太田述正コラム#2764(2008.9.1)
<読者によるコラム:太田アングロサクソン論(その1)>

 (これは、遠江人さんによるコラムです。)

 --太田さんオリジナルの文明論「アングロサクソン論」の紹介--

1.はじめに

 いわゆるアングロサクソンと呼ばれる人々がブリテン島において形成されて以来、大航海時代以降に多くの人々が海外に出て行くことはありましたが、基本的には現在に至るまで欧州という地域の中にアングロサクソンは存在してきました。このこともあってアングロサクソンは、アングロサクソン以外の欧州の国々と多少の文化の違いはあっても、それほど大きな違いがあるわけではなく、当然のように同じ欧州文明に属するものであると、当事者である欧州以外の人々は思いこんでいるのではないでしょうか。
 しかし、アングロサクソン文明とそれ以外の欧州文明は、実は全くの異質な文明である、といったらどう思われますか。さらに世界の近現代史を貫く最大のテーマはアングロサクソン文明とそれ以外の欧州(西欧)文明の抗争の歴史であると。
 まさにそのように主張しているのが太田さんオリジナルの文明論「アングロサクソン論」なのです。

2.アングロサクソンは純粋のゲルマン文明

 ではアングロサクソン文明とアングロサクソン以外の欧州(以下、欧州とします)文明は、なぜ近くにあって大きく違うのでしょうか。また、それぞれどのような文明なのでしょうか。
 太田さんの言によると、アングロサクソンはゲルマン民族の伝統をほば変わらず持ち続け、他方、欧州(のゲルマン諸族)はローマ化してゲルマンの伝統をほぼ失ってしまった人々であり、また(大雑把に言って)アングロサクソン文明はゲルマン由来の「個人の自由の尊重」(=個人主義)を中心的価値とする文明であり、欧州はローマ由来の「宗教(中世まで)や一般意思(近代以降)の優越する」文明(=全体主義的)、ということのようです。
 では具体的に、ゲルマン民族の価値観や文化とはどういうもので、どのように形成され、なぜブリテン島のアングロサクソンにだけ受け継がれたのでしょうか。

3.戦争を生業とするゲルマン人

 「タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫1979年4月。原著は97-98年(1世紀))は、ローマ時代のゲルマン人について記述した有名な書物ですが、以下のような記述があります。
 「人あって、もし彼ら(筆者注:ゲルマン人のこと)に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<によって>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)
 これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。
 こういうゲルマン人がやがてローマ帝国に侵攻し、これを滅ぼしてしまうのですが、欧州大陸のゲルマン人はやがてローマ化していまい、戦争が生業ではなくなっていきます。
 ところが、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことのできなかった原住民のブリトン人(ケルト系)を、スコットランドやウェールズといった辺境に駆逐する形でイングランドを占拠したアングロサクソン人(ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)は、ゲルマン「精神」の純粋性を保ち続けます。
だから、アングロサクソンにとっては、戦争は生業であり続けたのでした。」(コラム#41(*1)より抜粋)

 「では、そのゲルマン人とは、どのような人々だったのでしょうか。
 私はかつて(コラム#41で)、タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫)の中の以下のようなくだり・・(略)(77頁)・・を引用して、「これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。」と指摘したことがあります(注8)。

 (注8)戦争にでかけていない時、つまり平時においては、男性は「家庭、
    家事、田畑、一切の世話を、その家の女たち、老人たち、その他す
    べてのるい弱なものに打ち任せて、みずからはただ懶惰にのみ打ち
    暮らす。」(79頁)というメリハリのきかせ方だった。

 ゲルマーニアには、「彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行なわない。」(70頁)というくだりも出てきます。
 つまり、ゲルマン人の成人男性は全員プロの戦士であったわけです。
 しかも、以下のくだりからも分かるように、ゲルマン人の女性もまた、その意識においては男性と全く同じでした。
 「妻・・らはまた、・・戦場に戦うものたち(夫や子息たち)に、繰りかえし食糧を運び鼓舞・激励をあたえさえする・・。」(53頁)
 戦争が生業であったということは、ゲルマン人はハイリスク・ハイリターンを求める人々(リスク・テーカー=ギャンブラー)であったということです(注9)。

