太田述正コラム#2142(2007.10.23)
<あの英帝国を興し滅ぼした米国(その2)>(2008.5.14公開)

3 大英帝国の終焉

 いつ大英帝国が終焉を迎えたかについて、英国内では様々な意見があります。
 英国人達があたかも世界が崩壊したかのような気持ちになったところの、インドとパキスタンが独立を認められた1947年8月15日の夜なのか、英国がスエズ運河の支配権をめぐってエジプトに侵攻して、わずか一週間と経たないうちに屈辱的な撤退を強いられた1956年の秋なのか、1980年にローデシア(Rhodesia)の黒人達への権力委譲が行われてサッチャー首相が涙した1980年4月なのか、それとも、総督のクリス・パッテン(Chris Patten)が涙した1997年6月の香港の中共への「返還」なのか、誰にも分からない、とブレンドンの本のある書評子は記しています。
 もっとも、私に言わせれば、そのいずれでもないのであって、大英帝国の終焉の時期は、日本軍による1942年2月のシンガポール陥落か、1944年3月のインパール作戦発動に伴う英領インド侵攻か、そのどちらか一方を選ぶべきなのです。
 そもそも、マレー半島とシンガポールを結ぶ土手道(causeway)を日本軍が砲撃する音を聞いたラッフルズ私立学校の校長があの音は何だと尋ねた時、後にシンガポールの首相になるリー・クワンユー(Lee Kwan Yew)が、「あれは大英帝国の終焉<を伝える音>です」と答えた挿話をブレンドン自身が紹介しているところです。

 ただ、このように終焉の時期については様々説がありえても、既に大英帝国が存在していないことはみんな知っています。
 それではどうして大英帝国は終焉を迎えることになったのでしょうか。
 ブレンドンは、これについて、今一つ腑に落ちない以下のような趣旨のことを記しています。

 1897年のビクトリア女王就任60周年の記念日には、11名の植民地の首相達とたくさんのマハラジャ達がこの女帝(Queen Empress)をセントポール寺院の感謝祭の宗教儀式の場へと先導した。彼女より偉い存在は神だけだと評された。これこそ「大英帝国」が頂点に達した瞬間だった。
 しかし、まさにこの時期の前後に、英国人の間で帝国終焉の予感が生じ始めたのだ。
 当時英国の保護領となっていたエジプトの事実上の支配者であったクローマー卿(Evelyn Baring, 1st Earl of Cromer。1841〜1917年。エジプトの事実上の支配者:1883〜1907年)は、みすぼらしかったエジプトを観光客向けのテーマ・パークのような場所へと作り替え、カイロをイギリスの町のような所へと作り替えた(注2)人物だが、この当時、怠け者たるイギリスの帝国建設者達は二つの互いに相容れない目標を常に追求している、と記している。

 (注2)私が小学校時代の大半を過ごしたエジプト、そしてカイロは、独立し、更に王政も倒れていたが、まだほとんどこの英国保護領の時のままだった。三重県の四日市からこの地にやってきた時のカルチャーショックと、小学校5年生の秋に東京へと帰国した時のカルチャーショックは、どちらも凄まじいものがあった。ただ、今振り返ってみると、後者のカルチャーショックの方がはるかに大きかったと言えそうだ。なぜなら、それから半世紀近く経った現在、いまだに私は東京において異邦人意識をぬぐい去れないでいるからだ。(太田)

 二つの互いに相容れない理想とは、クローマーに言わせれば、英国の支配の下での良いガバナンスという理想と、植民地への自治の付与による英国の世界的覇権からの引退という理想だった。
 その後、次第に後者が優位に立っていく形で歴史が進行していったことをわれわれは知っている。
 また、この少し前の1877年に小説家のヘンリー・ジェームス(Henry James。1843〜1916年)は、既に、「イギリスの「衰亡」は私にはとてつもない、いやほとんど身震いさせるような光景とさえ見えたし、もし大英帝国がもう一度多血症的(plethoric)な小さな島へと縮んで行くとすれば、その過程は史上最大のドラマになるだろう」と書き記している。
 そしてこれらの予感は的中した。
 第一次世界大戦でたくさんの帝国が姿を消し、英国もほとんど破産状態に陥った。
 その後にやってきた戦間期には、英国中に悲観論が充ち満ちた。
 しかし、信じがたいことに1939年に至っても、なお大英帝国は屹立しているかのように見えた。
 ヒットラーすら、『我が闘争』の中で、英国を地上における最大最強の国家(the greatest power on earth)と認めざるを得なかったほどだ。
 しかし、実際のところ、大英帝国は既に名存実亡状態だったのだ。

 これに対し、書評子の一人であるマックラム(Robert McCrum)は、ブレンドンは米国が英国の衰亡に果たした役割に十分注意を向けていない、と批判しています。
 マックラムは、米国の国務長官を勤めたディーン・アチソン(Dean Acheson。1893〜1971年。米国務長官:1949〜53年)の、「英国は帝国を失い、いまだ新しい役割を見出していない」という発言を引用しています。米国のエリートが喜びを噛みしめている様子がうかがえる発言ですね。
 私見では、大英帝国を終焉に導いたのは米国です。
 では、米国はいかにしてそれを成し遂げたのでしょうか。
 そして、日本は大英帝国の終焉に、単に猿回しの猿として関与した、というだけのことだったのでしょうか。
 このあたりのことは、機会を見て、改めて論じたいと思います。

(完)