太田述正コラム#2831(2008.10.5)
<皆さんとディスカッション(続x266)>

<MS>

 11月1日(土)の太田述正オフ会参加希望連絡
 出席希望の方は以下のフォームに記入して送ってください。
http://www.ohtan.net/meeting/
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<消印所沢>(http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08a03u02.html

【質問】
 戦前の米国が対英戦争を想定したレッド計画を作っていたのは何故か?
【回答】
 英国が米国にとって最大の脅威であり続けたからだ,と主張する者もいるが,その根拠は怪しく,疑わしい.
 実際には,1903年に陸軍戦争大学,1921年に陸軍戦争計画局が設立されたことに伴い,アメリカで戦争研究が盛んになったために過ぎないと考えるのが自然だろう.
***
 太田述正コラム#1621(2007.1.16)によれば,英国が米国にとって最大の脅威であり続けたからだという.
 同コラムが,
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/12/29/AR2005122901412_pf.html
http://www.shunpiking.com/ol0309/0309-WD-UswarplanRED.htm
http://lefarkins.blogspot.com/2005/12/war-plan-red.html
http://www.glasnost.de/hist/usa/1935invasion.html
http://www.ihr.org/jhr/v12/v12p121_HNAC.html
http://www.lewrockwell.com/floyd/floyd42.html
http://thoughthammer.com/product_info.php?products_id=1787
http://en.wikipedia.org/wiki/War_Plan_Red
(いずれも1月16日アクセス)
をソース――ただし,「最後から二番目の典拠は信頼性に若干疑問があるので,これに拠った箇所は≪≫に入れた」としている――にして論じるところによれ ば,米国が行った戦争の中で,米国が負ける可能性があったものは,2回行った英国との戦争だけであり,しかも,英国は,カナダが独立するまで米国と長い国 境を挟んだ隣国であったため,英国が米国にとって最大の脅威であり続けたという.

 米国人の多くは,独立戦争の時に英本国側に与したカナダ人を快く思っておらず,また,≪第1次大戦頃の米国の対英作戦計画には,しばしば英国が米国との人種的紐帯を裏切って日本と同盟しているという文言が登場≫しているという.

 さらに,1920年代には米国の対カナダ投資が英国のそれを抜き,対するカナダは,早晩米国によるカナダ侵攻が避けられないと判断,1921年に,カナダ軍の作戦・情報部長のブラウン(James Sutherland Brown)は,カナダ侵攻の兆候があったら対米先制攻撃を行った上で,橋や道路を破壊しつつ次第に撤退し,英本国軍来援までの時間稼ぎをする,という作戦計画,Defence Scheme No. 1を策定したという.

 これに対して,アメリカはレッド計画をフーバー(Herbert Hoover)大統領の時の1930年に策定完了.
 ローズベルト(Franklin Delano Roosevelt)大統領の時の1934年と1935年に改訂されるが,1934年の改訂は,カナダの人々に対して化学兵器を先制使用することと,カナ ダのハリファックス市の占領に失敗した場合に同市に戦略爆撃を行って破壊することを認めたものだという.

 計画の詳細について,太田は次のように述べている.
 レッド計画は,英国との戦争は,英国人が冷静で最後まで戦い抜く傾向があり,かつ,英軍は英国の植民地の有色人兵力による増強が見込めることから,長期戦になると見ていました.
 具体的な作戦は,英・豪・ニュージーランド・インド軍によってフィリピンとグアムが占領されるのは甘受する代わりに,米国はカナダに侵攻するとともに,カリブ海における英国の全植民地に海空からの攻撃を加え,そのうちのいくつかの島は占領する,というものでした.

 また,作戦開始と同時に,米国内の英国人やカナダ人は強制収容所送りにする計画でした.

 そして,万一米国が敗れるようなことがあれば,アラスカを失うであろう一方,米国勝利の暁には,英領のカナダとジャマイカ・バルバドス・バミューダを米国は併合するとともに大英帝国を解体するつもりでした.

 ≪もっとも,米国の武器製造能力,特に艦艇の製造能力は英国のそれを上回っているので,戦争が長引けば米国は必ず勝利すると見込んでいました.≫

 1935年には,レッド計画に基づく作戦準備が開始されます.
 まず,カナダとの国境付近に,5,700万米ドルの予算で民間空港に偽装した航空基地の建設が始まります.カナダの航空基地にここから飛び立った軍用機で先制奇襲攻撃をかけるためです.
 この件の議会での秘密聴聞会でのやりとりが漏れてカナダ政府が抗議するという騒ぎが当時起こっています.
 更に同年,米軍は,史上最大規模の軍事演習をカナダ国境付近で行うのです.
 すなわち,オタワの国境を挟んだ南方に36,000人の兵力を終結させ,ペンシルバニア州に15,000人の予備兵力を控置させたのです.

