太田述正コラム#2439(2008.3.22)
<チベット騒擾(続x4)>(2008.4.27公開)

1 ダライラマの政治家としての無能さ

 ニューヨークタイムスが、ダライラマの元首としての、つまりは政治家としての無能さを指摘する論説を掲げました。要旨次の通り。

 ダライラマが1959年にインドに亡命した時、彼はガンジーの非暴力主義的抵抗を行うと宣言した。しかし、実際には非暴力主義を唱えるだけでガンジーの行った塩の行進(Salt March)や断食といった「抵抗」に相当することは何もやらなかった。
 より問題なのは、1980年代終わりからは彼がハリウッドと提携して欧米でチベット支援運動を煽り立てる戦略を採用したことだ。(ソ連とは全く違って)中共は、その結果一層ナショナリスティックとなり排外主義的となった。
 米国はダライラマのこの戦略に乗せられて愚行を繰り返している。
 1987年に訪米したダライラマに米議会要人達が会い、ダライラマの対中提案の説明を聞いたが、このことを非難した中共の国営TV放送を見たチベット人達は、世界の覇権国たる米国政府がダライラマを支援することを決めたと受け取り、ラサで中共当局に対する抗議行動が始まった。当局は戒厳令の施行でこれに応えた。やがて1989年に騒擾が起こり、在チベット中国共産党書記の胡錦涛が容赦なくこれを弾圧した。
 昨2007年10月には米議会は最高勲章をダライラマに授与した。インターネットでこれを見たチベットの僧侶達は、米国政府がついにチベット問題を最優先でとりあげることになったと受け止めて喜び、爆竹を鳴らす等大騒ぎをしたため、彼らは逮捕された。
 今月起こったデモはこれらの僧侶達の釈放を求めて始まったものだ。それが急速に抗議行動へと転化して行った。
 このように二度にわたって米国はダライラマ支援のジェスチャーをしてチベットの人々を惑わしたが、これらは単に米議会の要人達が米国内向けに演じた自己満足的行為に他ならなかったのだ。
 ダライラマは、もう10年も前にこの戦略を撤回し、中共当局との内々の交渉だけの路線に切り替えるべきだったのにいまだにそうしていない。
 これに関連し、チベット自治区だけでなく、その他のチベット人地区を含めた自治を求めてきたことも撤回すべきなのにやはり撤回していない。
 しかし、もはや遅すぎるのかも知れない。
 チベット亡命政府よりも、欧米でのチベット支援団体の方が強力になってしまい、前者は後者に振り回される状況になってしまったからだ。
 人民解放軍がチベットに侵攻した1950年以降にチベット人120万人が殺されたというウソを流布させたのもこれら支援団体なのだ。
 中共当局が、ダライラマ一味が今回の騒擾の糸を引いているというのは、これらチベット支援団体まで勘定に入れれば、恐らく正しい。

 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/03/22/opinion/22french.html?ref=opinion&pagewanted=print  
(3月22日アクセス。以下同じ)による。)

2 中共当局によるチベット仏教弾圧史

 英BBCによる中共当局によるチベット仏教弾圧史の要旨は次の通りです。

 1959年にラサで反支那・反中国共産党デモが起きると、人民解放軍がこれを弾圧し、ラサの三つの主要僧院は砲撃されて大損害を受けた。ダライラマは亡命し、亡命政府を樹立し、この亡命政府はチベット人8万6,000人が殺されたと推定した。
 10年も経たないうちに毛沢東によって文化大革命が開始され、紅衛兵達がチベットに乗り込み、6,000以上の僧院と女僧院が破壊され、残ったのは10に満たなかった。また、この過程で何千もの仏像、仏画、経典等が破壊された。
 1985年にはチベット仏教においてダライラマに次ぐ活仏であるとされるパンチェンラマの生まれ変わりとしてダライラマによって指名された6歳の子供(Gedhun Choekyi Nyima)とその家族が恐らくは中共当局によって拉致されるとともに、中共当局によって、両親が共産党員のチベット人の6歳の子供(Gyaltsen Norbu)がパンチェンラマの生まれ変わりとして選ばれ、北京に連れて行かれてそこでほとんど人前に出ることなく生活を送っている。
 チベットのほとんどの僧侶達は彼を偽パンチェンラマとみなしているが、一般大衆はパンチェンラマとして尊敬している。
 1980年代からは中共当局は僧院の再建を開始しており、チベット仏教への統制も緩和してきている。
 とはいえ、すべての僧院と女僧院は一ヶ月に1〜2回、共産党幹部によって法令遵守の有無をチェックされるし、僧侶になろうとすると、家族を含め、思想調査が中共当局によって行われる。僧侶の数も少数に制限されている。

 (以上、
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7307495.stm
による。)

3 チベット人の反資本主義性向

 英ガーディアンが掲載したチベット人の反資本主義性向についての論考の要旨は次の通りです。

 今回のチベットでの騒擾を、中共当局による宗教的弾圧の産物ととらえてはならない。 文化大革命収束以降、中共当局は、破壊された僧院の再建等チベットをチベット仏教のメッカとして「売り出す」政策を追求してきた。漢人の間でも、金銭的成功によって心が充たされない人々の中から、チベット仏教に惹かれたり信者になったりする者がかなり出てきた。
 また、中共当局からの潤沢な補助金や年間100万人を超える観光客によってこのところチベットは中共全体の経済成長率を超える高度成長を続けている。
 青海省とチベット自治区を結ぶ鉄道も建設された。
 ところが、チベットが豊かになればなるほど、チベット人の分離主義傾向は強まって行った。
 豊かになれば人々は体制変革を望まなくなるというトウ小平の考え方は、漢人にはあてはまったが、チベット人にはあてはまらなかったわけだ。
 中共の経済発展戦略は都市を優先的に発展させるというものだが、これは経済的格差を拡大し、遊牧的生活様式等のチベットの伝統を危機に陥らせた。
 チベット人は気質的にも大量消費的、都会的生活、近代的生活を好まないし、その準備も不足している。
 ダライラマは、このようなチベット人が慈しんでいるところの、危機に瀕しているアイデンティティーを象徴する存在であるとチベット人によってとらえられているのだ。
 このままでは、米国人の西方進出に伴って、インディアンが西部の狭い居住地に押し込められて、劣等人種として蔑まれつつ、観光客にカネを恵んでもらって生きている状況に、(漢人の西方進出に伴って)自分達も陥ってしまうという危機意識をチベット人は抱いているのだ。

 (以上、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/mar/22/tibet.china1  
による。)