太田述正コラム#2261(2007.12.27)
<1991年の政務次官随行中東訪問記(その3)>(2008.7.12公開)

8月15日(木): 
 0845田中部員を交えて朝食。
 0930宿舎発。大使館へ。本日から、次官の移動には、借り上げ車を使用。この借り上げ車にも自動車電話が備えてあった。なお、ア首連では、電話の市内通話はただであるという。1005から、次官は、エミレイツ・ニュース(Emirates News)紙テッシー・デイヴィッド記者(インド系女性)のインタビューを受ける。通訳太田(英語)。大使、大野調査員、田中部員同席。(資料36「江口防衛政務次官記者インタヴューの概要」)
 休憩後、1100大使館発。絨毯屋「センター・オブ・オリジナル・イラニアン・カーペッツ(Centre of Original Iranian Carpets)」におもむき、次官は、大使及び大野調査員のアドバイスを得つつ、私的買物。日本での約4分の1の価格。同社は、ドバイとテヘランにも店を持ち、米国や日本とも取引があるという。
 買物中に全員がセブン・アップを振舞われる。同店のトイレはアラブ風で、日本式に近く、しゃがんで用を足す。
 1300から、日本資本の石油会社であるアブダビ石油(ADOC = Abu Dhabi Oil Co., Ltd.(Japan))のアブダビ鉱業所にて、アブダビ日本人会主催昼食会(ビュッフェスタイル。日本食を含む、無国籍料理(?))。主催者側は、日本人会長の桑原利夫アブダビ鉱業所長(アブダビ石油取締役)、吉田元就アブダビ鉱業所総務部支配人(Manager, Administration Department)、山根通宏コスモトレードアンドサービス・クウェート駐在員事務所長及び古賀正雄日商岩井アブダビ駐在員事務所長。こちら側は、大使、大野調査員、田中部員。懇談要旨は以下の通り。
 ・ア首連とクウェートは、OPEC破りをして、石油の増産を行う常習犯だったが、イラクは、自国の石油増産がままならないため、石油価格低下の影響だけをかぶってしまう。そこで、フセイン大統領は、この2国を名指しで非難していた。また、もともとクウエート人は成金風を吹かせて評判が悪かった。そこに、フセインによるクウェート侵攻が行われたわけだが、アラブ諸国は、心の底では、みな快哉を叫んだのではないか。
 ・中東の金融センターは、これまでクウェートとバーレーンだったが、バーレーンは石油が枯渇し始めており、またクウエートは、湾岸戦争で大きなダメージを受けた。そこで、アブダビが代わって、金融センターになろうと目論んでいる。
 ・ア首連の石油の40%は日本に輸出されている。日本から見れば、石油輸入額が一番大きいのがア首連だ。ア首連は、いざというとき、米国よりもむしろ、日本が来て守ってくれることを期待している。(大使)
・ア首連の乗用車の7ー8割は日本車だ。
 ・これだけ経済面で関わりが深いのに、日本から政府要人は殆ど訪れない。JALも湾岸危機で乗入れを中止してから、乗入れを復活する気配がない。
・ア首連の最大の構成首長国であるアブダビの首長家、すなわちア首連の大統領家には、日銭で50億にものぼる石油収入が入って来る。同家は、あの悪名高いBCCIのオーナーでもあり、石油収入は、これまで同銀行の首長家の口座に振り込まれていた。(BCCIではなく、BCCI系列のアブダビ法人であるBCCEだという声あり。)
・アブダビ石油の日課は、平日は0715から1415まで、木曜(日本の土曜にあたる。)は0715から1215までとなっており、ア首連の会社はどこでもこんなものだ。いずれにせよ、一日の仕事が終わってから昼飯になる。

