太田述正コラム#2646(2008.7.3)
<皆さんとディスカッション(続x183)>

<読者YY>

 いつもコラムを楽しみにしております。
 議論の本質ではありませんが、一点、指摘をさせていただきたく存じます。
 コラム#2640中の文言で、「大蔵流狂言師の茂山千之丞」とありました。
 正確には、「能楽師大蔵流狂言方茂山千乃丞」となります。
 狂言は能楽の中の(シテ方、笛方などと同じく)一つの役という位置づけです。
 一般的に狂言方は「狂言師」と呼ばれていますので、全くの誤りとは言えないと思いますが、念のため。
 (尤も、配信している報道機関が「狂言師」と使っているので仕方ありませんが)

 ご参考までに
http://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/whats/yaku.html

<太田>

 分かりました。

<読者FS>

 毎日2篇のコラムで大変勉強をさせていただいております。
 ネット上のディスカッション抜粋を含むとはいえ、これだけの量を維持されるのは、なかなか大変なのではないかと、素人ながら心配になってまいります。
 提案ですが、コラムは日に1編、もしくは2日に1編に抑え、4半期か半年に一本…できればアングロサクソン論、米国論、欧州論、日本論をテーマにした論文に代える…などということは可能なものでしょうか?
 時事問題に関する読者とのディスカッションもそれはそれで興味深いですが、それらを読むにつけ、まともなディスカッションが成立するための要件は、その背景たる、わが国を含めた各国の文化、歴史への認識が、少なくとも太田様と読者の間で共有されることだと、最近とみに感じているところです。
 これまでのコラムを読み続けていれば、自然と共有されるはずだとは思いますが、一方で集大成となる論文があれば、「まずこれを読んでから」という処し方も可能となるでしょうし、何より私自身が読んでみたい、学びたい、という気持ちもございます。
 いっそ、読者有志も巻き込んで、サーベイ等を分担し、共著としてまとめるのも面白いかもしれません。その際は若輩ながらお手伝いさせていただくにやぶさかではありません。ひょっとしたら、非力すぎて誤字脱字の訂正くらいしかお役に立てないかもしれませんが…。
 以上のような考えは一読者だけの我侭かもしれませんが、そのようなリクエストもあるのかな、とご理解をいただければ幸いです。

 末筆ですが、新著のご出版おめでとうございます。大変楽しみにしております。
 今後のますますのご活躍を祈念いたしております。

<太田>

 1日2篇の執筆に、平均して1日12時間前後を費やしている勘定です。
 何もなければ、どうということはない負担ですが、何かほかに時間をとられることが出来するとてきめん、きつくなります。
 雑誌等に毎週あるいは毎月定期執筆を依頼されたり、TVに定期出演を依頼されたりすれば、執筆頻度を減らし、コラムの有料購読料も値下げしようと考えているのですが、なかなかそうは問屋がおろしてくれません。
 出版については、今度出る2冊の売れ行きいかんによっては、次の出版の話がまた来るかもしれません。そうなれば、そろそろ既執筆コラムの編集ではなく、コラム執筆頻度を下げて新たに書き下ろしを行って私の本を出版しようかなと思っているのですが、これまた、今のところ捕らぬ狸の皮算用ってやつです。
 というわけで、ここ当分は1日2篇のペースで続けることになりそうです。
 なお、本日は明日の神戸での講演会の準備があり、明日はこの講演会と新大阪でのオフ会があり、更に明後日は、帰京するもののヤボ用があり、新規コラムの配信がこの間できなくなるかもしれません。あしからず。

<田吾作>(田吾作による叙述箇所は★で示す)

★数学にピタゴラスの定理(三平方の定理)がありますが、現在では520通りの証明方法が確認されています。(英語に詳しくないので原典に当たる事はできませんでした)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210365667

 従って、算数の問題で「ピタゴラスの定理を証明しなさい」と出題すると現在では520通りの正しい解答を予測する必要があります。

 同じように社会現象に関しても無数の正しい見方が存在すると私は考えます。(後述) そこで生物学の概念(人間も動物の一種)を転用する事で頭の整理を図れないかと考え以下のような資料を紹介します。