 このレッド計画が無効とされたのは,日独伊の枢軸国に対する,オレンジ計画を発展させたレインボー計画が策定された1939年になってからです.

 この論の難点は,

 ・一度でも戦争を行った国同士に,ある程度の感情的わだかまりが残るのは,むしろ当然であり――欧州の例を見よ――,それをもって,戦争に発展するような現実の脅威として感じていたかどうかは別問題であること
(ただし実際に兵力配置を対カナダ戦向けに行っていたとされることは,留意されるべき)

 ・純軍事的に見れば,当時世界最強(だと考えられていた)英国を最大の仮想敵国と考えるのは,むしろ当然であり,それを考慮した作戦計画が存在していても不自然とは言えない

ということになろうか.
 また,「自衛隊の戦力は実質ゼロ」説に関する論争から観るに,太田をソースとすること自体に問題もある.

<バグってハニー>(同上)

 所沢さんの二点の反論が核心をついていると思います.

 レッド計画が米国にとって重要で差し迫った具体的な計画であったと主張するため,太田氏はホロコースト肯定論者であるにもかかわらず,悪名高い IHR(歴史見直し研究所)やボードゲームの解説文まで引用していることから,いかにデスパレートであるか察せられるというものです.

 太田氏の論拠の一つであり,対カナダ戦向けに実際に兵力が配置された,と主張しているのはFloyd Rudminというカナダ国籍の心理学者です.
 彼の著作を読んだわけではないので,実際に何を根拠にそう主張しているのか分かりませんでしたが,検索をかけた限り,この事実を主張しているのはRudminだけです.
 そして太田氏の引用文献のうち,二つはこのRudminによるものです.
 1935年夏にカナダ国境のパイン・キャンプ(現フォート・ドラム)で平時としては最大規模の軍事演習が行われたこと自体は事実です.
 下の写真は,その模様を伝える新聞報道から.
 36,500人を動員した大規模演習は予定通り二日間で終了.
 Rudmin先生はこれをカナダ侵略の予行演習だと主張しているんですね.
 単なる思い込みだと思いますが,
 日本にも関特演なんてのがありましたねえ.
 ソ連はそれをもって,「不可侵条約を先に反故にしたのは日本のほうだ」と主張してましたが...
 一方で所沢さんと同様に,レッド計画の具体性に疑問を呈する文章も見つけました.
http://www.straightdope.com/mailbag/mcanadawar.html
 こちらは誰が書いているのかはっきりしなかったのですが,参照文献に挙げているRichard A. Prestonはカナダ歴史学会会長も務めた歴史学者,Thaddeus Holtは陸軍省副次官も務めた法律家,となっているので,妥当性・確度は高いと思われます.

 まず,
>・純軍事的に見れば,当時世界最強(だと考えられていた)英国を最大の仮想敵国と考えるのは,むしろ当然であり,それを考慮した作戦計画が存在していても不自然とは言えない

に関して.そもそも,偶発戦争に備える計画(Contingency plan)は,軍事的に必要なものであって,レッド計画が特異的なわけでも,米国の専売特許でもないということです.
 当時,米国にはレッド計画以外に,ホワイト(内戦),グリーン(対メキシコ),グレー(対カリブ海国),パープル(中央アメリカ),ゴールド(対フランス,カナダ・英国との同盟),レッド−オレンジ(対日英同盟)というのもありました.
 レッド計画(よくあるのはオレンジ計画)だけを取り出してことさら強調するのはミスリーディングです.

 そもそも,この手の戦争研究は19世紀のプロイセン/ドイツのまねであり,1920年代になって米国で盛んになったのは,1903年に陸軍戦争大学,1921年に陸軍戦争計画局が設立されたという経緯があるからです.
 レッド計画の主な対象であるカナダでも,太田氏が紹介した防衛計画一号(対米国)以外に,防衛計画二号(対日本),防衛計画三号(対欧州)というのもありました.

