太田述正コラム#2239(2007.12.16)
<私の手がけた2度目の白書(詳述篇)(その2)>(2008.7.6公開)

 いささか先を急ぎすぎたようだ。話を戻そう。
 昨年、審議官として白書担当を命ぜられてまず感じたことは、防衛白書に関する防衛庁の最近の努力が必ずしも実を結んでいないということだった。
 冊子として発行される防衛白書について言えば、文章は分かり易くなっているし、図表等にも工夫が凝らされてきているが、いかんせん読まれていない。昭和57年白書の頃には、防衛白書は、ダントツのトップであった経済白書に大きく水を開けられつつも、販売部数は堂々の第二位で、3万部を窺う勢いだった。ところが、冷戦の終焉の頃から大幅に売れ行きが落ち込み、今では1万部から1万2千部弱程度で、順位も7位から10位くらいを低迷しているという有様だ。マーケット・リサーチをしたわけではないので、確たることは言えないが、防衛産業関係の方々に余り読んでもらえなくなったのではないかという気がする。また、CD-ROM版の防衛白書も、作成されるようになってから数年たつが、昨年日本経済新聞やテレビ東京で採り上げられる等、内容のできは決して悪くないにもかかわらず、時期はずれに発行されてきたことや定価が高いこともあり、2−30枚しか売れていない。
 このほか、関係団体や図書館等に無償配布される広報版が冊子についてもCD-ROMについても存在するが、市販版が余り売れていないということは、広報版も並べておかれるだけで、余り読まれていない可能性が高いということだ。
 そもそも、防衛白書は法定白書ではない。正式名称も「防衛白書」ではなく「日本の防衛」だ。つまりは、日本の防衛政策や自衛隊について、国民に説明し、理解を求めるために防衛庁の意思で出している一広報文書にすぎず、毎年出さなければならない筋合いのものではない。従って、極論すれば、いくら内容に工夫を凝らそうと、白書そのものは媒体に過ぎないのであって、その白書が国民に余り読まれないのでは、出している意味がないということだ。

2 マーケティング戦略

 そこで考えたのが、市販版等の白書の冊子にCD-ROMを付録としてつけて出すことだった。見渡してみると、通信白書と労働白書で既にそのような試みが行われていた。このCD-ROMに、三番煎じと言われないような新技術・新機軸を盛り込めばどうかということだ。CD-ROM付きの防衛白書であれば、冊子とCD-ROM双方の発行のタイミングが合致することはもとより、両者のシナジー効果が発揮され、かつ、両者を合わせた価格を低く抑えることも出来、これに加えて適切な広報・普及活動を行えば、若い人を中心に新規の読者層の開拓が出来るのではないかと考えた。
 なお、CD-ROMを添付することによって、冊子の物理的限界を超えて多量の情報を盛り込むことが出来るようになるが、このことは、情報公開の要請にも答えることになると考えた。以上が考えた第一だ。
 今度の防衛白書は、防衛白書としては初めて大蔵省印刷局の今年度の重点広報図書に選ばれているが、これはCD-ROMを添付したからこそと思われる。また、マスコミも、防衛白書にCD-ROMが添付されたことを好意的に報道してくれている。(7月28日付サンケイ、7月29日付東京、8月7日付日経)

 第二に考えたことは、このようにして開拓された読者が、手にすることとなる白書の本文の中身を出来る限り分かり易いものにし、CD-ROMに入っている動画や写真だけでなく、CD-ROM上で、あるいは冊子の方で白書本文を読んでもらうこと、そしてできれば読み通してもらうこと、更には読んで損をしたと思わせないことだ。
 そのために、今回配意したことは、白書本文の章、節、項等の構成を出来る限り体系的・論理的なものにすることだ。これは、昭和57年の白書でも配意したことだが、時代や白書の性格の変化を踏まえて、白紙状態からやり直したと言うことだ。そのねらいがどこまで達成されたかは批判に待ちたいが、久方ぶりに、おぼろげながらもストーリー性のある白書、個々の記述が特定の場所でなされていることにある程度必然性の感じられる白書が編纂できたのではないかと自負している。