→「同じように、社会現象に関しても無数のもっともらしい見方が存在しうると私は考えます。(後述)このことを、生物学の概念(人間も生物の一種)を転用することで説明することを試みました。」といった感じの方がよろしいのでは?(太田)

 複雑な自然現象を認識する方法として日高 敏隆(ひだか としたか)は(呼び捨てにするのは外国人と同じ用法を適用しているだけでそれ以外の意図はありません)以下のような本を出版しています。

 「・・(略)・・アゲハチョウはなぜいつも同じ道を通って飛ぶのだろうか? 小学生のときにいだいた疑問を、著者はねばり強い観察によって解き明かしていきます。・・(略)・・」

「チョウはなぜ飛ぶか」[新版] 高校生に贈る生物学3 日高 敏隆著 岩波書店発行
表紙裏宣伝文より引用

 さらに、
 「・・・人間以外の動物達も、身のまわりの環境すべてを本能によって即物的にとらえているわけではない。むしろ本能というものがあるがゆえに、それによって環境の中のいくつかのものを抽出し、それに意味を与えて自らの世界認識を持ち、その世界(ユクスキュルによれば環世界)の中で生き、行動している。
 その環世界はけっして『客観的』に存在する現実のものでなく、あくまでその動物主体によって『客観的』な全体から抽出、抽象された、主観的なものである。・・(略)・・そのようなものを何と呼んだらよいのであろうか?・・・いろいろ考えた末、ぼくはそれをイリュージョンと呼ぶことにした。
 イリュージョンということばには幻覚、幻想、錯覚などいろいろな意味あいがあるが、それらすべてを含みうる可能性を持ち、さらに世界を認知し構築する手だてともなるという意味も含めて、イリュージョンという片仮名語を使うことにしたい。・・・」

「動物と人間の世界認識」日高敏隆著 筑摩書房 P7〜P9より引用

★日高敏隆の出した結論の一部は次のようなものです。

 「・・・一つのきちんと、きまった道があるわけではない。チョウはその生まれつきの性質にしたがって、そのときそのときに条件にあったところを飛んでゆくのだが、同じチョウなら、その条件も同じなので、どのチョウもほぼ同じルートを飛ぶことになり、それがぼくらからみると、チョウ道にみえるのである。・・・チョウ道はチョウが生きてゆくときに、大切な意味をもっている。けれどチョウ道はなわばりとは関係がなく、また食物のありかとも関係はない。それは、まさにチョウの飛ぶ道なのであって、それ以上のものではなさそうである。チョウはそこを飛びながら、そこでみつけた花のミツを吸い、みつけたメスと交尾し、みつけた食草に卵を産む。・・・」

「チョウはなぜ飛ぶか」P48、P51より引用

→この「」内の引用は、何のためなのか判然としません。(太田)

(参考1)環世界(Umwelt)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 環世界(Umwelt)はヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念。
 すべての動物はそれぞれに特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。 時間や空間もそれぞれの動物にとって異なった時間・空間として知覚されている。 動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E4%B8%96%E7%95%8C
より引用

(参考2)イリュージョン(アメリカの小中学生用辞典の説明文を和訳した辞書より)
illusion[名][廃語になった英語で“欺くこと”という意味で、これはラテン語のillusio“からかうこと”から来たものであり、 illudere“〜をからかう”、すなわち接頭辞in‐“〜に反対して”とludere“ふざける”、“からかう”の複合語から来たもの]
1、目に浮かんだ、人を惑わせる像《幻影》
2、非現実的なもの、または空想されたものを真実として受けとるようにさせられること《幻想》
3、まちがった考え《錯覚》

「ウェブスター英英和辞典」 日本ブリタニカ 1987年発行 P444より引用

→イリュージョンについての説明は不要でしょう。(太田)

