太田述正コラム#2456(2008.3.30)
<駄作史書の効用(その2)>(2008.10.14公開)

  ウ ヘーゲル

 1822年から23年にかけての冬、ドイツの哲学者、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel。1770〜1831年)はベルリン大学で連続講義を行った。演題は歴史哲学だった。
 歴史とは彼にとっては、精神または理性の前進を意味した。そしてこのドイツの預言者にとってはこのたゆみなく続く過程は高度に具体的な意味を持っていた。すなわちそれは、西側世界によるところの、彼が完全に停滞的であると思っていた非西側世界の吸収だったのだ。
 東のイスラム世界はカリフの時代から進歩がなく、インドと支那は停滞的社会であり、進歩して何か他のものになるというようなことが絶対にできない社会だというのだ。
 結論は明白だった。「欧州諸国にアジアの諸帝国が従属するのは必然的運命なのであり、支那は早晩この運命に身を委ねざるをえないだろう」

  エ マルクス

 このヘーゲルの非西側世界観はマルクス(Karl Heinrich Marx。1818〜83年) によって受け継がれた。
 マルクスは欧州の植民地主義を、それがアジア的生活の非活動性を攪乱するとして前向きに受け止めた。

 (西側の学者達は何世代にもわたってソ連共産主義の全体主義的性格を東洋的専制主義への退歩と描写することで説明しようとしてきた。この西側世界についての信条はソ連体制が崩壊した時に昂揚した。この出来事は、西側の制度や価値観が必然的に非西側のそれらを席巻するということを最終的に証明したものとして言祝がれた。)

  オ J.S.ミル

 イギリスの経済学者、J.S.ミル(John Stuart Mill。1806〜73年)は、イギリス史にとって、アテネ軍等がペルシャ軍に勝利したBC490年のマラソンの戦い(Battle of Marathon)は、ノルマン人がイギリス征服に成功した1066年のヘースティングスの戦い(Battle of Hastings)より重要な出来事だと述べた。

  カ ルナン

 フランスの哲学者、ルナン(Ernest Renan。1823〜1892年)はキリスト教世界とイスラム世界の本質的な違いは前者においては宗教は日常生活と宗教生活双方を律することを許されたことがない(カエサルのものはカエサルに・・)点にあると述べた。

  キ キップリング

 イギリスの文学者、キップリング(Joseph Rudyard Kipling。1865〜1936年) は、「おお。東は東で西は西であり両者は出会うことはない。天と地が神の偉大なる審判席において分かれている限り」と述べた。

  ク ハンチントン

 米国の政治学者、ハンチントン(Samuel Phillips Huntington。1927年〜) は、湾岸戦争後に書いた『文明の衝突』において、西側世界とイスラム世界は深刻な紛争を引き起こすべく運命づけられていると記した。
 彼によれば、イスラム世界においては、法、政治、そして文化が宗教的信条によって規定されているがゆえに、改革と事業、更には民主主義が根を下ろすために必要な活発な世俗的議論が不可避的に窒息せしめられるというのだ。

 (3)結論

 イスラム社会は、人間の意志や契約ではなく聖なる布告によって究極的には律せられている。これに対し西側の社会では、生活の全てが人間の選択の問題としてとらえられているのだ。
 寛容、対話、そして相互理解が美徳であると言っているのは誰か。それは常に世俗的な西側の人々だけだ。
 よって東西の対立は今後とも続くだろう。

3 批判

 (1)米英での批判

  ア パグデン言うところの東方世界は狭すぎる。支那、日本、及びその他の極東が含まれておらず、インドも事実上含まれていない。要するに、ペルシャ/イラン。オスマン帝国/トルコ、エジプト及び今日のアラブ世界だけが対象だ。

  イ パグデンはビザンツ帝国を西側世界に含めているが、同帝国は神政的かつ攻撃的なキリスト教国家だった。他方、イスラム時代のイベリア半島はアッバース朝の黄金時代であり、人文主義的諸思想に対して真に寛容であり、ここで古典時代の知的遺産が生きた状態で保持された。
 パグデン自身、イスラムと近代主義は完全に背馳するものではないことを認めている。 例えば19世紀、リベラルな神学者であったところの、エジプトの首席イスラム教法典説明官(chief mufti)たるムハンマド・アブドゥー(Muhammad Abduh。1849〜1905年)は、啓示と理性は両立可能であり、結婚や離婚に係る世俗法が成り立つ余地さえある、という主張を試みたものだ。

(続く)