 終了時に、大使館関係者用に日本から持参したものの残りの中から、主催側各氏におみやげを1個ずつ贈呈。

 1440宿舎帰着。1700宿舎発。まず、ダウ船が係留されたり、建造されたりしている埠頭を見学。それから豪華なお屋敷が立ち並ぶジュマイラ高級住宅街を通ってヘリテージ・センターへ。同センター長を兼ねる西武地区コミティーセンター担当官のムバラク・サイード・アル・ブライキ(Mubarak Saeed Al Braiki, Prosecuting Officer, Committee Centres in the Western Area)及びサイード・ムヘイリーア首連外務省アジア局1等書記官が案内。ムヘイリー書記官は、アラビア語、英語の通訳を兼ねて案内役をかって出たもの。
まず、天幕でアラビアンコーヒーとデーツ(なつめやしの実)をいただく。外に出て、らくだを見学。らくだは、夏場は暑すぎるので避暑地に置いてあるのだというが、我々のためにわざわざ連れて来たもの。次官は、らくだに乗せてもらった。らくだは人を下ろすときに急に前かがみになるが、その時、次官はまっさかさまに地面に落ちかかったところを、回りの人々に支えられてことなきをえた。次に古式農法における潅慨方法(人力によるものと牛によるもの)の実演を見学。今度は、昔の漁村風景を再現したコーナーだ。池には真珠採取船が浮かんでいる。両舷からオールを突き出し、そのオールにおもりをぶらさげて、一気に潜ったらしい。ペルシャ湾岸の天然真珠採取は、1920年代、日本の養殖真珠の出現等のため、壊滅的打撃を受けたという。昔のスーク(市場)の姿も再現されていた。住居地区では、天井から風を取り入れる、むしろのようなものでできたダクトつきの家や、夏場に外で寝るための夕涼み台のような造作が興味深かった。とにかく、わずか30年前までのアブダビの人々の生活と現在の生活との恐るべき変化に堂目した。最後は、再び天幕でアラビアンコーヒーつきの休憩。ここでセンター長からプレゼントをもらう。
 ヘリテージセンターをあとにして、金細工屋へ。次官は個人的買物で魔除の青い眼(ナザールボンジュー)入りのペンダントを購入。ア首連の通貨はディルハムだが、サウディ・リアルも通用する。
2030から、大使公邸で大使主催夕食会(ノーネクタイ。フランス料理)。出席者は、はかに細尾昌男2等書記官(陸上自衛隊から派遣された警備官)、高橋克彦2等書記官(岩手県出身)大野調査員及び田中部員。公邸は、アブダビで一番高いビルのてっぺんの2フロアーを占めている。懇談要旨は以下の通り。
 ・ ア首連の一帯は、昔から片田舎で、石油が出てからも日が浅く、人情が素朴だ。それに比べ、オーマンやサウディは独自の文化、伝統を持ち、気位が高いし、クウェート人は、成金風を吹かせて鼻持ちならない。ア首連は、湾岸で一番ましな国だと思う。(大使)
 ・クウェートのジャビル首長の評判は、極めて悪い。イスラム教徒は4人まで妻を持つことが認められている。(もっとも、教祖ムハンマドは、自分だけ例外を認めるとのアラーのお告げがあったとして、沢山の妻を持っていた。)他方、売春は禁じられている。そこで、売春婦と寝るときに、一夜の結婚契約を形の上で行うことがある。ジャビル首長は、一夜妻ではないが、1週間単位で妻を取り替えていると言われている。このため、財産関係等が錯綜するので、首長の結婚を登録するためだけの専門の国家機関が設けられているとも言われる。
・通産省等で米国との通商交渉に携わっていた頃には、米国も無理難題ばかりふっかけ、落ちぶれたものだと思い込んでいたが、湾岸戦争を大使として経験してみて、日本が3等国であることが良く分かった。戦争中、本省の訓令に基づき、米国大使にいざというときの日本人避難への協力方を要請した。米国大使は、そんな事態になるということは、米国が戦争に負けているということで、避難どころの話ではないが、万一そうなれば、米国人と同じ扱いをすると言ってくれた。一方、こういう話もある。その後の話だが、フィリピン大使が、私を訪れ、バーレーンにはフィリピン大使館がないので、万一の時、現地の日本大使館の協力を得たいという。そこで、こちらも同じような話を米国に頼んでいると答えたところ、先方はそれでも結構。日本大使館に頼んだというだけでフィリピン人は安心すると言っていた。(大使)
・日本からの武器輸出をア首連政府要人からも求められるが、今まではともかく、今後は無理だろう。(大使)
 ・いずれにせよ、今後とも3等国であり続けるのも日本の一つの選択だろう。(大使)
・アブダビでは、3カ月ごとの酒類購入限度額が設けられており、各自が証明書を携帯し、酒類を買うごとにその証明書に残枠が記入されるシステムが採られている。なお、酒類は、日本よりやや安い程度だ。実は、酒類について、外交官の免税特権が認められなくなったので、日本大使館としても抗議中だ。