★この見解はジョン・ダワーの言う「複数者 plurals」という言葉を理解するカギになると私は考えます。

 「・・・人前でこの話をするとき、私はときどき『複数者 plurals』という言葉を使うようにしている。これは英語では簡単な言葉であるが、日本語では少々わかりにくいであろう。私はこんな風に話をする。『日本文化』だとか『日本の伝統』だとか、そういうものは実際には存在しないのです。
 実をいうと、『日本』でさえ存在しません。逆に、私たちが語らねばならないのは、『日本文化たち Japanese cultures』であり、『日本の伝統たち Japanese traditions』なのです。私たちは、『日本たち Japans』と言うべきなのです。
 そのほうが日本の歴史の事実に近いし、今日の日本社会の実状にも近い。そう表現することによって、日本を世界のなかで比較することができ、本当に新しい、目の覚めるような日本理解が可能になるし、今後もそうするようにわれわれは促されることになるのです、と。・・・」

「敗北を抱きしめて(上)」 ジョン・ダワー著 株式会社岩波書店 2001年発行 「日本の読者へ」 より引用

★私の責任で両者を関連付けると、人間も動物なので江戸時代の人間は江戸時代の環世界の中で生活し、現在の日本人とでは環世界が異なるので、同じ日本人でもイリュージョンが違って来ます。異なる環世界は異なる「文化」をもたらし、日本には複数の文化が存在する事になるので「日本文化たち」になると考えられます。
 私の考え方はファインマンの考え方と同じで、旧来の思想分類では唯物論的観念論という範疇に入ると思います。

【ファインマン】人間の眼

 「・・・物理学は眼に入る光の特質を云々するが、それから先のわれわれの感覚は、光化学的な神経系における過程と心理的な反応との合成されたものである・・・」

 「ファインマン物理学供仝 熱 波動 」 ファインマン、レイトン、サンズ共同制作 岩波書店 1994年発行 P116 より引用

(参考3)「われわれは、逆さまになった世界を見ることができません・・・」
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a89.htm#q543

(参考4)「私は時々、方向感覚がおかしくなる事があります・・・」
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a71.htm#q404

→参考3と4は、簡単すぎて意味不明です。(太田)

★現代の日本人と江戸時代の人間とでは環世界が異なるので、どちらかがタイムスリップして同時に存在していると仮定した場合、話が通じないと私は考えます。
 例えば江戸時代人の生活を規定する時間の枠組みは、現在の我々から見ると理解不能なほど煩雑なものに見えます。しかし彼らの環世界を理解すれば当然だと言う事が納得できると私は思います。
 江戸時代の時間の枠組みは、夜明けと共に起きて働き出し、日暮れと共に仕事を終了する、月の初めは必ず新月で夜空は真っ暗、15日は必ず満月、太陽と地球の運行との矛盾は大と小の月及びうるう月を設けて吸収するというものです。
 当時の主要産業は米作農業で月ではなく太陽の運行に左右されますので、基準となる日付(おそらく春分の日)を設けてその日から何日目(例えば二百十日、二百二十日)かで農作業の目安としたと思われます。(厳密な事は私は良く分かりません)
 現在の我々の枠組みを基準にして見ると、日本列島(島嶼部を除く)の東端と西端とでは日の出の時間が約1時間異なるので、江戸時代のお百姓は東の方から起きだして約1時間ほど次々に起きだして働き始め、同じ場所でも日の出の時間は毎日異なるので、起床時間は毎日変り、労働時間も昼間の長さが毎日変るので夏至と冬至の日の働く時間はおおよそ14時間半と10時間位になります。