 (注9)「彼らは・・賭博を・・あたかも真摯な仕事であるかのように行な
    い、しかも・・最終最後の一擲に、みずからの自由、みずからの身
    柄を賭けても争う・・。」(112頁)

 注意すべきは、ハイリスクであるとはいえ、戦争は、それが生業である以上、合理的な経済計算に基づき、物的コストや自らの人的被害が最小になるような形で実行されたであろう、ということです。」(コラム#852(*2)より抜粋)

 以上のように、ゲルマン民族は一人一人が戦士であり、戦争を生業とする人々であったようです。額に汗して働くことよりも、自分が負傷したり命を落とすリスクがあっても、戦争によって掠奪品を得るほうが、はるかに効率がよく得るものも大きいと、当然のように考えている人々だったのです。
 そして戦争遂行という最優先事項のためには、部族の全員が一丸となって協力し、また戦争をする上では、合理的な計算に基づいて、可能な限りコストや被害を少なくして、いかに効率よく戦争を遂行できるかということを追求した形で、実行されていたのです。

(*1)コラム#41<米国憲法第一条第八節第11項>
http://blog.ohtan.net/archives/50955794.html
(*2)コラム#852<郵政解散の意味(補論)(続x4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954981.html

4.個人主義

 ゲルマンの成人男子は一人一人がプロの戦士で、部族全体が戦争という生業のために一致協力していた、ということは分かりました。では、その戦闘民族的な側面以外に、ゲルマン特有のユニークな点はあるのでしょうか。

 「ここで、女性も戦場に赴いた、という点はともかくとして、このようなゲルマン人と似た特徴を持った民族なら、例えば、モンゴル等の遊牧民を始めとしていくらでもある、という反論が出てきそうですね。
 それはそうなのですが、ゲルマン人がユニークだった点が二つあります。
 その個人主義と民主主義です。
 「彼らはその住居がたがいに密接していることには、堪えることができない・・それぞれ家のまわりに空地をめぐらす。」(81〜82頁)、「蛮族中、一妻をもって甘んじているのは、ほとんど彼らにかぎられる・・。・・持参品は・・夫が妻に贈る・・。妻はそれに対して、またみずから、武器・・一つを夫に齎す。」(89〜90頁)が個人主義を彷彿とさせる箇所です。
 また、「小事には首長たちが、大事には・・[部族の]<成人男子たる>部民全体が審議に掌わる。・・最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称賛することである。・・会議においては訴訟を起こすことも・・できる。・・これらの集会においては、また郷や村に法を行なう長老(首長)たちの選立も行なわれ・・る。」(65〜69頁)のですから、古典ギリシャのポリスのそれ並に完成度の高い直接民主制であったと言えるでしょう。
 以上をまとめると、ゲルマン人は、個人主義者であり、民主主義の下で、集団による戦争(掠奪)を主、家族単位による農耕(家畜飼育を含む)を従とする生活を送っており、合理的計算を忘れぬギャンブラーであった、というわけです。」(コラム#852より抜粋)

 「まず、押さえておくべきは、プロの戦士であったアングロサクソンにとって経済活動は、食い扶持を確保した上で、更に戦士としての実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしに過ぎない、ということです。
 ここで実益の追求とは、個人的戦費及び集団的戦費(税金)を確保することであり、かかる実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしを、彼らはいかに楽に行うかに腐心しました(注13)。

 (注13)ちなみにアングロサクソンは、「戦士としての実益の追求を兼
    ね」ない趣味ないし暇つぶしの多彩さでも知られている。彼らが後
    に、読書・科学研究・スポーツ・レジャー・観劇・旅行、等に狂奔
    したことが、近代文学・近代科学・近代スポーツ・近代レジャー・
    近代演劇・パック旅行、等を生み出すことになった(コラム#27)。