 戦争計画が発動されるかどうかは政治によって決まります.
 19世紀には確かに米加あるいは米英間で軍事衝突が何度か起きていますが,20世紀に入ると,緊張はどんどん緩和されていきます.
 すなわち
・ベネズエラとイギリス領ギアナ間の国境紛争の円満解決(1899年)
・中米に計画されていた運河の通行の自由を定めた英米間のヘイ・ポーンスフット条約(1901年)
・五大湖などをめぐる国境紛争の解決を目指した米加間の国境水域条約(1909年)
・これを基に成立した米加二国間の組織である国際共同委員会
・ワシントン海軍軍縮条約(1921年)
などなど.
 ですから,議会の秘密聴聞会からレッド計画の一部が漏れると,ルーズベルト大統領は激怒して,このような計画は大統領や同政権の政策をなんら反映しておらず,今後このような証言を行う場合は,軍の最高司令官であるルーズベルト自身からまず許可をとるように,と陸軍長官と下院の陸軍聴聞会議長に警告しまし た(1935年5月1日付ニューヨークタイムズ一面記事).

 太田氏は同コラムで,ブラック計画(対独戦)が手付かずであった点を根拠に,米国はドイツを「友邦」とみなしていたと主張していますが,これは暴論もはなはだしいです.
 二つの大戦時の大統領であるウィルソンとルーズベルトは,大統領選挙で欧州の戦争に参戦しないことを公約にしており,ウィルソンは1916年に,もしも対独戦を計画していることが発覚したら将軍を全員クビにする,と脅しをかけました.
 つまり,ブラック計画がなかったのは政治的リスクがあまりにも高かったからであり,戦争計画のあるなしから単純にある国を敵視あるいは友邦視していたと結論することはできません.

<太田>

 わが太田コラムの名誉会員のお二人のささやかな「非行」を見つけたって感じですね。
 消印所沢さん、本当に

>「自衛隊の戦力は実質ゼロ」説に関する論争から観るに,太田をソースとすること自体に問題もある.

と思っておられるのなら、私のコラムを配信させていただいていること自体が迷惑だということになりかねませんねえ。

 バグってハニーさんは、同じ趣旨の反論を私に寄せるか、せめて反論を他サイトに載せた、とご連絡をくださっておればスマートだったのにね。
 私の典拠をあげつらっておられるが、当該コラムを書いた際に私が基本的に拠ったのは、掲げられているワシントンポストの編集委員(Staff Writer)による記事です。
 私の知る限り、この記事の訂正もいわんや撤回もなされていません。
 その他の典拠に拠った部分はごくわずかです。
 ワシントンポストが社として責任を負う記事に歪曲があるとおっしゃっているわけですから、これは大事(おおごと)です。私を陰でくさしているヒマがあれば、米国内のしかるべきサイトに英文で同記事に対する反論を投稿すべきでしょう。
 ちなみに、関特演については、

 ・・・ドイツ・ソ連戦開始(6月22日)の直後、昭和16年(1941年)7月に行なわれた「関東軍特種演習」は、「関特演」という略称で呼ばれます。この時の「関特演」は、実際には単なる軍事演習ではなく、対ソ連開戦を見据えた関東軍の戦力増強策でした。・・・

というのが、日本政府の公式見解です(
http://www.jacar.go.jp/nichibei/reference/index08.html
。10月5日アクセス)。
 旧防衛庁は、対ソ戦、対中共戦、対北朝鮮戦の三つの作戦計画をつくっていたけれど、作戦計画に基づく演習を行っていたのは対ソ戦だけです。
 戦前の米国が、レッド(作戦)計画に基づいて秘密軍事飛行場を3つもつくった上、1935年に対カナダ(英国)戦を想定してそれまでの米国史上最大規模の演習を行った・・当然ローズベルト大統領の了解を得て行ったはず・・ことの重みを理解して欲しいものです。
 蛇足ながら、
http://www.straightdope.com/mailbag/mcanadawar.html
は、この演習に言及していないこと一つとっても、話にも何もなりません。

 もう一つ言っておくと、戦前の米国は(中国国民党やナチスのような)ファシズムや共産主義、とりわけファシズムに対して無警戒過ぎた、ということは私がかねてから力説してきたところです。(何と対ドイツ戦を想定したブラック計画が策定されたのは1939年になってからでした。)これは、ニコルソン・ベーカーの'Human Smoke' (コラム#2419以下、多数)のテーマでもあります。

 最後に、お二人がそうだとまでは言わないけれど、どうして日本の軍事愛好家(畳の上の水練愛好家?)の皆さんは、事大主義的な親米派にして自民党支持者=構造的腐敗愛好家・・私に言わせれば反日派・・ばかりなのかねえ。
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太田述正コラム#2832(2008.10.5)
<ノーベル賞がとれない米国の小説家(続)(その2)>

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