(参考5)〜和時計の暮らし〜 前編
http://www.ammo.jp/monthly/0211/02.html

 また我々は簡単に「自然」と言いますが、風の無い雨の日に駅のプラットホームに立って雨滴の落ちるのを見ていると言う情景を思い描くと、雨滴は真っ直ぐに落ちると認識します。
 上りの新幹線で同じ場所を通り過ぎると言う情景を思い描くと、雨滴は真横から衝突して来ます。
 下りの場合も同じですが衝突して来る方向が逆になります。
 上りの普通列車の場合は駅に停車する為に徐々に減速するので、初め真横だったものがだんだんと斜めになり、最後に停車すると真っ直ぐに落ちると認識します。発車する場合はこれと逆の順序(真っ直ぐ‐>斜め‐>真横)で見える事になり、下りの普通列車の場合は方向が逆になります。
 上りの急行列車と特急列車が停車する場合は、減速し始めるスピードが異なるので普通列車の場合と大筋では同じですが時間的経過が異なるので落下の時間的変化率が異なるものと考えられます。
 最後に雨滴から見ると、風が無いので空気の抵抗と表面張力の影響で正立したハンバーグの様な形で真っ直ぐに落ちるので、プラットホームに立っている人間と同じ条件になります。その他の場合は一定の高さに雨滴がいる時の人間の位置と、地面に衝突した時の人間の位置が異なるので人間が動いたと見なす事になります。
 以上の説明は分かりやすくする為に簡略化したものですが、実際の社会の中では雨滴の立場(自然)を除けば自分がどの立場にいるのかを見分ける事は困難です。
 我々はまずプラットホームに立っている人間の立場をさがして雨滴の立場とみなし、それが自分の立場からどう見えるのかを考えるという、まわりくどい方法をとる必要があると私は考えます。(「大村益次郎の銅像」参照)

 江戸時代の環世界に関する具体例を2つ挙げて見ます。

(例1)「七ツだち」

 「・・(略)・・『お江戸日本橋七ツだちぃ〜』という歌もある。日の出前に星が見えなくなる時刻が『明六ツ(あけむつ)』で“七ツ”はそれより一刻(いっとき)前だから、外は提灯が必要なほど真っ暗だ。『高輪夜明けて提灯消すぅ〜』と歌詞が続くように、てくてく歩いて高輪辺りに着いた頃に明るくなってくるというわけだ。
 不定時法だから季節にかかわらず『七ツだち』は真っ暗な頃の出発だとわかるけれど、定時法で考えると“七ツ”は午前4時頃だろうから、冬なら真っ暗、夏ならもう明るくなっている頃だ。(ママ)・・(略)・・」
http://www.ammo.jp/monthly/0211/04.html


★大名行列の平均走行時速が分かれば、当時の道での日本橋より高輪の距離より一刻当たりの所要時間が推定可能で、それが不定時法のどれに相当するかでおおよその「七ツだち」の月日が推定できます。赤穂浪士の討ち入り記録(日本橋より高輪泉岳寺までの所要時間)も参照出来ます。肥後辺りから江戸に行く場合、江戸を基準にした「七ツだち」と時差が一時間位ありますので状況によると区別が必要になる場合と区別しなくてすむ場合とがあります。

(例2)大村益次郎と軍務官出仕

 「・・・成之(田吾作注 猪山成之《いのやま なりゆき》)は新政府の『軍務官』に呼び出された。一人で行くわけにはいかず、藩から聞番を同道して出頭している。用向きは成之の人生を決定づけるものであった。『軍務官会計方』に任命するというのである。つまり、成之は大村益次郎らの『軍務官』にヘッド・ハンティングされたのである。成之の天才的な兵站事務の噂をききつけてのことであった。・・・成之の異能に目をつけたのは、安達幸之助という人物であったらしい・・・
 安達は加賀藩の足軽であったが、安政二(1855)年という早い段階で江戸に出て、当時まだ無名であった村田蔵六(のちの大村益次郎)の洋学塾にはいり、めきめきと頭角を現して塾頭になった。大村が新政府の高官になると、安達は大村の分身のようになり、『賊軍平定』に忙しい大村にかわって、京都伏見の兵学校にあって新軍隊を建設する仕事についていた。しかし、当時の新政府には困った問題があった。実務の出来る人材が不足していたのである。
 ・・・新政府は『元革命家』の寄り合い所帯であり、当然、実務官僚がいない。例えば、一万人の軍隊を30日間行軍させると、ワラジはいくら磨り減って何足必要になり、いくら費用がかかるのか、といった計算の出来る人材がいないのである。このような仕事には成之のような『加賀の御算用者』がうってつけであった。加賀百万石の御算用者は『日本最大の大名行列』の兵姑業務を何百年も担ってきたのである。事実、成之は大村をよく支えた。
 ・・・このように、成之は大村益次郎に命じられるままに、戊辰戦争の混乱のなかで必死になって働いた。ところが、成之を引き立ててくれた大村と安達の二人は、宿に居たところを暴漢に襲撃され遭難してしまう。明治二(1869)年9月4日のことである。安達は大村を守ろうとして『益次郎なり』と叫んで飛び出したと言われる(『郷史談叢』3、66頁)。
 身代わりになって安達は即死。賊はその生首を取った。大村も重傷を負い、しばらく生きていたが、病床で新しい軍隊のあるべき姿を意見書に書き遺すと、死んだ。安達の身代わり行為が大村に執筆の時間を与えたのである。今では安達幸之助は無名の人物であるが、大村のもう一つの頭脳であり、生きていれば『近代軍隊の実質的な生みの親』として歴史に名を残したはずである。埋もれた人物といってよい。
 ところで、九段の靖国神社に有名な『大村益次郎の銅像』が立っている。実は、この銅像を建てるのに『始から終り迄、人の真似の出来ない尽力をしたものは、猪山成之君であった』(前出、井上)。(田吾作注 井上 如苞「加越能育英事業の先駆者猪山成之氏の追憶」『加越能時報』第三百四十二号)
 是は君が本来世話好きであった為でもあらうが、一つはまた大村に引き立てられた恩義に酬ゐんとする為かとも思はれる。夫故、大村が若し長命であったなら、君が官界の地位も一層進んで居ったに相違ない。(前出、井上)