 タキトゥスの叙述からもお分かりのように、彼らは、その生業としての戦争に従事している間、生死をかけること等に伴うストレスにさられただけでなく、集団行動に伴うストレスにも(個人主義者なるがゆえに)さらされたことから、平時においては、各自がばらばらにリラックスをして過ごすことによって、精神的バランスを回復する必要がありました。
 しかも彼らにはその「自由の意気と精神」から支配者がおらず、またその「戦争における無類の強さ」に恐れをなして彼らを掠奪の対象とするような者もほとんどいなかった上に、彼らにとって戦争が経済計算に立脚した合理的営みである以上、戦費は巨額なものにはなりえませんでした。ですから彼らは、支配者に貢ぐために、あるいは外敵によって掠奪されることを見越して、あるいはまた巨額の戦費を捻出するために、ひたすら額に汗して働かなければならない、という状況にはなかったわけです。
 そういうわけで彼らが経済活動にあたって考えることといえば、目標とした一定の収益を、いかに最低限の労力やコストの投入によって確保するかだけでした(注14)。」(コラム#857(*3)より抜粋)

 自由の意気と精神、つまりは戦士たる己の力(能力)のみを頼りとして支配されることを由としないということ、それぞれが戦士として自立していること、戦時以外の自由を尊重すること、これらのことから、ゲルマン人にはごく自然なこととして個人主義が定着していたと思われます。
 部族内においては、戦時以外では自分も他人も自由が侵されず、制度的なしがらみもない。ゲルマン人は戦争を生業とする戦士であったことで、かなりの程度、個人主義、自由主義が文化として浸透していたようです。また(義務を果たしている人々である)戦士による直接的な民主主義も行われていました。一見、個人主義や民主主義というと、古代ギリシャ等、文化的に高いレベルにあって初めて実現すると思い勝ちかもしれませんが、なるほど、武の伝統から生まれることもある、というところはユニークで面白いですね。

(*3)コラム#857<郵政解散の意味(補論)(続x6)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954976.html

5.アングロサクソンの起源

 では、このようなゲルマンの伝統が、いかにしてブリテン島に伝播し、維持されていったのでしょうか。アングロサクソンの起源を確認しておきましょう。

 「今まで随時、アングロサクソン論を展開してきましたが、このあたりでアングロサクソンとは何かを振り返っておきましょう。
5世紀に、スカンディナビア及び北ドイツから様々なゲルマン支族がイギリスに渡ってきて、ケルト系先住民のブリトン人(=ローマ文明を継承できていなかった)を辺境に駆逐した上で定住し、相互に通婚してアングロサクソンとなります。(8世紀にベード(Bede)は、アングル支族、サクソン支族、ジュート支族の三支族が渡ってきたと記しましたが、これは単純化しすぎだと言われています。)(Historical Atlas of Britain, Kingfisher Books, 1987 PP30)
 このアングロサクソンは、7世紀末までにキリスト教化します(前掲Historical Atlas of Britain PP32)。アングロサクソンの部分的ローマ化、欧州化です。
しかし、9-10世紀には、アングロサクソンは、まだキリスト教化していない、デンマーク(一部ノルウェー)のバイキング(デーン人)の侵入、定住化を経験します。(前掲 PP38)(なお、11世紀初頭には、アングロサクソンは、後にデンマーク王とノルウェー王を兼ねることになる、デーン人(その頃には既にキリスト教化していた)の王族カヌートに一時征服されます。(前掲 PP52))
 更に1066年には、アングロサクソンは、フランス北部に侵入、定住したバイキング(ノルマン人)の子孫である、ノルマンディーの領主ウィリアム公に征服されます。(前掲 PP55-57)
 このように、アングロサクソンは、もともとゲルマン人としての純粋性を維持していた上に、キリスト教化した後も、累次にわたってかつての同胞であるバイキング・・キリスト教化していなかった者も少なくなく、しかも、極めて能動的(=悪く言えば、好戦的で侵略的)でした・・の侵入、定住化、征服を受け、その都度、ゲルマン精神を「再注入」させられ、「純化」させられたのです。そのおかげで、アングロサクソンは、精神のローマ化・欧州化を基本的に免れることができたのです。(アングロサクソンとノルマンの同根性、同質性を強調するのがBBCの歴史サイトです(http://www.bbc.co.uk/history/war/normans/society_01.shtml。11月10日アクセス)。)」(コラム#74(*4)より抜粋)

