太田述正コラム#2287(2008.1.7)
<1999年のマレーシア公式訪問記(その2)>(2008.7.21公開)

(1999.3.25 木)

0900:ホテル発。国軍士官学校(Malaysian Armed Forces Academy。マレー語では、Akademi Tentra Malaysia=ATMA(アトゥマー)。北村武官はRoyal Military Academyと言っていた。)から先導車が来るはずだったが、現れず。
0930:道が変わっており、北村武官が何度も道を誤りつつも、早めに到着。
 プレゼント交換(当方は写真集。先方は透明なplaqueとbanner)。アジナン校長によるブリーフィング。学生は志を持って入ってくる者と落ちこぼれとに2分される由。創設は数年前。使用言語はマレー語。但し、教科書の多くは英語。大学院は将来構想としてはあり。University Teknologi Malaysia(マレーシア工科大学)と提携して学士号付与(「文化系」はAccounting学科のみ)。軍事関係の教育訓練は、金、土曜とsemester間の2ヶ月のみ。
 「防衛大学校については、ATMAから国際防衛学セミナーに参加したスタッフが帰ってきて報告を受けたばかりなので、良く知っている。」と言っていた。校長は、私の訪問を、防衛大学校幹事作道陸将の訪問のフォローアップかと聞いていた。
 校長(Commanndant)は、空軍少将(Major General。英国の植民地であったにもかかわらず、英国流のAir Vice Marshalとは呼称しない。ここにも、独自性の確保と同時にグローバルスタンダードないし米国スタンダードを追求するマレーシア精神が現れている?)でDatuk。元パキスタン武官で当時の平野武官(現在統幕5室。山口3佐の上司。)と親しかった由。
 その後、建設資金がショートしていないにもかかわらず、6ヶ月ずつ2回完成が遅れ、10月完成予定の新庁舎建設現場を視察。建設会社の段取りはどうなっているのかと思う雑然さ。これでは完成期限がずるずる延びるのも分かるような気がした。
 女子学生寮はモデルルームが完成していた。5人単位で生活するも、寝室は個室で情報端末付き。勉強部屋に共用のパソコン。シャワー室はあるが、バスはなし(?)。図書館についての説明はなし。少なくとも独立棟ではないということ。
 最後に、1100の(?)お茶を教職員幹部全員と共にした。カレーまで出る本格的なもの。4時にもお茶の時間があるらしい。(それが終わったら、執務終了?)
 数十人の死亡者を出している日本脳炎(the Japanese encephalitis。 Hendra-like Virusの可能性もとりざたされていた。)のキャリアである豚を10万頭殺すべく軍隊が動員されている話を彼ら同士で盛んにしていた。「豚を殺すのは簡単だが、その場所に豚を誘導、集合させるのが大変だ。そんな訓練は受けていないからなあ。」
 武官はこの場で本日夜の夕食会に校長を招待していた。

1200頃:国立博物館(Museum Negara)へ。
 マレー人等の生活風俗展示(人形はマネキン風)、ハリマオ(マレー虎)を含む動物の剥製、東アジア各地の瀬戸物、地刀等あらゆるものが展示されていた。外観も中身もシャビーな施設。表に錫採取船、プロトン(三菱が協力。なお、もう一つの国民車は、ダイハツが協力。)の最初のタイプ等が展示されていた。
 国防省の建物はその業務にそぐわないし、このシャビーな博物館と言い、超近代的で美しく、機能的なビルが乱立するKLににつかわしくない公共建築物が多い。これは、民間主導の国として評価すべきなのかどうか微妙なところ。

 その後、王宮及びその門、更には与党統一マレー国民組織本部ビルを車窓から眺めつつホテル帰着。北村武官におみやげのお茶3包みを渡す。
昼食:食欲ゼロだったが、岡、山口両名とホテルの朝食のカフェにて。44リンギ。
1430:再びホテル発。

