太田述正コラム#2924(2008.11.20)
<皆さんとディスカッション(続x312)>

<遠江人>

 保守派はそれこそ左翼のことを何年にも渡ってボロクソに批判しているわけですが、私がした保守批判などそれに比べれば大したことはないのではないでしょうか。

≫ただこの説明を読んで、保守派知識人というのはピンからキリまで純粋で騙されやすくて頭はそんなに良くない人たちで占められているかのような印象を持っちゃいましたが。実際はそれだけでは無いんでしょうけど。≪(コラム#2922。VincentVega)

 月末になったら保守系の月刊誌の何冊かを本屋で立ち読みしてみてください。
 そこでちょっと想像していただきたいのですが、内容を英訳して海外(属国ではない世界)で通用する内容のものが、はたしていくつあるのかということです。
 これをとりあえず3回(3ヶ月)繰り返してみてください。簡単ながら個人個人である程度の評価ができるのではないでしょうか。

<moshika>

≫個人的には、保守派の思想の定義として、「ナショナリズム」と「郷土愛」と「命をかけて公のために働くということ」があまりにも区別されずにごっちゃになっている(と思われる)ことも、「ホシュとネトウヨ」の増加に拍車をかけているような気がしています。≪(コラム#2920。遠江人)

 遠江人さんの「ナショナリズム」と「郷土愛」と「命をかけて公のために働くということ」の区別についてお教え願えませんか?

<太田>

 「パトリオティズム」と「ナショナリズム」は、英和辞典をひくと、どちらも「愛国心」という訳語があてられており、私が「パトリオティズム」の訳語として「郷土愛」をあてたのが果たして適切かと言われそうですね。
 それはともかく、私の感覚では、「郷土愛」とは、自分の生まれ育った古里の自然、人々、文化等に対する愛着を指すのに対し、「ナショナリズム」とは、国家の支配者が自分(達)の支配を正当化するために被支配者が抱く郷土愛・・「郷土」の領域的範囲は必ずしも「国家」の領域的範囲と一致しない・・につけ込んで、被支配者に吹き込むイデオロギーです。
 また、「命をかけて公のために働くということ」は、「郷土愛」や「ナショナリズム」とは次元の違うものであり、利他主義の一つの例だと思います。

<ひん>

≫保守派知識人というのはピンからキリまで純粋で騙されやすくて頭はそんなに良くない人たちで占められているかのような印象を持っちゃいましたが。≪(コラム#2922。VincentVega)

というコメントについてですが、例の「桜」のコメンテーターの話を聞いていて感じるのが、「矜持」だとか「誇り」とかいう「精神論」が前面に出ているコメントが見受けられるなあということです。

 保守派コメンテーターがそんなことを言うのであれば、与党の政治家はとりあえず(腹の中はどうであれ)精神論をからめてトークする。そうすれば、保守派コメンテーターは「おっ、この政治家は自分と似たような考えを持っているかも!」と支持してしまう。かくして、保守派は現与党の政治家さんに取り込まれてしまう。

 そうなっているのかなあと思います。

 また、誇りとか努力とかいう精神論についてはまじめな話、8割9割の日本人は否定はしないでしょうから、それを政治家に持ち出されると、一般人の方々もその話に取り込まれるんでしょうね。

 だから、何も変わらないんですよね?

<海驢>

 太田さんの伊東乾氏コラム評(コラム#2922)、拝読いたしました。
 やはり、そうですよね。
 コラム#2898に転載いただいた投稿で、「伊東乾氏については、当方も引用したこともあるのですが、ご専門以外の歴史認識等はかなり違和感ある人という印象です。」とやや控えめに申し上げたのですが、誤謬が多すぎて指摘していたら掲示板の文字制限に引っ掛かってしまったのが実状でした。
 太田さんが指摘されることで、誤った認識が広まるのを防止する(大きな)効果があると想像しますので、大変嬉しく思いました。