 「また、メイトランドが、アングロサクソン文明と欧州文明の最初の岐路について、イギリスではアングロサクソンが侵攻した時にローマ文明が拭い去られた(swept away)のに対し、欧州(フランス・イタリア・スペイン)ではゴート族やブルグンド族は侵攻先のローマ=ガリアの人々の中の圧倒的少数派に過ぎず、しかも彼らが(征服者ではなく)ローマ皇帝の家来ないし同盟者に他ならなかったことからローマ文明の法・宗教・言語が生き残った(注4)ことを挙げている(PP77)ことも知りました。」(コラム#1397(*5)より抜粋)

 以上のとおり、ガリアのゲルマン諸族はローマ化した結果、ゲルマンの伝統を失うことになり、海を渡ってブリテン島に渡来して現地民と同化したアングロサクソンには純粋な形で残ることとなりました。さて、そんなゲルマンの伝統をほぼ純粋に受け継いだアングロサクソンの国、英国とはどのような社会になったのでしょうか。(ちなみに最新の研究によるとアングロサクソンの起源はバスク系の人々とベルガエというゲルマン系の人々がかなり関係しているようです。詳しくはコラム#1687(*6)を参照してください。)

(*4)コラム#74<アングロサクソンと北欧神話(アングロサクソン論3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955759.html
(*5)コラム#1397<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954436.html
(*6)コラム#1687<アングロサクソンの起源>
http://blog.ohtan.net/archives/50954197.html

6.法の支配とコモンロー

コモン‐ロー【common law】
1 英国で、通常裁判所が扱う判例によって発達した一般国内法。一般法。→エクイティー
2 ローマ法・大陸法などに対して、英米法の法体系。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=07686006861500
かんしゅう‐ほう〔クワンシフハフ〕【慣習法】
慣習に基づいて社会通念として成立する法。立法機関の制定によるものでなくても、法としての効力を認められている慣習。一種の不文法。習慣法。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC&dtype=0&stype=1&dname=0na&ref=1&index=04483903890000

 アングロサクソン社会のユニークな点として、まずはコモンローを挙げてみたいと思います。コモンローと言えば、アングロサクソンの慣習法、自然法といったことを思い浮かべますが、太田さんはどのように考えているのでしょうか。

 「クライムスは、「11世紀初頭において、[イギリスを征服したデンマーク王]カヌートは、それより半世紀後のウィリアム征服王と同様、・・彼らの前任者たる王達によって、築かれた伝統や身分を破壊しようとはしなかった。」と述べ、アングロサクソン期と中世の連続性を指摘した上で、「[アングロサクソン期の]イギリス王は、法の源ではなかった。・・法は種族の慣習、または部族に根ざす権利からなり、王は、部族の他のすべての構成員同様、法に全面的に従属していた。・・法は、本質的には、その起源からしても非人格的なものであって、いにしえの慣習や、部族共同体の精神に由来すると考えられていた。法を宣言し、裁定を下すのは、王の裁判所ではなく、部族の寄り合い(moot)であり、王の任命した判事や役人ではなく、訴追員や審判員の役割を担った、近所の自由人達であった。・・王は、単に、法と寄り合いの裁定を執行するにとどまった。」と言っています。
 こういうわけで、自由と人権の起源もはるか昔の歴史の彼方へ渺として消えていってしまいます。
 この、マグナカルタ、権利の請願、権利の章典、アメリカ独立宣言などを次々に生み出していった淵源としてのアングロサクソン古来の法こそ、Common Law (コモンロー)なのです。
 われわれは、個人主義が、アングロサクソン文明の核心にあることを見てきました。しかし、個人主義社会という、人類史上空前の「異常」な社会が機能し、存続していくためには、個人が、他の個人、集団及び国家の侵害から守られていなけれなりません。守ってくれるものが、王のような個人であったり、グループや、国家であったりすれば、それらが、一転、おのれの利害にかられ、私という個人の自由、人権を侵害するようなことがないという保証はありません。守ってくれるものが非人格的なコモンローであり、王も含めて全員がこの法に拘束されるということの重要性がここにあるのです。
(略)
 フォーテスキューは、フランスは絶対君主制であり、すべての法が君主に発し、人々はそれに服するが、イギリスは、人々の自発的黙従に基づく制限君主制であり、王自身、彼の臣民と同じ法に拘束されるとし、「予想される不幸や損害を防止し、一層自らと自らの財産を保護するためだけに王国を形成した国が、イギリス以外に存在しないことは明白である。」と指摘します。」(コラム#90(*7)より抜粋)