1500過ぎー1700:Assistant Director General, ISIS でDirector, Centre for Japan StudiesのDr Stephen Leong(レオン)と懇談。
 中国系クリスチャン。奥さんは米国人。彼もしゃべり出すと止まらないタイプ。
 当方からは英文白書を手交。先方より、マハティール首相のVision2020、Centre for Japan StudiesのReport1997と1998、ISIS Focus Issue No 153, Leong氏自身のMalaysia’s View of Japan’s Security Role in Asia and ARF(ハードコピー)の5つが渡された。
 博士は、マレーシアでは、人種間の反感を煽り立てるようなインディーセントな発言は禁じられており、また、事実上のマレー人優先政策が採られていることを指摘していた。
 マフブバーニを引用した私の質問に関しては、米国等の第三世界諸国に対する、人種構成の複雑さや経済発展段階を無視した、民主主義や人権一辺倒の国内問題への介入を糾弾しつつ、他方でその欧米の人権に係るダブルスタンダードを非難し、その例として、(ナチやポルポトに対する態度と比較して(?))旧ユーゴにおけるエスニッククレンジングへの態度の微温さを指摘していた。
 (後者は、人権擁護の観点からの(国内問題たる)NATOのコソボ問題等への介入を当然視するものであり、いくらボスニアやコソボ地域における「被迫害者」たるイスラム教徒への(イスラム教を国教とするマレーシアの一員としての)連帯の意思表示だとしても、前段の米国等の人権一辺倒の対応への非難とは矛盾する。苦笑しながら拝聴。)
 博士が一番強調していたのは、いわゆるASEAN的アプローチの日米安保再確認アプローチ等に対する優位である。
 もっとも、博士の挙げるASEANの経済重視/総合安全保障、非核、全方位(中立)、漸進、コンセンサス志向等は、何となく戦後日本が(いささか、忸怩たるものを覚えつつも、)タテマエとして掲げてきた諸政策の焼き直しのようにも聞こえた。違うのは、外部勢力との強固な同盟関係の有無だけか?今後、ASEAN諸国とのホンネベースの対話を深めていく必要があると感じた。
 予定を1時間以上超過したとどまるところを知らない博士の弁舌に、最後は、私が話しの腰を折り、お開きに。

(脚注)とにかく、どこの第三世界の国でもエリートはすこぶるつきに饒舌だ。

2000―:ホテル内の中華料理店「桃李」にて、大使館主催夕食会。
 アジザ女史は本日も欠席。Policy Division ナンバー2のPrincipal Assistant Secretary, Policy Division(アジザ女史の前職)のRajayah氏が先方の主賓。但し、格から言えば、アジナン国軍士官学校長が出席したので、彼が最先任。先方は計7名。当方は、一行4名に北村武官。(野村大使(初代内閣国際平和事務局長)は米国出張中。黒木公使は東京出張中。)
 アジザさんはイェーメン系、ラジャヤさんは南インドのハイデラバード出身の2世。その地方の方言とタミル語、英語、及びマレー語の4カ国語を話せる由。大学では日本について勉強したとのこと。
 めっぽう日本情報には詳しい感じ。おしんやどらえもん、更には釜本や雅子様の話も出た。父親から、何度も旧日本軍の良い思い出を聞かされたが、これは中国系以外の共通感情だと言っていた。
 ザマンをみんなが知っているのは、刑務所監で退官する前のポストの警察庁刑事局長の時、ギャング団のがさ入れを行う際、陣頭指揮を執り、彼が空に向けてピストルをぶっぱなしてから突入したところがテレビで放映されたためらしい。ザマンは警察庁長官になるべきところ、なれなかったとも言っていた。また、ザマンがしていた、公務員は官舎を譲り受けられるという話しを否定していた。
 ラジャヤさんのような中佐相当以上は乗り合いだが車付き、大佐相当以上は単独で車付きとのこと。外交官試験と国家公務員試験、警察官試験は別。国家公務員は一括採用され、本籍たる省庁はないとのこと。公務員に関しては、明文の規定やクォータ等があるわけではないが、昇任等について、マレー人優遇政策が採られているとのこと(にもかかわらず、国防省の要の防衛政策担当部局のナンバー1(アジザ)と2(彼)は「外国」系。マレーシアもやるものだなと感じた)。また、国防省内の文官と制服との間での軋轢の存在を肯定していた。
 なお、10年位(?)前まで、マレーシアの最高裁は英国のPrivy Councilだったという。しかし、barristerとsolicitorの区別はもともとなかった由。法学部は必ずしも人気がないとのこと。
 国防省のシビリアンは、軍関係学校への入校を奨励されている由。
 なお、先般の防衛庁の防衛政策担当者会議で北村武官はラジャヤさん出席のラインで話しをしていたところ、駐日武官からは制服出席の話しが進行しており、結局制服が出席した由。なお、この時だったか、軍人らしい誰かが、「米国出張帰りに日本に立ち寄り、海上保安庁を訪問した。」(私の受けた印象では、hydrographyの話しで訪問したようだった。)と語っていた。

