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太田述正コラム#2649(2008.7.5)
<関西にて>

1 始めに

 昨日、まず神戸に行き、平成20年度兵庫県高等学校教育研究会・国際理解教育部会総会・第81回前期研究大会(主催兵庫県高等学校教育研究会国際理解教育部会、共催:解く率行政法人 国際協力機構兵庫国際センター、後援:兵庫県国際交流協会)の場で、1100〜1230前、講演(質疑応答を含む)を行い、大阪まで戻り、新大阪駅近くのビジネスホテルにチェックイン後、1800〜2400過ぎココプラザの「シーステージ」で開催された太田コラム・オフ会に出席してきました。
 講演会でお世話いただいた読者の久保さん、オフ会の幹事をやっていただいた、やはり読者の忽那さん、大変お世話になりました。
 お二人に心から御礼申し上げます。

2 4日午前

 何となく胸騒ぎがして午前4時過ぎに目が醒めると、大雨。
 パソコンをつけると、久保さんからメールが来ていました。
 前夜メール添付で送った講演会用レジメ(実体は講演会原稿そのもの)がword2007文書であったところ、word2003文書にして再送して欲しいというのです。
 大慌てで手配しました。
 そして起きたついでに、もう一通私的メールを送りました。
 こうなるともう眠れません。
 そのまま朝食をとって、かなりの雨の中を少し早めに家を出ることにしました。
 東京駅に着くと、三島付近が豪雨のため、新幹線が止まっているというではありません。(実は自宅からは品川駅の方が近いのですが、前夜あわただしくインターネット予約したので、乗車する予定ののぞみが品川駅に止まるかどうか確かめていなかったのです。そもそも全部品川に止まるんだったか?)
 ままよ、と久保さんご指定ののぞみ5号に乗車して待ったところ、意外に早く、予定より10分遅れの0700、出発しました。
 しかし、先がつかえているため、どんどん遅れ、結局40分遅れで1018分、新神戸に到着しました。神戸はうって変わって良い天気で暑く感じました。タクシーで国際協力機構(JICA)兵庫国際センターに到着。
 幸い、久保さんが相当サバを読んでおられたようで、ゆうゆう時間に間に合いました。
 講演は、久保さんの手で参集の先生方等にコピーして配布済みの講演原稿から適宜つまみ食いする形で進めました。
 その際、別の読者にお願いして作成してもらっていたパワーポイントの図表を持参ノートパソコンとプロジェクターをつないで用いました。
 (これまた、前夜遅くになって、初めてそのできばえをチェックさせていただき、余りの素晴らしさに舌を巻いたばかりでした。USさん。まことにありがとうございました。)
 聴衆は大部分が兵庫県の高校の先生方でしたが、質疑も活発で、久保さんも質問をされました。(久保さんは、夜のオフ会にも出席されました。)

3 4日午後

 昼食は三宮の駅構内でとりました。「彩彩」という店の日替わりランチのカニクリームコロッケがバカうまかったです。
 新大阪では、駅のすぐ近くのJR系のビジネスホテル(忽那さん予約)に行き、チェックイン時間まで、ロビーで持参のインターネット環境で記事のダウンロード作業等を行い、約30分後、チェックインしてからは、このホテルのインターネット環境で引き続き作業を続けました。
 1800少し前に、オフ会の会場に入り、1800からオフ会が始まりました。
 ところが、1900過ぎから、私が、朝方の講演の一部を利用する形で、録画撮りのための話を始めた頃、どうやら私の疲れがピークに達していたらしいところへ、既に生ビールが相当入っていたためか、自分自身何を話しているのか分からなくなり、何度も録画撮りを中断する羽目になり、支離滅裂な話になってしましました。
 この録画撮りも忽那さんが担当されたのですが、さぞかしユーチューブ・アップ用の動画ファイル編集/作成に苦労をされることでしょう。
 申し訳ありません。
 しかし、この会には23名もの読者等がお集まりいただき、質疑を中心に議論がすこぶるつきに真剣かつ活発に行われたので、オフ会全体としては、自分で言うのも何ですが、充実していたのではないでしょうか。
 予定の2400を過ぎても、なお10名以上の方が残られておられ、しのびなかったのですが、私の方から会のお開きをお願いしました。
 私が一方的に話をした30分強を除き、出席者との議論は多岐にわたり、到底まとめきれない、というか、私自身細部をほとんど覚えていないので、議論のおおざっぱな流れだけをご紹介しておきます。
 最初に話題になったのは、縄文モード/弥生モード論についてであり、余り得心できないと何人かの方が言っておられました。私が弁明にこれ努めているうちに、次第に議論はアングロサクソン論に移っていきました。
 ここで、録画撮りが行われ、それが終わってからは、先の大戦をどうみるか、その関連で、米国が先の大戦の元凶なのか、米国はそもそも国際情勢音痴なのか、先の大戦における英国の位置づけをとりわけ日本との関係でどう認識すべきか、日本の陸軍と海軍はどちらがマシだったか、どうして戦後の日本人は陸軍を嫌い海軍贔屓なのか、また司馬史観をどうみるべきか、なぜ司馬史観が今でも日本の政治家等の間で人気があるのか、太田が現在の先の大戦史観に到達する契機となったのは何か、等が話題となり、それ以降は、おばさん連中に憲法第9条はダメなことをどうやって納得させたらよいか、民主党が政権をとって本当に日本の政治は良くなるのか、前回の短期間の政権交代は意義があったのか、太田はどうしてもう一度立候補を考えないのか、どうしてあのような頻度でコラム執筆を続けているのか、日本の主要マスコミはどうしてダメなのか、女性が働くことの意義をどう見るべきか、陸自と海空自とで装備品で民生品を使うか特殊スペックのものを使うかという違いがあるように見受けられるがそれはなぜか、教育とりわけ受験はどうあるべきか、オバマはライトの史観と本当に同じ史観を抱いているのだろうか、小沢一郎をどう評価すべきか、鳩山由紀夫と野田佳彦を太田が評価する理由いかん、朝鮮日報の日本語版と英語版とでは編集方針にかなり大きな違いがあるのではないか、日本の核政策はどうあるべきか、日本に対する軍事的脅威がないということについて改めて説明して欲しい、兵頭二十八を太田は現在どう思っているのか、堤清二と太田が会ってどんな印象を抱いたか、太田の2冊の本が近々出版されるがその意義いかん、塩野七生に対する太田の批判はちょっと厳しすぎるのではないか、等をめぐって議論が行われました。
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太田述正コラム#2651(2008.7.5)
<私の1つ目の人生>

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