 アングロサクソンにとってのコモンローとは、古来からの個人主義の精神に基づいて、必然的に生まれた慣習法体系だと言えそうです。個人の自由や権利や財産を守るための法が自然法として定着していて、王といえど権利を制限され法の支配の下に置かれるというわけです。このことは、アングロサクソンは古来から人治主義ではなく法治主義であったという見方ができますね。
 考えてみれば、個人主義であるためには、法の整備と遵守が全員に徹底していなければ実現できないであろうことは、当然と言えば当然ですね。
 ちなみに個人主義だけでは遠心力が働いて社会が瓦解してしまうことを防ぐための制度として、コモンローとはまた別にアングロサクソン文明固有の「信託」という思想があるようです。信託については、コラム#1399(*8)と#1400(*9)を参照してください。

(*7)コラム#90<コモンローの伝統(アングロサクソン論8)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955743.html
(*8)コラム#1399<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954434.html
(*9)コラム#1400<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954433.html

7.資本主義と反産業主義

 個人主義社会であるからには、同時に、資本主義社会でもあると言えそうです。個人主義が貫徹している社会であれば、個人が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を、誰もが持っているはずだからです。

 「個人主義社会とは、個人が部族・封建制・教会・領域国家等、欧州史の古代・中世におけるような社会諸制度のしがらみから、基本的に解放されている社会です。
 ちなみに、個人主義社会と資本主義社会はイコールであると言ってよろしい。個人主義社会とは、上記のごとき社会諸制度によるしがらみから基本的に自由に、個人が自分の財産(労働力・カネ・モノ)の使用・処分を行うことができる社会であり、これぞまさしく資本主義社会だからです(注6)。

 (注6)これは、英国のマクファーレーン(Alain Macfarlane)の指摘だ
    が、この話をもっと掘り下げて論じたいと以前(コラム#88)記しな
    がら、マクファーレーンのその後の著作等の勉強を怠っているた
    め、今後とも当分の間、この「約束」を果たせそうもない。」(コラム#519(*10)より抜粋)

 「しかも、個人主義社会なのですから、アングロサクソンの各個人は、自分自身(の労働力)を含め、自分が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を持っており、実際にその権利を頻繁に行使しました。そういう意味で、アングロサクソンは全員が「商」(資本家)でもあったわけです(注15)。

 (注15)このような意味で、個人主義社会であるところのアングロサクソ
    ン社会は、生来的に(つまり最初から)資本主義社会であると言え
    よう(コラム#81)。」(コラム#857より抜粋)

 「いずれ詳しくご説明するつもりですが、イギリスはその歴史始まって以来、(すべての成人が、生産財、消費財のいかんを問わず、自由に財産を処分できるという意味で)資本主義社会であり、産業革命前に既にその「反産業主義的」資本主義は、高度に成熟した段階に達していました。
 そして、(これについてもいずれ詳細にご説明するつもりですが、)イギリスは反産業主義(反勤勉主義)であったからこそ、(機械化によって楽をしようとして)産業革命を世界で初めてなしとげます。そして、イギリスは良かれ悪しかれ、反産業主義のまま現在に至っているのです。(「産業精神」参照)」(コラム#81(*11)より抜粋)