 しかし、ここで終わってしまったのではまだ不十分だ。今や、行政府の考え方を一方的に国民に伝達してこと足りる時代ではない。しかも、防衛庁・自衛隊そのものの信頼性が揺らいでいる昨今だ。そのような押し付けがましい態度では、国民から反発を食らうのがオチだ。そもそも、理想論から言えば、防衛問題について、国民自身に考えてもらい、できれば国民の側から政府・防衛庁がフィードバックを受けることこそ望ましい姿であるはずだ。そのためには、白書本文を閉ざされた自己完結系にしないことだと考えた。これが第三に考えたことだ。
 その結果導入されたのが最終章たる第6章だ。第1章から第5章までが従来型の構成の部分であり、いわば、第1部であるのに対し、最終章は第2部とも言える。この最終章で防衛庁・自衛隊が受けている内外からの大きな挑戦をありのままに描いたのは、まさにそのためであり、国民に対する問題提起のつもりだ。この編纂基本構想は、不審船時案が起こる前から確立していた。
 我々としては・・私はと申し上げた方が良いのかもしれないが・・この最終章で描かれた三つの大きな挑戦に対する回答は、未だ、少なくとも一義的な形では出ていないという認識でいる。

3 白書本冊について

 (1)史上最長・最高価格

 今回の白書の、余り自慢にもならない特徴の一つは、史上最長の防衛白書だと言うことだ。外交青書は上下2巻だし、防衛白書より分厚い白書はいくらでもあるが、CD-ROMもつけた上、本文は読み通してもらうことを狙った以上、少なくとも前年の白書よりは冊子の頁数を抑えようと最初は考えた。しかし、それを果たすためには時期が悪すぎた。書くに値する、或いは書かざるを得ない事柄が次から次への生起したため、結果的には最長になってしまった。
 もう一つ自慢にならない特徴は、最もお値段の高い防衛白書だと言うことだ。もっとも、前年の白書は1400円(税抜き)であり、それより頁数が増え、CD-ROMまでついて2200円(同じく税抜き)が高いか安いかはむつかしいところだ。前年より白書の売れ行きが増えれば、・・我々としては、増えると信じているが、・・適正な価格だったということになろう。

 (2)I氏のコメント

 今回の白書に対する新聞各紙等の報道や論調を見ると、その多くは北朝鮮白書だ、有事法制白書だ、日米同盟強化白書だ、調達改革白書だといったキャッチコピー的な取り上げ方をしており、未だ堀下げた論考には接していない。
 そこで、昭和57年白書当時の林茂氏ならぬ、I氏・・彼は評論家であり畏友でもある・・が、平成11年白書について、直接早々と私に寄せてくれたコメントをご紹介しよう。私自身の意図をストレートに織り込まなかった今回の白書について、なおかつ編纂者意思をさぐろうとした彼の努力を多としたい。(「10年版白書及び11年版白書の構成」を参照されたい。)

  ア 第6章の導入
 I氏曰く、11年白書の最大の特色は、CD-ROMの添付を別にすれば、何と言っても最終章たる第6章にある。
 最終章の第1節で、防衛庁が、過払い事案に関する見解を撤回する事態に至ったほか、この件に関連して、いわゆる証拠隠し疑惑を引き起こした旨を記述している。これは、防衛庁が、大きな判断ミスを犯すことがありうることを示唆しているものとも解しうる。また、担当機関において、相互牽制が働かず、監督する立場にある内部部局によるチェック機能も働かなかったとして、防衛庁の組織の欠陥を指摘している。更に、当該事務に精通している人材が不足しており、繰り返し同一部門に特定の者がつくこととなり、組織を閉鎖的にした面があるとして、防衛庁の人事・教育面での問題点も俎上にのせている。
 このような記述は、調達改革に係る報告書類において既に見られたところだが、防衛白書において、しかも防衛白書のここの個所で、防衛庁が、いわば内からの挑戦である防衛庁問題を抱えていることを率直に語った意味は、そう軽いものではないと考えるべきだろう。
 なぜなら、同じ章で、引き続いて第2及び第3節(正確には、第1章に言う、ノドンの配備と合わせとらえられるべき)で記述される、従来の枠に収まりきれない新たな事案について、防衛庁が、その教訓・反省を踏まえた適切な施策等の展開が今後可能かどうか、深刻な疑問を投げかけていると解することもできるからだ。
 I氏のコメントは続く。
 以上のように、「防衛庁問題」が未だ真に解決してはいないという認識に立つのかどうかで、今回の白書では触れられていない一連の不祥事、すなわち、海上自衛隊における試験不正や実弾不時発射事案、航空自衛隊における2件の類似収賄事案の露見・・そのうち一つにはアルバイト事案がからんでいる・・、陸上自衛隊における警務官の郵便局強盗事案、防衛医科大学校における収賄やアルバイト事案の露見、技術研究本部における不真正な報告書の作成や報告書不作成事案の露見等の不祥事の連鎖についての受け止め方の深刻さの度合いが決定的に変わってくると思われる。
 なお、第2と第3節が、第6章の中で第1節に引き続いて配置されたことについて、更にうがった見方をすれば、第1節の「防衛庁問題」解決の端緒が検察という防衛庁外部の「介入」によって初めて与えられたように、第2及び第3節の各事案についても、防衛庁を超えたレベルで、従来の日本の防衛政策の枠組みそのものの見直しがなされない限り、真の対応など不可能であることを示唆していると読むことも、まんざら的外れではあるまい。

