太田述正コラム#2739(2008.8.19)
<ムシャラフ辞任後のパキスタン>(2008.9.29公開)

1 始めに

 パキスタンのムシャラフ(Pervez Musharraf)大統領が18日、(今年2月の総選挙で野党が多数を占めた)議会による大統領弾劾の動きを受けて、辞任しました。
 ムシャラフは、私にとって英国防大学(Royal College of Defence Studies)の先輩であることもあって、彼には密かに声援を送り続けてきました。
 その彼が9年半に及んだ大統領としての危険な激務を、命をまっとうし、しかも自分の意思で終えることができたことを心から祝福したいと思います。
 私が、英国防大学の研修団の一員としてパキスタンを一週間訪問したのは1988年のことでしたが、その時私は、この国が様々な巨大な遠心力によって引き裂かれようとしていると感じ、それほど遠くない将来、統一した国としては存続できなくなるだろうと予想しました。
 この予想は完全にはずれましたが、パキスタンが統治のひどく困難な国であるという実態は何ら変わっていません。
 ムシャラフがいなくなった今、そんなパキスタンがどうなるのか、急ぎとりあえずの考察を行ってみましょう。

2 ムシャラフ辞任後のパキスタン

 (1)パキスタンの政治に変化なし?

 1999年にムシャラフが無血クーデターで、無能で腐敗したシャリフ(Nawaz Sharif)を首相の座から引きずり下ろした時、その2日後に実施された世論調査で、パキスタン国民の75%はこのクーデターを支持しました。
 それから9年半経ち、ムシャラフが大統領を辞任した今、そのシャリフは、議会の第二党の党首であり、最近の世論調査では、パキスタンで最も人気の高い政治家です。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/world/2008/aug/19/pakistan2
(8月19日アクセス。以下同じ)による。)
 パキスタンでは、建国以来、無能で個人的に腐敗した、足を相互に引っ張り合う政治家達による民主制の時代と集団的特権にあぐらをかいているけれど個人的には腐敗していない軍部による強権的支配の時代とを交互に繰り返して来ました。
 軍部による統治の9年半を経て、再びパキスタンは政治家達による統治に戻ったけれど、パキスタンの政治は少しも進歩していないように見えます。
 現在のところ、米国の対テロ戦争の片棒を担いでいるとして軍部の人気は低迷を続けており、軍部による再度のクーデターなどおよそ考えられないところです
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/world/2008/aug/19/pakistan4
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/aug/19/pakistan.usforeignpolicy
による)。
 しかし、やがてムシャラフ時代が懐かしく思い出されるようになり、いつかの時点において、必ずやパキスタン国民は軍部がクーデターを再び起こしてくれることを待望するようになるだろうという指摘があります(
http://www.guardian.co.uk/world/2008/aug/19/pakistan3)。

 (2)ムシャラフ時代の政治の進歩

 では、ムシャラフ統治下のパキスタンの政治に進歩は全然なかったのでしょうか。
 決してそんなことはありません。
 ムシャラフによる統治は、過去の軍人による統治と違って法治主義的なものでしたし、イスラム教を統治に利用することもありませんでした。
 女性の地位向上も図られましたし、インドとの関係が著しく改善されたことも忘れてはならないでしょう。
 何よりも特筆されるべきは、ムシャラフがメディア規制を大幅に緩和し、その結果、メディアの数が一挙に増えたことです。(こうして数の増えたメディアは、互いに競ってムシャラフを攻撃の的にした!)
 ムシャラフが没落するに至ったのは、昨年3月に、自分の権力維持に妨げになると目されたところの、最高裁首席判事のチョードリー(Iftikhar Chaudhry)を首にしたことであり、更に昨年11月に国家緊急事態宣言を行ったことですが、クーデターという裸の暴力で権力を掌握したムシャラフが、大統領としての法的権限を行使して・・それらが正当な権限行使であったかどうかともかくとして・・これらの措置を講じた事実をとっても、パキスタンの政治は進歩したと言ってよいでしょう。
 (以上、結論部分を除き、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/aug/19/pakistan
による。)

 (3)当面の懸念

 ムシャラフは、2001年の9.11同時多発テロ以降、米国に協力してパキスタン内のイスラム過激派の抑え込みに努めてきました。
 すなわちムシャラフは、圧倒的多数のパキスタン国民から米国の手先に成り下がったとの誹りを受けながら、また、米国からは不十分であるとの叱咤を受けながらも、軍部から2,000人もの犠牲者を出しつつ、パキスタン辺境部を根拠地としているアルカーイダやタリバンを討伐したり、昨年7月、イスラム過激派の巣窟と化していた首都イスラマバードの赤のモスクを、立て籠もった人々から105人の犠牲者を出しながら制圧したりしてきたのです。
 果たして、ムシャラフがいなくなった後、果たして政治家達が、このムシャラフ程度にイスラム過激派の抑え込みを続けるだろうか、というのが第一の懸念です。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/world/2008/aug/19/pakistan4
上掲による。)
 昨年11月にムシャラフが大統領と兼務していた陸軍参謀長の座から退いて後は、新しい陸軍参謀長の下で軍部が、硬軟合わせ用いながらイスラム過激派の抑え込みを行っており、当面、この態勢が続くと考えられているところですが、その先は不透明です(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/08/18/AR2008081801592_pf.html)。

 第二の懸念は、ムシャラフがつくったとも言える、パキスタンの核弾頭の管理体制が、今後とも遺漏のない形で維持されるだろうかという懸念です。
 これについても、米国が、ムシャラフの了解の下で密かに、パキスタン軍部に核弾頭の管理について協力してきたことから、米国の関係者は公的には懸念を表明していませんが、米国も、パキスタンの核弾頭管理態勢の詳細は知らされていないことと、ムシャラフが去った後、政治家達が軍部をほとんど掌握できていないことから、懸念が出てきています。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/08/19/world/asia/19pstan.html?ref=world&pagewanted=print
による。)