太田述正コラム#2547(2008.5.14)
<ミャンマーと中共の大災害(その1)>(2008.6.18公開)

1 始めに

 このシリーズは、5月3日のミャンマーのサイクロン大水害と5月12日の中共四川省の大震災に関する、私の雑記帳のご披露です。

2 ミャンマーの大水害

 (1)欧米の「脅迫」に屈したミャンマー軍政当局

 米国は5月12日、キーティング(Timothy J. Keating)米太平洋軍司令官(海軍大将)に、フォア(Henrietta H. Fore)米国際開発庁(U.S. Agency for International Development)長官を同道させて、援助物資を載せた米軍のC-130の第一便でヤンゴンに送り込み、現地でミャンマー海軍司令官(海軍中将)と会談を行わせ、援助物資の大幅な受け入れを求めさせました。
 ミャンマー側は何の言質も与えなかったものの、その後、米C-130が援助物資を積んでヤンゴンに到着し始めています。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/12/AR2008051200158_pf.html
(5月13日アクセス)による。)
 たまたま、米軍がタイ軍と共同演習を実施しており、ミャンマー近傍の陸上及び海上に11,000人にのぼる兵力を展開していた(
http://www.nytimes.com/2008/05/14/world/asia/14myanmar.html?ref=world&pagewanted=print
。5月14日アクセス)ことから、ミャンマーの軍政当局は、「天敵」ともいうべき米国からの要求であるにもかかわらず、無言の「脅迫」の下、米国からの援助物資の受け入れに応じざるをえなかったということでしょう。

 また、フランスの、クシュネール外相(コラム#2541。未公開)に引き続いてヤデ(Rama Yade)人権担当相が、2005年に国連で採択された人道的介入の考え方をミャンマーに適用すべきだと述べ、ソラナ(Javier Solana)EU「外相」が、この考え方は、人道的大災害にあたって「国の指導者が迅速勝つ組織的な援助の到来を認めない」に適用すべかもしれないと述べ、更には、英国のミリバンド(David Miliband)外相が英下院で、あらゆるオプションが考慮されるべきだが、長い目で見て一番よいのは、ミャンマー政府が「責任ある行動をとることだ」と述べた後、ミャンマーの軍政当局は、援助物資受け入れを含みにミシェル(Louis Michel)EU「援助担当相」の同国訪問を認めました(
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7398313.stm
。5月14日アクセス)。
 これは、EU関係者による度重なる口先「脅迫」に軍政当局が屈せざるをえなかったということでしょう。

 こういう背景の下、軍政当局は、これまでASEAN加盟国による援助申し出も峻拒してきていたというのに、12日、ASEANのピツワン(Surin Pitsuwan)事務局長に対し、欧米には不信感を抱いているので、援助はASEANが中心となってお願いしたいとの要請を行ったことが明らかになりました(
http://www.ft.com/cms/s/0/f4bafd1c-20dc-11dd-a0e6-000077b07658.html
。5月14日アクセス)。

 申し上げるまでもないことですが、「軍隊」を持たず、しかも米国の属国でしかないところの、ミャンマーに浅からぬご縁のある東アジアの「大国」日本の姿が、今回もまた、影も形も見えないことは、当然です。

 (2)軍政当局が援助要員の受け入れを拒む理由

 どうして軍政当局は欧米の援助物資の受け入れに難色を示すのでしょうか。
 それは、欧米当局や欧米の援助団体は、援助要員の受け入れも同時に求めるからです。
 ではどうして援助要員を受け入れるとマズイのか?
 援助物資を軍部に優先的に回すことが困難になるからです。
 一見当たり前のようですが、軍政当局がいかに深刻な事態に直面しているかを、タイのチェンマイを拠点とするフリーランサーのジャーナリストのマッカーター(Brian McCartan)がアジアタイムスに寄せた論考で明らかにしています。
 要旨次のとおり。

 1990年代に、ミャンマー軍政当局は軍に対し、土地を耕し自給自足せよとと通達した。
 その結果、掠奪、金品強要、強制労働、農地の強制没収各地で頻発した。
 しかし、それでも40万人の兵士達(家族を含めば200万人弱)の給養は十分ではなく、とりわけ奥地やヤンゴン、マンダレーといった大都会に駐留する兵士達は栄養失調気味であり、いじめや体罰が横行していることもあって彼らの士気は低く、不満は高く、脱走率は上昇気味で推移してきた。
 だから、昨年9月の僧侶を中心とする騒擾の際にも、弾圧にあたった兵士達の中から脱走者が出た。
 そんなところへ、今回のサイクロンによる大水害が襲い、イラワジ河デルタ地帯が壊滅的被害を受けたが、この地帯に駐留するビルマ軍も大損害を被った
 この地帯には、ハインギー(Hainggyi)島に海軍パマワッディ(Pamawaddy)地域司令部が置かれているが、海軍自身が、艦艇25隻が破壊され、280人の将校と水夫が行方不明になったと公表している。
 また陸軍については、バセイン(Bathein)に南西軍司令部が置かれていて、13大隊が地帯の各所に配置されているが、やはり大きな被害を受けたと考えられる。ちなみに、南西軍の司令官ポストは、出世の登竜門であり、現在の最高指導者タン・シュエ(Than Shwe)上級大将らもこのポストを経験している。
 また、1949年から1970年代初期にかけて、イラワジ河デルタ地帯ではカレン民族同盟(Karen National Union =KNU)とビルマ共産党が暗躍していたし、1991年にも同地域でKNUによる武装蜂起未遂事件が起こっており、この地帯は軍政当局にとって軍事上重要なのだ。
 なお、それぞれヤンゴン地区とアラカン州を管轄としている、陸軍のヤンゴン軍と西軍も被害を受けたと考えられている。
 つまり軍政当局が、イラワジ河地帯の軍に優先的に食糧等を回そうとしているのは、脱走者が相次いで部隊が雲散霧消したり、叛乱が起きる可能性があり、何としてでもこれを回避する必要があるからなのだ。
 しかも、イラワジ河地帯はミャンマーの中心的な稲作地帯であり、ここが壊滅的被害を受けたために、米を輸出して外貨を稼ぐどころか、高騰している米を海外から輸入しなければならない羽目になっていることを考えれば、なおさら軍政当局は、軍に優先的に食糧等を回さざるをえないわけだ。

 (以上、
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/JE14Ae01.html
(5月14日アクセス)による。)

(続く)