 そういう風に読むとすれば、第2節のテポドンの事案に関しては、弾道ミサイル防衛(BMD)や情報収集衛星は費用対効果上どんなものか、また、これらだけで十分か、と疑問を持てと示唆しているのかもしれないし、更に言えば、むしろ、その前に、米国の核抑止力の実効性の確保や政府の中央情報機構の整備が必要かどうかを検討すべきだと示唆しているのかもしれない。
 また、第3節の不審船事案に関しては、領域警備任務を自衛隊に付与する必要があるのではないか。より一般的に言えば、自衛隊に対し、各国軍隊には当然のこととして認められている平時機能を付与する必要があるのか否かを検討すべきだと示唆しているのかもしれない。
 I氏のコメントは、なおも続く。

  イ 「より安定した安全保障環境構築への取組」が節に落ちていること
 2年続けて章であったもの(平成9年白書では「より安定した安全保障環境の構築への我が国の貢献」という章)が節に落ちたのだから、注目に値する。
 一旦章レベルからは消えていた「国際貢献」が、平成8年から10年までの白書で章として復活するに至ったのは、防衛庁の秋山前事務次官が、その経理局長、防衛局長、事務次官時代を通じて、一貫して諸外国との防衛交流・安全保障対話に力を入れてきたことが背景にあったものと思われる。従って、昨年あのような形で秋山次官が辞めるようなことなかりせば、この章が再び節に落ちるようなことは、恐らくありえなかったところだろう。
 朝日新聞も「地域紛争への国際連合の役割について、白書は「各国間の利害が錯そうしていることもあり、その果たしうる機能・能力に限界がある」と指摘。多国間や二国間の対話にも「新たな地域紛争の発生の阻止に必ずしも成功していない」と冷ややかだ」(7月27日付夕刊)と報じている(・・前年の白書では、「強制措置を伴う活動や予防展開のような活動など・・[の]新たな試み・・がすべて成功しているわけではなく、_その限界が指摘されている。」だったが、_の部分に、「特に、複雑な背景を有する地域紛争については、」という文面に続いて、朝日が引用した部分が挿入された。また、前年の白書では、単に、「多国間あるいは二国間の対話の拡大の動きが活発化している。」となっていた・・)ところだが、国際軍事情勢の章におけるこのような記述の変化を合わせ考えれば、章を節に落としたことは、自衛隊による国際貢献に安全保障上、過大な期待を抱くなと警告したものと解することができよう。
 また、これを、武器の携行・使用に依然として厳しい制約が課されており、また、いわゆるPKF(本体)業務の実施が凍結されている等、国際平和協力業務、PKOを、他国に比べて非常に偏ぱな形で実施していることへの批判と見ることもできよう。
 更にうがった見方をすれば、安全保障対話・防衛交流が、最も重要で、最も身近に存在する在日米軍との信頼醸成を疎かにしたまま実施されていることを指弾しているとの解釈もできるかもしれない。われわれが、阪神大震災の時に米空母等による支援を、相手が米軍である故に断ると言う非常識な対応をしたのはまだつい最近のことだ。その一方で、米軍の方では、かねてより、良き隣人かつ良き客人たるべく、日本の地域社会との交流に懸命に取り組んできている。このことを囲み記事の形で今回の白書が初めて紹介した背景を推察すれば、案外、このうがった見方の方が正しいのかもしれない。
 そこまで深読みをしないとしても、足下たる国内で、自衛隊に関し、陸海空自衛隊の統合運用化、有事法制の整備、緊急事態対応策の確立、そして現実的・実戦的な訓練の実施等、やらなければならないことが山積している現状で、「より安定した安全保障環境構築への取組」、すなわち「国際貢献」をいたずらにプレイアップし過ぎることには問題があることを訴えようとしているという読み方をすることは十分可能だろう。
 I氏のコメントの紹介は、もう少しで終わるのでご辛抱願いたい。

