太田述正コラム#2200(2007.11.27)
<縄文モード・弥生モード論の模索>(2008.6.8公開)

1 始めに

 私のアングロサクソン論は、1988年の英国滞在の「成果」ですが、私の縄文モード・弥生モード論は、1999〜2001年の東北地方滞在の「成果」です。
 守屋・額賀事件のからみで当時の日記をひっくり返しているうちに、縄文モード・弥生モード論の模索を行っている箇所をいくつか発見したので、そのうち2箇所をご披露することにしました。
 文章が練れていないのはご容赦願います。

2 縄文モード・弥生モード論の模索

(2000年1月12日より)

 岩手県立博物館学芸課長大矢邦宣「奥州藤原氏四代 みちのくが一つになった時代 12」(産経新聞2000.1.9(朝))によれば、南北朝時代の終わりに当たって、源氏一門である足利政権の正当性を主張するために書かれた「源威集」では、「三度の奥責(おくぜめ。前九年合戦、後三年合戦、頼朝の藤原責め(文治五年合戦)の三つ)の功績こそ、源氏の威勢が諸家に超越する理由なのだ」としており、筆者は、「「みちのく制覇」の功績と過程こそ源氏が武門の棟梁たるゆえんであり、だからこそ「エミシを征伐する将軍(征夷大将軍)」が武家政権の長を示す称号になり、位になってゆく。」とする。
 他方、『征夷大将軍』(前掲)(注1)は、「われわれは、天皇主権国家の変革は、戦後の日本国憲法の制定によると考えている。しかしこれはあやまりである。天皇主権の国民主権への変革は、たしかに日本国憲法による。しかし、天皇主権の変革は、国民主権制にはじまったのではない。それは、武家主権制というかたちで江戸時代にまず第一次の変革(著者によれば、元和元年(1615)の、元和偃武後の(武家諸法度及び)禁中並公家諸法度の制定)を経験していたのである。象徴天皇制また然りである。それが、近代百年の天皇主権制の復活を経て、戦後ふたたび、変革を迎えて、国民主権制に定着した、ということになるのである。」(PP149)

 (注1)高橋富雄『征夷大将軍 もう一つの国家主権』(中公新書1987年3月)

 以上を踏まえると、武士は、西から興り、土着日本人(縄文人)を席巻した弥生文化(金属器、農業、武力、国家原理を伴った)のトレーガー達が形成した天皇国家の正統な継承者(彼らの棟梁は、天皇を祖先にいただくと主張)であったと言えよう。その後、平安時代の縄文回帰を経て、江戸時代に再び縄文回帰が進行。武士は完全に文治官僚化していた。
 明治維新は王政復古というより、弥生復古。これを担ったのが、沖縄に残る縄文文化を抑圧してきた薩摩藩(藩主は、いわば、ミニ征夷大将軍。しかも、もともと、鎌倉幕府から派遣された関東の御家人だった。)であったことは興味深い。
 日本の敗戦・占領は、江戸時代の縄文回帰路線に日本を引き戻した。要すれば、日本は、敗戦によって、2000年にもわたる弥生人による縄文人の占領から解放されたということ。180度日本人のメンタリティーが変わってしまったように見えること、就中憲法第九条の「定着」は、(米国の戦略による面も無視できないが、)このためではなかろうか。


(2000年3月1日より)

○○君(注2)へ

 資料(注3)を送ってくれて有り難う。私の読んだことのない本ばかりが紹介されており、興味深く拝読しました。

 ただ、私の見るところ、東大と京大の学風の違いなど、コップの中の争い以外の何物でもありません。両者の違いは、歴史学に限らず、「欧米の学問の直輸入(東大)」か、「欧米の学問半可通+独断(京大)」かの違いでしかないのではないでしょうか。武士に対する見方について言えば、両者の考え方は、いずれも弥生的(渡来人的、支配階級的)偏見ないしマルクス主義的偏見に満ちた謬見だと思います。
 以下、受け売りで申し上げますが、そもそも、対立軸は、貴族と武士の間ではなく、渡来勢力(貴族=武士)と土着勢力(蝦夷(エミシ)。縄文人)の間に設定すべきなのです。(例えば、武士の棟梁が、なぜ「貴種」でなければならず、またなぜ坂上田村麻呂同様、「征夷(=征蝦夷)大将軍」でなければならなかったかを考えてみてください。)
 あの文春は二三年前のものだと思いますが、現時点で言えば、武士の起源問題に関し、井上助教授が下掲の二著(或いはそれぞれの著者)に触れていないことは致命的です。

川合康(神戸大学卒。都立大学教授)「源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究」(講談社選書メチエ 1996年4月)
高橋昌明(同志社大学卒。神戸大学教授)「武士の成立 武士像の創出」(東京大学出版会 1999年11月 )

 とまれ、武士の起源問題は、現代日本において「武」に携わる我々としては、強い関心を持たざるをえない事柄だと思っています。
 ご健闘を祈ります。

               太田

 (注2)防衛省キャリアの後輩。
  (注3)下に出てくる文春の井上論考のこと。

3 終わりに

 私の縄文モード・弥生モード論については、コラム#276のほか、116、154、159、226、358、475、629、631、807、826、827、829、1057等を参照してください。
 また、武士論(コラム#614)や東北地方論(コラム#52)もどうぞ。