2230宿舎に帰着。

8月16日(金):朝食は、太田が単独でとった後、次官は田中部員と。
 0910アブダビ市内でのショッピングに出発(案内は、大野調査員)。目指す小物類店や2軒のデパートは、いずれも休業。ショッピングアーケードは開いていたが、おみやげになるようなものは売っていなかった。そこで、スークを見学。青果・肉・魚市場が面白かった。その後、太田だけ、住宅街の中のモールで下ろしてもらい、アラビア音楽(Oriental Music と称する)のCDを捜すが、中のCD屋(貸しビデオ屋を兼ねる)には、欧米系の作品しか置いてなく、購入を諦める。
 1100に太田を拾い、次官及び大使一行は、150キロ離れたドバイへ向かう。 
1230からドバイのマリンホテルのマンダリンレストランにて、ドバイ&北部首長国日本人会主催昼食会(中華。東京の一流店並みの味)。主催者側は、日本人会副会長原田清志アラブ重工業(AHI = Arab Heavy Industries Ltd., S.A.Ajman。アジュマン首長国所在)専務取締役兼総支配人、高橋英明日商岩井ドバイ支店長、釜掘孝雄丸紅ドバイ支店長代理、及びフランスでの夏休みから戻ったばかりの菅(スガ)芳弘ドバイ日本人学校校長。当方の他の出席者は、大使、大野調査員及び田中部員。懇談要旨は次の通り。
・芝の張ってあるゴルフ場(エミレーツ・ゴルフクラブ(Emirates Golf Club))が最近(1988年)ドバイ郊外に一つ出来たが、およそ楽しみのないところだ。盛り場がない、美術館がない、コンサートが開かれるわけでもない。本屋に行っても英語のまとまな本はおいてない。映画のビデオソフトの海賊版がすぐ出るので、それを自宅で見るくらいしかやることがない。
 ・ア首連人には金持ちが多い。石油収入のおこぼれに預かっているほか、ア首連で企業を経営できるのは、ア首連人だけということになっており、外国企業は、金を払ってア首連人の名前を借りなければならないからだ。
 ・ア首連人にとっては、ア首連国内で楽しみが少なくても何等問題はない。金持ちの中には、自家用ジェット機を持っている者も少なくなく、気が向けば、英国やフランスの別荘にジェット機で遊びに行く。
 ・ア首連に出稼ぎにきているインド人等の連中にとっても問題はない。ア首連人に比べれば、安い給料で働かされるが、それでも、故郷にいたときに比べれば、何倍にもなる。こちらで運転手をしていたり、召使をしていても、故郷では、家を何軒も持っていたり、映画館を経営していたりという例は、決して珍しくない。
 ・一番割が会わないのが日本人だ。確かに給料は、日本にいる場合に比べれば2倍貰っているが、こういう熱暑の過酷な環境のもとでは、年をとるのも早い。日本の本社から訪ねて来る同期生と比べると分かるのだが、2倍は早く年をとるというのは決して誇張ではない。しかも、やがて帰国する日がきても、東京あたりでは、猫の額のような家にしか住めないのだから。
 ・ア首連では、絨毯等のイラン製品が安く手に入る。これは、イランから正規に輸出する場合は、高額の輸出関税がかかるが、夜の闇に紛れてダウ船で密輸すれば、これががかからないからだ。(なお、ア首連の輸入関税は、1%で、関税がかからないも同然だ。)
 ・日本の掃海部隊は立派なものだ。米軍と比べると、派遣されている数が全然違うことは事実だが、米兵については、人種対立が激しく、また、そもそも素行の悪い者が多いため、しょっちゅう喧嘩や事故を起こして地元の人々のひんしゅくをかっている。一方、日本の方は、そのたぐいの話は、皆無ではないか。
 ・湾岸の在留邦人が掃海部隊に冷たいという朝日のニュースは、全く事実に反する。また、日本人学校の教師が掃海部隊見学を拒否したという記事も必ずしも正しくない。日教組員の先生がたは見学に行かなかったというだけの話だ。