 のちに成之は大村益次郎という恩人の銅像を建立するために『幹事』として奔走したのである。大村が生きていたら猪山成之は大将や男爵になっていたかもしれない。・・・

「武士の家計簿」 磯田通史(いそだ みちふみ)著 株式会社新潮社 P141、P150〜P152、P154〜P155より引用

(参考6)【兵頭二十八】日露戦争講演 「見えない「精度」に投資できなかった近代日本」

 「・・・皆さんは靖国神社に大村益次郎の銅像が立っているのを御承知かと存じます。あの銅像が立ったのは明治26年でありまして、東京におきましては最初の西洋式銅像であったそうでありますが、この建設の提案は、明治19年に出されました。それから7年がかりで鋳造したのですが、その鋳造を請け負ったのが、小石川の東京砲兵工廠なのであります。つまり、あの銅像も、じつは職工対策だったのです。・・・」
http://sorceress.raindrop.jp/siryou/kouennsairoku/kouen-1.htm

★「大村益次郎の銅像」は余分な引用ですが、人間の場合、同じ物体に対して異なる見解がある例としてついでに引用しました。猪山成之の生きた時代は不定時法より定時法へ切り替えられた時期に当たりますので、彼がどのようにして両者の摺り合わせをしたのか興味深い所ですが、今の所資料を見つけることは出来ませんでした。

→「江戸時代の環世界に関する具体例を2つ(例2)」のうちの一つとして「大村益次郎と軍務官出仕」を挙げたのは、「余分な引用」どころか、全く不適切だったと思います。 なお、お示しの引用を読む限り、大村益次郎の銅像について、井上如苞と兵頭二十八が「異なる見解」を抱いていたとは必ずしも言えないのではないでしょうか。(太田)

 生物学の概念であるユクスキュルの「環世界(Umwelt)」と日高敏隆の「イリュージョン」がどこまで人間(一応生物の仲間)に適用できるかは定かでありませんが、パースペクティブ(事物と事物またはでき事とでき事の間の正しい相互関係)の一つを構築する為に利用できそうだと私は考えます。

<太田>

 ご執筆、まことにご苦労様です。
 大変面白い資料を多数ご紹介いただいたことに感謝します。
 本当によく勉強されていますね。
 それはそれとして、私が指摘したところを良くお読みいただき、一層ご研鑽を積まれるようお願いします。
 田吾作さんの文章ももう少し分かりやすいものにしてください。
 この前、コラムを書いてごらんになったら、と申し上げたところですが、残念ながらまだちょっと、コラムと言える水準まで達していません。
 投稿される前に、家族の方かどなたかに一度読んでもらうことをお奨めします。
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太田述正コラム#2646(2008.7.3)
<イラク・ミャンマー・チベット問題をどう見るか(その1)>

→非公開