(1999.3.26 金)

0800:チェックアウト。
 ザマンからもらった果物は、結局放棄。朝食代込みの宿泊費@253x3=759リンギ=24288円。JCBカードで支払う。ザマンカーンとの番メシ代は、含まれていなかった。北村武官にこのことも含めて御礼言上。
0900:ホテル発。
 北村武官は、大使以下の会合に出なければならないとして、ここでお別れ。(野村大使、本日付けで帰国命令。)高速道路は片道3車線(東関東自動車道路と同じ)で途中2回枝分かれ。途中から人家がなくなり、椰子、棕櫚の類が生い茂ったジャングルに。約50kmで空港。(成田は約80km。)
1000:空港着。
 昼間は、電気代を節約するためか、ばかに暗い感じ。免税店にて、CD-ROM2枚(Encyclopedia of Arab Nation(中身は相当ずさん。経済は1987年、全般には1997年現在)とコーラン等の入ったもの(5部構成。肝心のコーランの部分、字が表示されず)(もっとも、いずれも、マレーシア製ではない)。20+30=50リンギ)、
・・・
(脚注)この後、家族等向けのおみやげを買った話の部分を省略した。
・・・
1115:1時間半遅れのアナウンスあり。トランジットパスでもう一度待合室の外に出て、指定されたレストラン2つのうちの一つとおぼしきところで、サンドイッチ一枚、ドリンク一個の軽食をただで食す。この間、マレーシア航空のラウンジに入ってみたところ、大変な広さ。
1330:結局、2時間遅れで出発。
 しかし、中でのサービスは、JALよりマシ。小型TVが各席についており、映画も日本映画を含め、4本ほど自由に、しかもそれぞれ2カ国語で見ることが出来る。(もっとも、どれもこれも、面白くなし。)ゲームもできる。(実際はやらず。)メシ(ヤキトリもソバもいけた。)も結構。化粧品袋・大型がま口ももらった。

(脚注)ここにも、家族等向けのおみやげを買った話が出てくるが省略した。

 時々映画スクリーンにメッカの方向が示される。

 マレーシア航空でも、少なくともエグゼクティブクラス以上では、きちんとしたサービスができるとすれば、あのマレーシア国防省の事務能力のなさは一体何だったのかということになる。

一、空港での私の出迎え(軍人が行かされた可能性あり)に失敗した件がアジザさんに伝わっていなかったこと、
二、(陸軍の所管らしい)PKO訓練センターが活動停止中であることをアジザさんが知らなかったこと、
 及び、
三、国防本省の軍人(?)が日本の海上保安庁に行ったばかり(でどうやら、hydrographyの話しをしてきたらしい)というのにアジザさんはhydrographyが防衛庁の所管だと思いこんでいたらしいこと、
は、むしろ、マレーシア国防省内のシビリアンと制服の風通しの悪さを示すものに過ぎないのかも知れない。
四、東京での防衛政策担当者会議の出席者をめぐっての両者の鞘当てを見ても、
 また、
五、私がマレーシアを近々訪問すると在日マレーシア武官(ハミッド海軍大佐)にパーティー会場で話した時のまるで関心のなさそうな態度からしても、そう解すべきような気がしてきた。
 実際、
六、Rajayahさんは軋轢の存在をあっさり認めている。