1450レストランを出て、1510ドバイのラシッド港(Port Rashid)入港中の補給艦「ときわ」着。
 別送してあった次官からの掃海部隊への慰問品の酒のつまみ(昆布80包、さきイカ140包、イカの薫製140包、蒸しイカ140包、磯小巻160包、焼き上げ100包、ピーナツ50包)が届いていることを再度確認。太田より、隊友会から預かってきた芳志$3、000 と、池田防衛庁長官から落合司令にと預かってきた色紙を1等海佐両角(モロズミ)良彦ときわ艦長に手交。ブリーフィング(資料37「掃海部隊ブリーフィング要旨」)終了後、艦内を視察。冷凍庫から補給物資が自動的に運び出され、上甲板に上げられるまでの実演を見る。
 1630ときわ発。ドバイ運河を見学して時間をつぶしてから、ハイアット・リージェンシー・(ホテル)・ドバイの合同記者会見場(ゴールデンルーム)へ。
 1715から記者会見始まる。通訳太田(英語)。「湾岸危機以降の日本の貢献(Japan's Contributions Following the Gulf Crisis) 」(資料38)という外務省の文書を大使館の求めに応じて配布。ひな壇に並んだのは、次官、大使、両角ときわ艦長、太田、田中部員(記録)。記者側は、24社に声をかけたところ、ロイター(氏名不明)、アル・イッチハッド(Al-Ittihad)紙のワグデイ・ラテブ(Wagdi Rateb)記者、アル・バヤン(Al-Bayan)紙のアブドゥル・ラヒム(Abdul Rahim )記者及びアブドゥルワヘッド(Abdulwahed)記者、カレージ・タイムス(Khaleej Times)紙(氏名不明)、ガルフ・ニュース(Gulf News)紙のラシャ・オワイ(Rasha Owai)記者、エミレーツ・ニュース(Emirates News)紙のアイザック・ジョン(Isaac John)記者 。(会見要旨は、資料39「ファックス信」参照)
 1800会見終了。コーヒーとケーキで休憩。
警備担当の士官から、大野調査員を通じ、聞き出した話は以下の通り。
 ・湾岸戦争後、ア首連陸軍の9割はア首連人になった。海空軍のア首連人化は 進んでいない。
 ・新兵の給料は15万円程度。諸手当込みでは27万円程度になる。

 1830出発。隣の首長国シャルジャへ。スークを見学。アル・ブハイラ・ギフツ&アンテイーク(Al Buhaira Gifts & Antiques)にて、次官と太田、個人的買物(次官は木製テーブル盆立て、太田はプリント地のテーブル・クロス購入)。次官は、その近傍の系列の絨毯屋で、更に絨毯も購入。
 ドバイに戻り、2000から、合同記者会見をやったのと同じホテルの隣の部屋で次官主催夕食会開催。(資料40「江口次官主催夕食会招待者リスト」)
ドバイ側ゲストは、主賓の船長(Captain)ジョージ・バイロー(George Biro)ドバイ・ジュベル・アリ・フリー・ゾーン局議長次席補佐官(Advisor to the Chairman, Government of Dubai Jebel Ali Free Zone Authority)(スコットランド人。かって船長、水先案内人を務める。)のほか、ウィリアム・アレクサンダー(William Alexander)ラシッド港港務長(Harbour Master of Port Rashid, イギリス人)、ロルフ・ムカルダッド(Rolf Muchardt)ガルフ・エージェンシー(Gulf Agency, 補給契約会社)マネージング部長(Managing Director, スウェーデン人)及びシャシ・ナイール(Shashi Nair)同社オペレーション担当支配人。
 形式はビュッフェスタイル(着席)。料理は日本食を含む(屋台も出ていた)。太田が次官の挨拶等の通訳(英語)を務める。
 2200夕食会終了。支払いを済ませて2220出発。
 2350アブダビでの宿舎に帰着。太田は田中部員作成の合同記者会見記録をチェック。(本記録は、翌日田中部員がホテルのFAXで防衛庁へ送付した。)その後、田中部員に次官の持ち帰る荷物の梱包をしてもらう。太田の就寝は17日の0330。

