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太田述正コラム#2679(2008.7.20)
<シークレット・サンシャイン鑑賞記(その2)>(2008.8.27公開)

 第一に、ジョンチャンが、密陽でピアノ教室を開いたシネのところに、シネがピアノ・コンクールで優勝したという偽造の表彰状をつくって持ってきて壁に貼ったことです。ピアノのお弟子さん集めに効果があるだろうというわけです。
 シネは、躊躇しつつも、このジョンチャンの「好意」を受け入れた様子に見えます。
 これは私文書偽造ないし詐欺、といったところでしょうか。
 もっとも、ジョンチャンがこんな噂を流布させたため、ジョンチャンがシネを地元の有力者に紹介した時、シネはこの有力者からピアノ演奏をせがまれ、彼女は、下手な演奏をした挙げ句、途中で弾けなくなってしまうという醜態を晒します。
 第二に、「シネという・・・夫を亡くした・・・シングルマザーが、・・・周囲の人々に同情されまいと資産家であるかのように振る舞っていた・・・<ところ、この>嘘を真に受け<た男によって>、・・・<一人息子の>ジュン<は>誘拐され<殺害されてしまう。>」(4頁)
 このシネによる嘘は、大変な悲劇となってシネに跳ね返ってきてしまうわけです。
 第三に、キリスト教の神の愛の偽善性、不毛性に気づいたシネは、わざわざ危険を冒して「そんなの全部嘘よ」という歌詞が繰り返される歌謡曲が入ったCDを、CD店から万引きした上で、公園で開かれていたキリスト教の集会に向けてこの曲を大音響で流して怒りをぶつけます。
 買えば済むのに、シネはあえてCDを万引きするわけです。
 第四に、上記と同様の目的で、シネをキリスト教会に誘ったところのキリスト教会の幹部たる薬局の経営者たる女性の夫(やはり当該キリスト教会の幹部)をシネは誘惑します。シネにのしかかったこの男性は、途中で急に萎えてしまうのですが、これは、韓国では現在でも活きている姦通罪の未遂ということになります。

 シネのこれらの言動に関しては、一応の背景説明めいたことが映画の中で出てきます。
 彼女が、どうやら親から虐待を受けたらしいこと、また、彼女が心から愛し続けた夫が、実は「浮気の果ての交通事故死」をとげていたこと(8頁)、そもそも彼女が、「挨拶に行った地元の衣料品店で、初対面の店主に店の内装のアドバイスをしたり、小さな教室で行われた息子のスピーチコンテストで、周りが驚くほどの声援を送ったり」するような奇異な面を持ち合わせた女性(8頁)であったことです。

 とはいえ、シネは韓国人の典型である、と受け止めることもまんざら不可能ではないでしょう。
 その場合、およそ韓国人は、過去に多少なりとも不幸な体験をしたこともあってか、度し難いエゴイストであって、目的を達成したり、自分の怒りをはらしたりするためには、犯罪を犯したり嘘をついたりすることを厭わない人々である、ということになります。
 そう言えばこれは、北朝鮮の国家としての姿でもあります。

 (2)私の見解

 私の見解では、「万人が万人に対してあい争う、苛烈にして索漠たるホッブス的世界」である中東(コラム#2646)等と、公概念が確立した法治世界であるところのアングロサクソン世界や日本、そして欧州の一部を両極端とすれば、それ以外の世界の大部分の地域は、その中間であり、韓国も、日本による朝鮮半島統治によって相当程度日本化したとはいえ、依然、ホッブス的世界の母斑を残している、ということなのです。
 (コラム#2647のバグってハニーさんの投稿も参照されたい。)
 韓国において、キリスト教を始めとする宗教が(米国を除くアングロサクソン世界や欧州や日本と違って)生命力を失っておらず、かつまた人々がエゴイスティックな言動をとるのはこのためです。
 こんなことに驚いているようでは、およそ移民受入など一切できないということになりかねないでしょう。

4 終わりに

 芥川賞を、在日韓国・朝鮮人では李恢成氏ら4氏が受賞しており(
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008071602000142.html
。7月16日アクセス)、人口比で考えれば、在日の日本文学への貢献度は大変なものです。
 「シークレット・サンシャイン」を見て一層募ったのは、もっともっと韓国の人々との交流を密にしたいという思いです。
 (私とは見解を異にする部分があるとはいえ、)監督・脚本を担当したイ・チャンドンも、そしてシネを演じたチョン・ドヨンも、更にはジョンチャンを演じたソン・ガンホも、それぞれ傑出した才能を感じました。
 その彼らが生きている韓国の田園風景も都市の風景も、日本のそれと見まがうばかりです。
 そしてそこには、日本化しつつも、世界の大部分の地域の人々と同じような「歪み」をほんの少しだけ残している人々が住んでいます。
 まさに、彼らを移民として無条件で受け入れるべきではないか、そして近い将来、日本と韓国との間で、ぜひともEU的統合を実現したい、と痛切に思いつつ、私はシネマートを後にしました。

 六本木は、防衛庁があった場所であり、私が大学を卒業してから、大部分の期間過ごしたところです。
 そう言えば、すぐ近くにタイ料理屋の「バンコック」があったなと行ってみましたが、土曜日で、ランチ営業をやっていなかったので、引き返し、六本木交差点を渡って、かつて防衛庁があった場所近くまで行ってみました。
 昔食べ歩いたレストランは、大部分看板が変わっており、今昔の感がありましたね。
 結局、かつてはそこにはなかったインド料理屋「Jewel of India」でランチを食べて帰途につきました。

(完)

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