 そうなると、

一、空港での出迎えに「失敗」したことや、
二、士官学校訪問の際の先導車到着の遅れ(すっぽかし?)、
 更には、
三、APEC非公式首脳会議の際の小渕総理車先導時の失態
は、単に日本軽視の表れと見ることが可能かも知れない。「東方政策」などは、最初からODAや民間投資を引き出すためのリップサービスに過ぎなかったということになろう。
四、マレーシアが、1985年に陸自幹部学校に最初で最後の留学生を送ったり、防衛大学校に1992年及び1995年にそれぞれ2名の留学生を送ったが後が続いていない
のは、日本が経済超大国化する可能性に依然として懐疑的でありつつ、巨大化する絶好調の日本経済を見て、保険をかけてみたところ、バブルが崩壊した日本を見て早くも1995-6年に日本を見切ったと解すべきではなかろうか。
 これは、
五、「友人」のザマン・カーンが、(警察の人間だとは言え、)もともと、関係を継続することに余り熱意がなく、クリスマスカードの交換すら、ここ数年とだえてしまっていたこととも符合する。

(脚注)RCDSの同期生で現在でも私のクリスマスカード(当方は新年カード)の交換をしているのは2人だけで、どちらも英国人(外務省キャリアと国防省キャリア)だ。同期生の約半数が非英国人で、当初私がカードを交わしていた相手は非英国人の方が多かった。これは決して偶然ではないのではないか。日本人と英国人は気が合うし、互いを重視していると思いたいところだ。

 マレーシアにも目端の利く人間は(少数であれ、間違いなく)いるわけで、恐らくは、このような稀少財たる人間を、米国や英国、更にはロシア等への対応の際には指名するのであろう。
 (このことは、
六、日本に来る前、駐マレーシア武官だったロシアのアガポフ武官が、後日、私に、「マレーシアは、回教圏で例外的に事務能力の高い国。自分の在勤中、そのような経験は一度もない。」と語ったことで裏付けられたとも言える。)

 マレーシアは、地理的にも、かつ実質的にも

一、インドネシアの腐敗、英語発信能力の弱体(+体制「危機」の継続)。
二、シンガポール(及びブルネイ)の人口、国土の小ささ。
三、タイの英語発信能力の弱体(+政治・軍事改革の継続)。
四、フィリピンの貧困と地域問題。
五、ベトナムの社会主義。

等々の理由から、ASEANの中核国であり、防衛庁としてお付き合いを継続すべき重要な国であると改めて感じたが、(仮にマレーシアが現在の経済困難から完全に回復したとしても、)単にMM協議を継続していくだけでも、当方から提供するものがないと容易ではないように思われる。 
 実現はなかなか困難であろうが、先方から要請が出た、防衛技術、防衛生産面での何らかの協力を考慮すべきであろう。(先方が関心をしめすかどうか分からないが、)情報の提供ならある程度可能ではなかろうか。

(脚注)日本の武器輸出禁止政策の緩和がなければ防衛交流しても意味がない、ということ。

 ISIS訪問が、当初の予定には入っていなかったことも、気になる。防衛庁として、各国国防省プロパーとの交流は当然最重視すべきだが、政府からどの程度独立しているかはともかくとして、政府に比べて自由な発想ができ、当該政府の政策に対し影響力のある、各国の有力大学、研究所、シンクタンク等との交流にも常に配意する必要があろう。

 機内で、林さん作成のMM協議議事録をチェックしようとするも、疲れでなかなかその気になれず、成田着陸直前からやり始め、みんなが降りだしたのも気がつかなかった。
2130:私と岡将補のトランクは先に出てきた(これがエグゼクティブクラスの最大のメリットか?)ので、それぞれ車が迎えに来ている二人で先に空港を後にした。

(完)