8月18日(土): 週末が木金であるアラブ世界においては、本日は、日本の月曜にあたる。次官と太田で朝食をとる。田中部員は、梱包のやり直しがあったため、朝食抜き。ペルシャ湾で一度泳いでみたいという次官の希望は、結局時間がとれないため、果たせず。
 0845宿舎出発。車中で太田より、大野調査員にア首連滞在中の車(1台)の借り上げ経費(¥86,000)を支払う。
 0930より、ア首連参謀本部にて、陸軍少將ムハンマド・ビン・サイード・アル・バデイ・アル・ザーヒリー(Muhammad Bin Said Al Badi Al Dhahiri)参謀総長と会見(資料41「ア首連参謀総長との会見要旨」)。通訳は高橋書記官(アラビア語)。会談冒頭に、佐久間統幕議長から参謀総長宛の先般のア首連訪問の礼状を太田より参謀総長に手交。これは、大使館から託されたもの。会談終了後プレゼント交換。
 1000より、引続き空軍少將・殿下ムハンマド・ビン・ザイード・アル・ナハヤーン(His Highness Muhammad Bin Zaid Al Nahyan) 副参謀総長(アブダビ首長(すなわちア首連大統領)の三男。1961年生まれ(もっとも、生年については諸説あり)であるから、30才そこそこ。空軍司令官当時、大葬の礼及び即位の礼に参列。昨年の即位の礼のための来日時、防衛庁を訪問し、長官及び空幕長を表敬、航空総隊司令部(府中)を視察。)と会見(資料42「ア首連副参謀総長との会見要旨」)。この会見は、参謀本部到着後、突然我々に知らされたもの。このため、参謀総長との会見の最中に急遽田中部員に玄関の外で待たせてあった車まで走ってもらい、プレゼントを持ってきてもらった。通訳同じ。終了後このプレゼントを贈呈。
 1020参謀本部発。2個残ったプレゼントを、ヘリテージ・センターでお世話になったムバラク・サイード・アル・ブライキ氏とサイード・ムヘイリー氏にそれぞれ渡してもらうように大野調査員に依頼。
 1035アブダビ空港着。搭乗のガルフ航空GF5便は、1100出発のところ、エンジンスターターのトラブルのため、50分遅れて1150にテークオフ。太田も次官と並んでファーストクラス。これは、本日の会談を日程に入れたことに伴い、出発便を変更する必要が生じ、エグゼクテイブ(及びエコノミー(?))クラスが満席であったため。その差額料金は、結局請求されなかったが、その経緯は不明。
 映画は、「ロシア・ハウス(Russia House)」(ショーン・コネリー主演)。
 1625ロンドン・ヒースロー空港着陸。再び在英大使館の高橋書記官が出迎え。日航からは、男女一人ずつの係員が対応。トランスファーの時間が殆どないので、次官と太田は電気自動車で移動。トランクを入れて合計8個の荷物の移し替えが出来るか心配したが、辛うじて間に合った。
 1655JAL404便テークオフ。次官は、ファーストクラスで相沢英之衆議院議員・司葉子夫妻及び同夫妻の御子息と一緒。映画は、「訴訟」(マイケル・アプテットとジーン・ハックマン主演)及び「グッバイ・ママ」(秋元康監督。松阪慶子主演)。

8月18日(日):1239成田空港着陸。大越官房総務課長等が出迎え。

(完)