 「また、古典ギリシャ社会においても古ゲルマン社会においても、労働には低い社会的評価しか与えられていませんでした。アテネ等のポリスでは、奴隷が労働に従事し、市民はもっぱら政治と軍事に精を出したものですし、ゲルマン民族の男達は、「戦争に出ないときにはいつも、幾分は狩猟に、より多くは睡眠と飲食に耽りつつ、無為に日をすごす・・家庭、家事、田畑、一切の世話を・・女たち、老人たち<など>・・に打ち任せて・・懶惰にのみ打ちすごす」(タキトゥス「ゲルマーニア」(岩波文庫版)78〜79頁)のを常としました。
 ですから、貧しかった時代ならいざ知らず、豊かになった現在の西欧諸国において労働時間が著しく減ってきたのもむべなるかなとお思いになるでしょう。

 それでは、アングロサクソン諸国の労働時間の長さはどう説明したらよいのでしょうか。
 アングロサクソンは世界でほぼ唯一生き延びた純粋なゲルマン人であり、ゲルマン人の生業(本来の労働)は戦争(=略奪行為)だったことを思い出してください(上記引用参照)。これは戦争以外の時間はゲルマン=アングロサクソンにとっては来るべき戦争に備えて鋭気を養う余暇だったということを意味します。だから農耕・牧畜(=食糧確保)に比べて狩猟(=食糧確保+戦争準備)をより好んだとはいえ、これら「労働」も「無為・懶惰に過ごす」こととともに余暇の一環であり、「労働」を減らす、制限するという観念は、元来彼らにはなじまないのです。
 そして、キリスト教の聖書を世界で初めてに民衆が読める自国語に翻訳して大量に普及させたアングロサクソンは、ゲルマン人としての彼らのもともとの好き嫌いを踏まえ、農耕・牧畜等の「懲罰」としての「額に汗」する「労働」(labour。「陣痛」という意味もある。同義語はtask)と狩猟等のそれ以外の「労働」(work。同義語はbusiness)とを明確に区別し、hard work を厭わず(?!)labourを減らすことに腐心してきました。その最大の成果の一つがイギリスを起源とする18世紀のいわゆる産業革命です(コラム#81参照)。
 これに対し、西欧ではこの二種類の「労働」を区別することなく、どちらも忌むべきものとして削減することに努めてきた、と私は考えています。」(コラム#125(*12)より抜粋)

 アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であったというのは面白いですね。楽をしたいからhard workを厭わないというのも、とても面白いと思います。英国が様々な創意工夫をして近代的な発明を数多く生み出したのも、よく分かる気がします。
 ちなみに太田さんは、近代文明はイギリス文明そのものといってよく、近代のほぼ全てがイギリスで始まっている、とも仰っています。コラム#84(*13)を参照してみてください。
 それと、経済的物質的に貧しい社会においては、個人主義を成り立たせる余裕が無く、乏しきを分かちあいながら、共同体に埋没して生きて行くより他はないところ、イギリスで個人主義が維持できたのはイギリスが大変豊かだったからだ、という側面もあるようです。コラム#54(*14)を参照してみてください。

(*10)コラム#519<米国反仏「理論」あれこれ(その4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955314.html
(*11)コラム#81<反産業主義(アングロサクソン論4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955752.html
(*12)コラム#125<各国の労働時間の違い>
http://blog.ohtan.net/archives/50955708.html
(*13)コラム#84<イギリス文明論をめぐって(アングロサクソン論5)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955749.html
(*14)コラム#54<豊かな社会(アングロサクソン論2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955781.html

(続く)
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太田述正コラム#2765(2008.9.1)
<読者によるコラム:人種間格差を教育でいかに克服するか>

→非公開