  ウ 「日米安全保障体制に関連する諸施策」が依然章として残っていること
 「より安定した安全保障環境構築への取組」が節に落とされたのであれば、前年章に昇格したばかりの「日米安全保障体制に関連する諸施策」の方も節に落とすことも、上記と同様の理由で大いにありえたはずだ。一体どうして両者が違った扱いになったのか。
 実際に決め手となったのは、案外、タイミング論であった可能性がある。単に、周辺事態法等が、あれだけ国会で論議された上で成立した年に出る防衛白書で、日米安保に係る章を節に落とすわけにはいかなかったということだったのかもしれない。
 さはさりながら、日米安保が章として残ったことは、恐らくは正解であり、必然なのだろう。
 形式論で言えば、現行の防衛大綱において、日米安保は日本の防衛の前提ないし与件に位置付けられているのに対し、国際貢献は、防衛力の三つの役割(我が国の防衛、大規模災害等各種の事態への対応、及び、より安定した安全保障環境の構築への貢献)のうちの一つに過ぎない。防衛力の三つの役割については一つの章の中に収録できても、日米安保に係る各論までも同一の章の中で扱うことは、防衛大綱の構成からして困難だ。
 形而上学的に言えば、いわば防衛政策の各論に当たる部分が、自衛隊関係と米軍関係の二つの章に分かれているのは、我が国の防衛政策の淵源そのものの二元制(憲法と安保条約)・・これは共産党等が良く言うことだが・・に由来するものと見ることもできよう。
 また、実体論で言えば、米軍関係法制及び米軍支援法制と自衛隊関係法制及び自衛隊支援法制に差異があること、すなわち、米軍関係法制及び米軍支援法制の方が、自衛隊関係法制及び自衛隊支援法制より幅広く整備され、内容的にもより手厚いものとなっていること。それが、周辺事態法等の成立によって一層甚だしくなっていることを批判的に示唆しているものと見ることもできる。マスコミが一様に報じているように、今回の白書では、前年の白書にあった、「法制化するか否かという問題は高度の政治判断に係るものであり、国会における議論や世論の動向などを踏まえて対応すべきものである」との一文が削除されており、有事法制の整備について、積極的な姿勢を打ち出しているが、このことは、以上のような文脈の中で評価すべきではないか。
 更にうがった見方をすれば、「日米防衛協力のための指針」のようなものがあるのは日米間だけであること、また、世界広しと言えども、駐留米軍経費のコストシェアリングをしているのは日本だけ(韓国が若干追随)であることに気づかせようとしているということになるのかもしれないが、ここまでくると、深読みし過ぎというところか。
 
  エ 「防衛力の意義と役割」という節が今回の白書で解体されたこと
 それまでこの節の中に盛り込まれていた陸海空各自衛隊の特性に関する記述が削除されたわけではなく、自衛隊の三つの基本的な作戦について記述した節の中で分散注記されるに至っただけとは言え、長年にわたって維持されてきた節が消えたことにはそれなりの意味があろう。これは、陸海空自衛隊の統合運用が不十分であり、統幕の一層の強化や情報化社会対応を含めた防衛庁中央組織の抜本的近代化の必要性を訴えていると解すべきか。

  オ その他
 今回の白書で、初めて緊急事態対応策の検討の中身にまで踏み込み、その中で領域警備問題についても初めて言及したこと、更に自衛隊の基本的な作戦のうちの着上陸侵攻に関する記述の中とは言え、ゲリラ・コマンドゥ攻撃(改訂された「日米防衛協力のための指針」に初めて登場)と離島に対する攻撃について初めて言及したこと、弾道ミサイル防衛及び情報収集衛星についてそれぞれ詳述したこと、結果論だが、不審船事案やテポドン事案がたまたま生起し、これら事案への言及がなされたこと等は、「国民生活を維持するための施策」という項が今回の白書で廃止されたことと合わせて考えれば、恐らく、低強度(ロー・インテンシティー)のゲリラ・コマンドゥ攻撃等の脅威と高強度(ハイ・インテンシティー)の核の脅威にもっと目を向けよと言うシグナルなのだろう。(ちなみに、ゲリラ・コマンドゥ攻撃は地域が限定され、他方、核攻撃は短時間で結果が出てしまい、長期にわたる全面的有事における「国民生活を維持するための施策」の出番は余りないはずだ。)

 以上でI氏のコメントの紹介を終えたい。

(続く)
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<太田>

 I氏とは架空の人物であり、私自身です。
 平成11年防衛白書については、昭和57年白書の時の「林氏」に相当する人物、すなわち春秋の筆法で編纂した私の白書を解読してくれる人物は、公的にも私的にもついに現れませんでした。 
 これは、一般的常識には反することですが、1982年当時よりも1999年当時の方が、安全保障問題に対する国民の関心が更に希薄になってしまったことを示している、と私は考えています。