太田述正コラム#2593(2008.6.6)
<21世紀における仏教の役割(その2)>(2008.7.23公開)

3 最近の中共とミャンマーでのエピソード

 (1)中共

 中共治安当局は、5日、16人のチベット仏教僧達を、4月に彼らがチベットの中共からの分離を画策して爆弾を爆発させ、あるいは爆発させようとしたとして、5月にチベットのマンガム(Mangkam)県で逮捕していたと発表しました。彼らは、ダライラマのプロパガンダに踊らされた、というのです(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/06/05/AR2008060501005_pf.html
。6月6日アクセス)。
 中共当局が、四川省での大震災の混乱の渦中にあったにもかかわらず、(いや、四川省はチベット隣接区域であって、チベット族も山地に多数居住しているから当然(?))チベット情勢、就中チベット仏教僧の動向に神経をとがらせていることがよく分かります。

 中共当局は、どうしてこれほど神経をとがらせるのでしょうか。
 四川省での大震災で倒壊した校舎の一つに敷地内に簡単な祭壇が設けられて、(無限ループ)テープレコーダーでお経が流れ、線香がたむけられ、蝋燭がともされ、亡くなった生徒達の遺影が多数掲げられている、と報じられています(
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-school24-2008may24,0,7142544,print.story  
。5月24日アクセス)。
 ここはチベット人居住区ではないのに、「仏教国」日本と見まがうような光景だと思いませんか?
 中共で仏教がここまで復活し、浸透してきている以上、チベット人のみならず、中共の仏教徒一般、更には仏教に惹かれている広範な中共国民に影響力を持つダライラマが、欧米で大人気を博し、そのダライラマが拡大チベット圏の自治を目指していることに、中共当局がどんな思いでいるのか想像に難くありません。

 (2)ミャンマー

 サイクロンによって大水害に見舞われたミャンマーの被災地では、仏教の僧侶達が被災者救援に積極的に従事しており、人々と僧侶達との結びつきは一層強まってきています。
 昨年9月に、僧侶達は、ミャンマーの一般国民の生活の困窮ぶりを踏まえ、軍政当局に何とかせよと訴えたのに対し、軍政当局は容赦なく弾圧したばかりなのに、またも軍政当局は窮地に立たされているのです。 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/05/31/world/asia/31myanmar.html?ref=world&pagewanted=print 
(5月31日アクセス)による。)

4 終わりに代えて

 以上見てきたように、仏教は、少なくとも中共とミャンマーで、民主主義独裁体制の体制変革、つまりは自由民主主義化に向けて、かくも大きな役割を果たしているというのに、日本の仏教の僧侶達や仏教に関心を持つ知識人達から、ほとんど声が聞こえてこないのはどうしてなのでしょうか。
 私がショックを受けたのは、ワシントンポストが、次のような記述を含むコラムを掲載したことです。
 「<ダライラマ率いるチベット仏教に対し、>自分達の文化が与えてくれない精神的充足を与えてくれるものとして米国人や欧州人や日本人が仰ぎ見るのだとすれば、経済的に豊かになっただけではあきたらず、精神的な豊かさを探し求めている中共の人々にとって、それはどんなに蠱惑的に映ることだろうか」(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/23/AR2008052302451_pf.html
。5月26日アクセス)
 このコラムの筆者は、日本が「仏教国」であることを知らないのです!

 しかし、考えてもみてください。
 生涯に一度は僧侶となることが求められる上座部仏教や、ダライラマ等の生まれ変わり伝説によって支えられているチベット仏教よりも、大乗仏教の流れをくむ日本の仏教、とりわけ私見によれば日本の禅、の方が本来はるかに、(世俗主義的環境において推進されることが望ましいところの)自由民主主義化の前衛としてふさわしいのです。
 皆さん、つい最近まで、日本は仏教思想の世界への普及で中心的役割を果たしていたことをご存じですか?
 最も活躍した一人が鈴木大拙です。
 その一生は次のようなものでした。

 「1870(明治3)・・・現在の金沢市本多町に、加賀藩医鈴木良準と母 増との間の五人兄弟の末っ子として生まれる。・・・1887(明治20)17歳石川県専門学校初等中学科を卒業、飯田小学校と美川小学校の教師を勤める 1891(明治24)21歳東京専門学校に入学、坪内逍遥に英語を学ぶ。円覚寺に参禅した半年後、退学。 1897(明治30)27歳・・・渡米 1905(明治38)35歳ビアトリス(後の夫人)と知り合う 1907(明治40)37歳「大乗仏教概論」を英文で出版し、学会の注目を集める 1909(明治42)39歳帰国して、学習院の英語教授となる。 1921(大正10)51歳大谷大学に招かれる 1930(昭和5)60歳英文『楞伽経の研究』で文学博士に・・・「また、日本学士院会員となり、文化勲章を受章した。1950年より1958年の間は、アメリカに住み、ハワイ大学、エール大学、ハーバード大学、プリンストン大学などで仏教思想に関する講義を行なった。」91歳『教行信證』の英訳草稿が完成 1966(昭和41)96歳永眠。」(
http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunho/ijin/sugao/index.htm
。6月6日アクセス)(ただし、「」内は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E6%8B%99
。6月6日アクセス)による。)

 日本人は、もう少し彼のことを大切に思うべきでしょう。
 しかし、鈴木が亡くなった1966年当時、早くも彼は忘れられた存在になりつつありました。
 「鈴木が没した時、ニュースを読み上げるアナウンサーが原稿に禅と書いてあるのを蝉と読み違えて「蝉の研究で有名な鈴木大拙さんが亡くなりました」と読み上げたことは、当時全国に大きな反響を呼んだ」(ウィキペディア上掲)というのですから。
 現在では完全に忘れられているかもしれませんね。
 グーグルで「鈴木大」までで検索してみたら、「鈴木大地」が候補トップで、「鈴木大拙」は4番目だったくらいですから・・。
 
 私は、現在の日本の仏教の僧侶達や、仏教に関心のある日本の知識人の中から、第二、第三の鈴木大拙が出てくること、そして彼らが東アジアの自由民主主義化の先頭に立つことを夢見ているのですが、この夢が実現することをまだまだ諦めるわけにはいきません。

(完)