太田述正コラム#2496(2008.4.19)
<駄作歴史学史書の効用(その2)>(2008.10.20公開)

3 私の感想

 (1)欧米以外の無視

 バローが、欧米以外の歴史家を無視したことは、少なくとも少し前までのイギリスの「並の」エリートの世界観を如実に示しています。
 ただし、注意しなければならないのは、だからといって、英米における、欧米以外の歴史家ないし歴史書についての研究水準が低い、というわけではないことです。
 それは例えば、支那最初の歴史家と目される司馬遷(Sima Qian。BC145?〜BC86年)(注1)に関するウィキペディアの英語版と日本語版の質と量を比べただけでも分かります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%B7 
http://en.wikipedia.org/wiki/Sima_Qian
(どちらも4月19日アクセス。以下同じ)

 (注1)司馬遷自身は、恐らく、(孔子の手が入っているとされる)『春秋』を世界(支那)最初の歴史書と考えていただろうが、『春秋』を単なる史実の羅列以上のものと認識すべきかどうか、現時点では定説がない(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B)。

 量については一目瞭然ですが、質については、例えば、日本語版は、司馬遷の『史記』を『漢書』、『後漢書』、(後略)と続く王朝史の第一番目とのみ評価しているのに対し、英語版では、内容においてという趣旨で司馬光(Sima Guang。1019〜1086年)の『資治通鑑』、鄭樵(Zhengqiao。1104〜1162年)の『通史』、等に大きな影響を及ぼしたとした後、形式においてという趣旨で班固(Ban Gu。32〜92年)の『漢書』、以下の範例となったと「正しく」評価していることです。『史記』は特定の王朝を扱ったわけではなく、黄帝(伝説と注記されている(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9A%87%E4%BA%94%E5%B8%9D
))から堯舜、夏、殷、周(西周、春秋、戦国)にかけての2,000年に及ぶ、当時における支那の全史を、著者の見解を織り込んで、様々な角度から描いた歴史書であることを思い出して下さい。
 英米の学者や好事家は、自分達に何の影響も与えていない司馬遷や『史記』をホッテントットの習俗のごとく、博物学、と言って悪ければ文化人類学の対象として珍重し、研究しているに過ぎないのだけれどその関心、研究のレベルは高いのに対し、日本の学者や好事家は、司馬遷や『史記』が日本人の人間観や歴史観に大きな影響を与えたというのに、現在ではその関心、研究のレベルが低い、ということではないか、と私は憂えるものです。
 支那関係の項目でウィキペディアの日本語版が英語版より見劣りするなんて恥ずかしいではありませんか。
 少なくとも、支那自身の人文社会科学が中共当局の軛を脱して離陸を果たすまでは、支那のためにも日本人が頑張らなければならないのではないでしょうか。
 
 (2)英国中心性

  ア 英国中心性

 私が典拠としたバローの本の書評5篇のうち、唯一の米国における、しかも唯一米国人による書評がバローの英国中心性を最も激しく批判していることは興味深いものがあります。
 この書評子は、「バローのドーバーより向こうの世界についての言及はジェスチャーに過ぎない。それは「<イギリス>海峡に霧がかかり、大陸は切り離されている」という強いにおいを漂わせている」とまで述べています(
http://www.slate.com/id/2188734/前掲)。
 英国のエリート達が希にしか明かすことがないホンネを、この欧州史の専門家である米国人が遠慮会釈無く暴いた、というところでしょうか。

  イ ロバートソンの評価

 もう一つ、バローが最初の近代的歴史書を書いたのはスコットランド人のロバートソンだとしていることについては、私も共感を覚えますが、その理由は、バローが言うところの、スコットランド人が興味に任せて、スコットランド史(やイギリス史)ならぬスペイン史をものしたからだ、という点には不同意です。
 私は、スコットランド人のロバートソンが、スコットランドもその一員であるところの欧州についての近代的歴史書をものしたと見ているからです。
 ではいかなる点においてロバートソンは近代的歴史書を書いたのでしょうか。
 ロバートソンの書いた歴史書のタイトルにだまされてはいけません。カール(カルロス)5世は、(実際に統治下にあったのはその一部分ではあれ、)欧州全体の皇帝なのであり、バローはカール5世の治世史に藉口して、欧州史を生産手段の発展によって時代を画された歴史として描いたからこそ、それは最初の近代的歴史書となったのです。
 具体的には、ロバートソンは、狩猟採集経済→牧畜・遊牧経済→農業経済→商業(資本主義)経済、という、同じくスコットランド人たる哲学者のケームス(Henry Home, Lord Kames。1696〜1782年) や哲学者兼経済学者のアダム・スミス(Adam Smith。1723〜90年)が提唱したところの、社会発展段階論に基づく歴史書を世界で初めて書いた、ということなのです。
 (以上、Arthur Herman, How the Scots Invented the Modern World PP100 による。)
 言うまでもなく、これは、未開→古代→中世→近代というおなじみの近代的歴史観の生誕を意味したわけであり、後にマルクスがこの歴史観を唯物史観として定式化したこともあり、現在では多かれ少なかれ、全世界の歴史が、このような近代的歴史観に基づいて記述されるに至っているわけです(注2)。

 (注2)ロバートソンは、欧州史を、農業経済のローマ帝国→ゲルマン人の侵攻による農業経済の破壊と牧畜・遊牧経済への先祖返り→農業経済の回復→低地地域及びイタリアから始まった商業経済の全欧州への普及、として描いた。(Herman上掲PP100)

 私見によれば、このような段階発展論的な歴史は、欧州においてしか見出すことができないのであって、決して普遍化してはならない・・最初から商業社会であったイギリスにも、発展しつつ縄文モードと弥生モードが交替する日本にも、発展と衰亡を繰り返す循環史ばかりであるところの欧州以外のユーラシア諸地域にもあてはまらない・・のですが、このことを詳しく論じるのは別の機会に譲りましょう。

(続く)