太田述正コラム#2640(2008.6.30)
<皆さんとディスカッション(続x180)>

<太田>

 「・・・日本の県立高校は、工業・農業・商業という実業高校は統廃合によって、普通制高校に変わっていく、男女別学が男女共学に変わっていくという過程を通じて、特色のはっきり分からない普通制高等学校が並立しているという状況になっている。
 学校の違いは、入試の点数によって、明確に分かれる。AクラスからEクラスぐらいまでに分かれる。エリートから外れた高校に通う者が3年間に身につけるものは、まずEクラスとか、Dクラスとかのレッテルを張られているという屈辱感に耐えることである。・・・高等学校の共同選果場体制化は、少子化による学校統廃合と受験の圧力という教育に固有の事情から生まれていったのだが、それが現在では、若者の就職先が、正規雇用型と派遣型に分かれるという社会的な変化にぴったりはめ込まれたようになっている。エリート校の受験体制に乗り込むよりほかに、自分の努力によって自分の未来を切り開く余地が実際にほとんど存在しないことに多くの若者は気づいている。・・・エリート校の出身者が、大学院に進むまでに受験後遺症を払拭して、のびのびとした独創的な発想力を身につけるのは難しい。秀才ではあるが、研究者としては二流以下の若者が大学院にあふれかえっている。・・・ 秋葉原の殺人犯は、絶対に落ちてはならないコンベヤーベルトから落ちたのだ。・・・高等学校の共同選果場体制は、日本の若者から気力と創造力を奪っている。高等学校は、自分を大事にするという気持ちを他人と共有し合うこと、人間としての深さ、他人に対処する姿勢を芸術や文化の深さに触れることで養うなど、人間としての成長の期間でなければならないのに、選別のためのたんなるコンベヤーベルトと化している。その責任の一端は、大学の側が生み出してきた入試体制そのものにある。・・・」(
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080630/crm0806300255001-n1.htm。6月30日アクセス)

 教育と格差社会(コラム#2638)との関係にも触れた論考なのでご紹介しました。
 ただし、不毛かつ空疎な論考の一例として・・。
 私は、学業とスポーツ以外にもコンベヤーベルトをできるだけ多く設けることによって落ちこぼれの減少を図ること、外国人就業者や移民の受け入れを増やすことで日本社会の多様性を確保し、独創的な発想が出てきやすくすること、をかねてから提唱しています。

<ライアン・コネル>

 コラム#2638を読みました。
 問題は毎日新聞に一流紙という自覚があるにも関らず、これらのタブロイド的な記事が配信され、恐らく諸外国には「これが日本の本当の姿だ」という印象を与えているだろうという事だと思います。

<反反日半島人>

>「娯楽に関して、子供と大人の間に境界線が引けないだけでなく、欧米においては、大人の隠微な世界に属する「性」が、堂々と・・しかも子供にまで・・開陳されているのも江戸時代の日本人の「民族的特性」の一つですが、これも現代の日本にそのまま受け継がれています。」とコラム#1513で申し上げた通りですね。

 毎日デイリーニューズのコラムを真に受けておられるようですね。
 流石元官僚様でいらしゃる。

<太田>

 いやはや、どうしてお二人ともそんなにアングロサクソンのビクトリア朝的禁忌(コラム#1707)にとらわれてるの?
 アングロサクソンだって「シェークスピアにおいては、最も低次元の性的諧謔が最も高次元の道徳的水準と共存している。彼のだじゃれ(puns)はことごとく卑猥(bawdy)だ。」(
http://www.latimes.com/news/opinion/la-op-holt29-2008jun29,0,429055,print.story
。6月30日アクセス)ということからも分かるように、本来は日本人と同じなんですよ。
 蛇足ながら、日本のスポーツ紙には、一流紙の系列のものも含め、エロページがつきものですが、エロページに出てくるフィクションとルポの差なんてあってなきがごとしですよ。
 読者は、架空の話か事実かなんてことは気にせず、性的欲望を発散解消させるためにエロページを読んでいるのです。

<久保>

 今朝、大阪読売テレビのズームインSUPERのニュースで、自民党伊吹幹事長が「アメリカが北朝鮮をテロ指定国家解除を行うことに抗議」と出ておりました。
 先生のコラム(#2635、2637。どちらも未公開)ですと「アメリカは北朝鮮締め上げに成功した」とのことです。
 自民党幹部は、アメリカの行動を十分知りつつも、日本国民向けの人気取りをするために、このような、発言をしているのでしょうか。
 ご教授お願いいたします。

<太田>

 伊吹氏らの真意は測りかねますが、テロ指定国家解除など、抗議するほどの中身のない措置である、というのは客観的事実であると私は思っています。

<読者FY>

 太田コラムは、書評および外国動向について、興味深く読ませていただいております。
 またアングロサクソン論も興味深く、その視点からイギリスの官僚制などを議論していただければ、今後の日本の官僚制制度設計の参考になるのではと思います。
 (経済学者ケインズが公務員試験二番で大蔵省に入れずインド省に回ったとのエピソードが残っているので、その頃はかなり厳しいキャリア制だったのでしょうが、その後どうなったのか、など。)
 太田様の今後のご活躍をお祈りしております

<太田>

 お示しのケインズの話などにこそ、典拠をつけていただきたかったですね。
 英文ウィキペディアでは、

・・・
Keynes received his B.A. in 1905 and his M.A. in 1908.
Keynes accepted a lectureship at Cambridge in economics funded personally by Alfred Marshall, from which position he began to build his reputation. Soon he was appointed to the Royal Commission on Indian Currency and Finance, where he showed his considerable talent at applying economic theory to practical problems.・・・(
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Maynard_Keynes
。6月30日アクセス)

とあり、ケインズが公務員試験を受けたという話は出てきませんが・・。

<文十郎>

 憲法9条信者に対して、9条を保持するマイナス点を説明する簡潔な例はありませんか?
 私は、沿岸警備をキチンとしていれば拉致問題も防げたし、ロシア船に漁師の方が射殺される事もなかったと主張するのですが、通じません。

<太田>

 沿岸警備は警察力の運用の問題であり、憲法第9条の「精神」を体して何事も穏便に済まそうと戦後の日本政府がしてきたことは事実ですが、「キチン」とした対応をしたところで、特段違憲ということにはなりません。要するにこれは憲法論ではなくて政策論の話なのです。
 説得の材料としては、必ずしも適切ではありません。
 私なら、憲法第9条・・その核心部分は集団的自衛権行使の禁止なる政府憲法解釈・・を維持したいというのは、自己決定権を放棄するとともに、人倫の道に反することだ、と説得します。
 まず、憲法第9条維持論者は往々にして安保条約維持論者でもあることに着目し、米国によって一方的に守られるというのは、日本が米国の属国に甘んじるということであって、これは自己決定権の放棄である、と説くわけです。
 次に、集団的自衛権を行使しない(行使できない)ということは、救いを求めている他者を助けないということであって、人倫の道に反することだ、と説くのです。
 作家の瀬戸内寂聴、哲学者の鶴見俊輔、梅原猛、大蔵流狂言師の茂山千之丞、臨済宗相国寺派管長の有馬頼底の各氏らが「憲法9条京都の会」を結成するという記事が出ていました(
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK200806260111.html
。6月27日アクセス)が、彼らにこのような説得をしてみたいものです。
 自己決定権放棄を主張する哲学者や人倫の道に反することを主張する宗教者(瀬戸内寂聴氏も仏僧)なんて、ブラックユーモアですね、とね。
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太田述正コラム#2641(2008.6.30)
<中共体制崩壊の始まり?(続x4)>

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