 ところで最近、太田コラム上では「右」「保守」叩きが盛り上がっている(?)ようにお見受けしました。
 太田さんは「」付きでお書きなので、例によってご承知の上だと思いますが(意識している読者がどのくらいおいでか・・・)、ナショナリスティックに勇ましく吠えているのが右翼・保守だと思われているような懸念を感じます。

 ご存知の方も多いと思いますが、元来、右翼とはフランス革命後の議会で議長席から見て右側を占めた保守・穏健派のことで、反対側に席を占めた改革・急進派が左翼と呼ばれました。人工的な理念に基づく急激な改革や革命によって社会を改造してゆこうとする左翼に対し、歴史の叡知に学び伝統を重視して共同体の持つ固有の価値観を守ってゆこうという立場なのが右翼・保守である、というのが当方の認識です。

 現代では用法が拡大されて語義が違ってきているかもしれませんが、正しい認識を広めることが吉田ドクトリン・自民党の欺瞞を暴き、日本の正常化にもつながると思いますので、一度太田コラムで「右」と「左」の基本認識、変遷や功罪について取り上げていただけると幸甚です。
 (すでにありましたっけ?>遠江人さん)

 ちなみに、当方は自分で「右」だと思っていますが、決して自民党支持ではない(国政選挙で自民党に投票したことは19年間で一度もない)ですし、一方で共産党に投票したこともあります(ただし、「皇室廃止」テーゼは支持できないので国政選挙では入れない。もちろん、公明党にも入れない)。

※ポリティカルコンパスによれば、当方は「保守左派:政治的な右・左度4.2、経済的な右・左度-4.07」です。
※参考:ポリティカルコンパスについて http://sakidatsumono.ifdef.jp/political-compass.html

<太田>

 右翼と左翼の違いの歴史的説明については他日を期することとして、右翼を保守、左翼を革新、と正確ではないことは承知の上でとりあえず言い換えることにしましょう。
 私の「右」とは保守、「左」とは革新を指していると思っていただいて結構です。

 私は、日本の現在の状況・・政官業等の癒着と米国の属国であること・・には極めて憂うべきものがあり、抜本的改革が必要であると思っています。
 ですから私自身は、現在の日本では大部分の人々が革新側を支持するか革新側にシンパシーを抱いてしかるべきだと思っているのです。

 しかし、なかなかそうはならない。
 じれったくなって、現状において自分を保守だと思っている人は頭が悪いか頭がいかれているか不誠実であるか、のいずれかまたはその組み合わせだ、と私はつい言いたくなってしまうのです。
 ところが、中にはどう考えても頭が悪くなく頭がいかれてもいず不誠実でもないひとで、保守を標榜している人々がいます。
 そういう人々は、日本の現状から、権力・名誉・カネの全部または一部について利益を得ている人々であって、日本が改革されるとこの利益を失うので改革に抵抗しているのだ、と私は見ているわけです。
 このような私の受け止め方が正しいとすれば、日本の現状に警鐘を鳴らす私の活動に革新側の朝日新聞、東京新聞、赤旗、社会新報、そして週刊金曜日等が強い関心を示す一方で、保守側の産経新聞、読売新聞、諸君等が関心を示さないのは、しごく当たり前である、ということになります。
 TV局については、朝日放送だけでなく、読売TVや日本TV、そしてフジTVだって関心を示したではないか、とおっしゃるかもしれませんが、TVは視聴率を稼げばいいわけで、ある意味無節操なのですよ。産経新聞がとりあげなくても、夕刊フジは私をとりあげるのと同じです。
 道理で私の場合、保守の人々とは話が全く合わないので、話がはずまないけれど、革新の人々とは話がはずむわけです。

 ところで、保守の人々とは結論だけ一致するが、革新の人々とは結論だけ正反対になる、と申し上げてきましたが、これは正確には、保守の人々の中で頭が悪い人や不誠実な人とは結論だけ一致する一方、革新の人々の中で頭が悪い人や不誠実な人とは結論だけ正反対になる、ということだろうと思います。
 ややこしいこと言うなですって?
 ちょっとお考えいただければ、私の申し上げていることをお分かりいただけるはずです。
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太田述正コラム#2925(2008.11.20)
<日本帝国の歴史2題>

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