太田述正コラム#2502(2008.4.22)
<史書と小説>(2008.10.23公開)

1 始めに

 歴史小説「論争」(コラム#2479、2481)を覚えておられると思いますが、米ニューヨーカー誌に掲載されたコラム(
http://www.newyorker.com/arts/critics/atlarge/2008/03/24/080324crat_atlarge_lepore?printable=true 
。4月18日アクセス)を手がかりに、史書と小説の関係が英米でどう受け止められているかを探ってみました。

2 史書と小説

 つい最近まで、英国では、世界最初の小説(novel)はデフォーの『ロビンソン・クルーソー(The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe)』(1719年)だという説が唱えられていました。
 さすがにそうではあるまい、と最近では、『源氏物語』等が最初の小説候補に挙げられるようになってきました。
 それでも、『ロビンソン・クルーソー』が英国最初の小説であるとの観念に変わりはないようです。
 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Novel
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Defoe
(どちらも4月22日アクセス)も参照した。)

 つまり、英国人に言わせれば、18世紀に、英国最初の小説がイギリス人の手によって生まれ、かつまた世界最初の近代歴史書がスコットランド人の手によって生まれた(コラム#2496)、ということになるわけです。
 ところで、『ロビンソンクルーソー』は、小説として売り出されたのではなく、史書(history)として売り出されたことをご存じですか。
 この小説の序文にいわく、「編者(デフォー(太田))はこれは事実の歴史に他ならないと信じている。フィクションめいた部分はない」と(Novelに係る上記ウィキペディア)。

 上記ニューヨーカーのコラムは、概略次のように記しています。

 古典ギリシャ人にとっては史書は文学作品でもあった。。
 アリストテレスは、両者を区別した上で、「一方は何が起こったかを伝え、もう一方は起こりうることを伝える。実際だからこそ、詩作はより哲学的な活動であり、史書を書くことより大切なこと(be taken more seriously)なのだ」と記した。
 現代の歴史家は、逆に、文学作品より史書の方がより大切なことだ、と主張しているわけだ。
 しかし、18世紀には両者の境界は現在ほど明確ではなかった。
 一つには、両方を共にものする人物が沢山いたことだ。
 フランスのヴォルテール、そして英国のフィールディング、スモレット(Tobias Smollett)、ゴールドスミス(Oliver Goldsmith)、デフォー、ゴドウィン(William Godwin)、ウォルストーンクラフト(コラム#71)、ブラウン(Charles Brockden Brown)らがそうだ。
 もう一つは、デフォーから始まったことだが(上述)、小説を史書に擬制して上梓するのがはやったことだ。
 つまり当時は、小説は、無名の一個人についての「史書」として書かれたのだ。
 ロビンソン・クルーソーは男だったけれど、無名性は女性にこそぴったりだ。だから、18世紀末までには、小説の主人公はもっぱら女性になり、作者も読者ももっぱら女性になった。
 それと同時に、史書の著者と読者はもっぱら男性、ということになった。
 ジェーン・オースティン(Jane Austen)が1803年の自作の滑稽小説の中で記したように、女性にしてみれば、史書なんて、法王達や王様達の争いとか戦争とか疫病とかばかりが描かれている上、女性が登場することもないので、面白くも何ともないし、第一本当のことが書かれているかどうか分かったもんじゃない、という代物だったからだ。
 ところが、この50年間はちょっと事情が変わった。
 社会史が大流行りとなり、少なからぬ歴史学者が普通の人々の個人的生活を史書のテーマに取り上げるようになったからだ。

3 終わりに

 そう言えば、世界最初の小説最有力候補の一つである『源氏物語』は女性である紫式部によって書かれたし、現在でも日本で女性の歴史学者はまず聞いたことがないですね。
 ということは、歴史を取り上げることが多い太田述正コラムは、女性に敬遠され続けるのかも・・。