ニースとモーリシャスを往き来して暮らしていますが、ブルターニュにも自宅があります。

 彼は1963年、23歳の時に、軍隊か病院のような隔離的環境から逃げ出した、精神を病んだ若者の目に映る世界を詩的に描いて、カミュの「異邦人」を彷彿とさせると評された長編「調書(The Interrogation)」で、フランスの主要な文学賞のひとつルノード賞(Prix Renaudot)を受賞し、衝撃の文壇デビューを飾ります。
 この時、顔が似ているというので、マスコミは彼に、「フランス文学のスティーブ・マックイーン(Steve McQueen)というあだ名をつけたといいます。
 この「調書」に続く1965年の短編集「発熱」、1966年の長編「大洪水」の3作で、ル・クレジオは神話的な象徴性を帯びた独特の小説世界を確立します。
 以後、異文化圏への旅に啓示を受けて書いた長編「逃亡の書」や、パナマでの現地の人々との共同生活に題材を求めたエッセー「悪魔祓い」などを精力的に執筆し、これら一連の作品に、子どもや女性、貧困に苦しむ外国人など疎外された存在に対する共感を託しました。
 その後の主な作品として、歴史的時間とは何かを問う長編である1980年の、サハラ砂漠の原住民の女性の眼から植民地主義を批判的に見た「砂漠(Desert)」(フランス・アカデミーから最初のポール・モラン大賞(Grand Prix Paul Morand)を授与される)、そして2007年に出版された、映画史を扱ったBallacinerなどがあり、著書の合計は40冊を超えます。

3 ル・クレジオの受賞

 (1)ガーディアンの皮肉

 英国のガーディアンは、(米国では例によってほとんど知られていないところの)ル・クレジオの受賞を報じるニューヨークタイムスが、

PARIS: Amid debate over purported bias against American writers, the Swedish Academy on Thursday awarded the 2008 Nobel prize for literature to Jean-Marie Gustave Le Clezio, a French novelist, children's author and essayist regarded by some French readers as one of the country's 20 greatest living writers.

と、わざわざストックホルムではなくパリ発として記事を始め、毒のある「フランスの読者の≪一部≫から・・」という言い回しで、「俺たち米国は賞を盗まれた」というニュアンスを出した、と米国を皮肉っています。
 (これは、
http://topics.nytimes.com/top/reference/timestopics/people/l/jeanmarie_gustave_le_clzio/index.html
のことだと思われますが、私の見る限り、'PARIS'から始まってはいません。電子版は違っているということかもしれませんが・・。)

 返す刀で、ガーディアンは別の記事で、ル・クレジオの受賞により、「フランスはその文化的衰亡による鬱症状から解放された」と今度はフランスを皮肉っています。
 確かに、文学をとってみても、支那生まれのフランス国籍のGao Xingjianの2000年の受賞を除けば、フランスからは20年以上にわたってノーベル文学賞受賞者が出ておらず、アルベール・カミュ、ポール・サルトル、アンドレ・ジードらの受賞者をフランスが輩出した黄金時代は遠い昔の話になってしまっていたのですからね。
 実際、この受賞について、フランスのフィロン(Francois Fillon)首相は、「フランス文学にとっての名誉であり、大喝采でもっていわゆるフランス文化の衰亡の理論が否定された」と述べているのですから、語るに落ちたというところです。
 (もっとも、サルコジ大統領はもう少し含蓄のある発言をしています。 
 「ジャンマリ・ル・クレジオは世界の市民であり、すべての大陸と文化の子供でもある。彼は偉大なる旅行者であり、彼はフランスの影響・・グローバル化した世界におけるその文化と諸価値・・を体現している。」と。)

 何度となく繰り返して恐縮ですが、英国の欧州文明及び米国のできそこないのアングロサクソン文明に対する優越感がいかほどのものか、お分かりいただけるでしょうか。
 大体からして、ル・クレジオ自身、既にご紹介したように、父親は英国人だし、当然のことながら英語とフランス語のバイリンガルだし、英国の大学を卒業し、しかも英文学の影響を最も受けいるのですから、引き続きノーベル文学賞受賞者を輩出している英国人が米国やフランスに優越感を抱くのももっともです。
 
 (2)その他

 ル・クレジオは2001年に、「欧米の文化は一枚岩になりすぎた。それは都市と技術的側面に可能な最大の力点を置くがために、例えば宗教性とか感覚といった、その他の表現形式の発展を妨げてしまっている。合理主義の名の下で人間の全ての不可知な部分が闇に追いやられてしまっている。このことを自覚したことが、私をして他の諸文明への関心へ誘ったのだ。」と述べています。
 受賞の知らせを受けたル・クレジオは、「<文学は、>図式的な答えなどないところの現在の世界についての問いを投げかけるとても良い手段だ。小説家は哲学者ではないし、語学の技術者でもない。彼は書く人であり、自分自身に問いを投げかける人なのだ。メッセージを送るとすれば、われわれは自分自身に問いを投げかけなければならない、ということだ。」と語りました。
 12月に行われる彼の受賞講演は政治的色彩を帯びたものになるだろうと予想されています。
 クレオール(Creole。フランス語と現地語の混淆語)の作家達の作品の出版に力を入れてきたル・クレジオは、欧州の大都会のエリートでない若い作家達を世に出すためのキャンペーンを講演で行うだろうというのです。
 彼は、戦争反対を唱えるとともに、発展途上国における女性の権利増進、子供による売春禁止も推進してきました。

(続く)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/