太田述正コラム#2374(2008.2.19)
<日本論記事抄(その3)>(2008.4.2公開)

 (「その1」、「その2」は即時公開しましたが、当面、即時公開で書かなければならない時事的テーマがいくつもあるため、この「その3」は非公開扱いにします。)

 こんな人間像が尊ばれる日本で、皇太子妃雅子(1963年〜)さまや、この雅子さまを擁護する皇太子徳仁親王(1960年〜)に対する風当たりが強いのは、分かるような気がしますね。
 先日、英タイムズ紙を紹介する次のような電子版記事を目にしました。

 ・・・タイムズ紙は、「国民の目を意識した質素な生活水準の日本の皇室の中で、雅子さまはぜいたくをし過ぎたようだ」と、日本の週刊誌がバッシングをしている背景を紹介。そして、「雅子さまの行状はヨーロッパ王室では一般的に言ってささいなことだ」として、日本の皇室だからこそ雅子さまは目立ってしまったとの見方を示した。また、雅子さまが米ハーバート大学で学びながら「拘束着をまとった皇室の生活」で精神的に押しつぶされ、外国人から見て「朽ち果てた蝶」のようになってしまった、と述べた。
さらに、雅子さまの病気についても言及した。「我慢や忍耐の精神を大事にするこの国では、彼女が患っている詳細不明の精神疾患は、単に彼女がひ弱なために 克服できない障害に過ぎないと見られがちだ」と主張。週刊誌などは長年、雅子さま批判を控えてきたが、病気を十分理解せずに、最近の回復の兆しは「仮病」ととったりしていると、批判的に書いた。・・
 タイムズ紙の記事には、コメント欄が開設されていた。そこに寄せられた10件ほどのコメントを読むと、なんと日本人とみられる人からの反論に近い意見が多い・・。
 <例えば、>
 一、雅子さま<は、>・・外国へ行けないなどと自らの不幸な状況についていつも不満を言っている・・。たぶん彼女は、パリス・ヒルトンのようなセレブ生活を夢見ていたんだと思います
 二、皇太子さまや雅子さまは、ご両親とは反対です。多くの人は、マスメディアの情報から、お2人の関心が国民にはなく、自らの楽しみにあると感じ始めています。
 三、公務をしないなら御所で休んでいるべきだ
 四、問題のポイントは雅子さまの教育ではなく奇妙な行動や病気にある
・・・
 (以上、
http://news.livedoor.com/article/detail/3499612/
(2月7日アクセス)による。)

 私は、雅子さまには大変酷なようですが、このような日本人の多くの気持ちに強い共感を覚えます。
 そして、この問題は深刻であると考えています。
 私は女性天皇容認派であり、できれば愛子さまに皇位を継いで欲しいと思っているのですが、この両親、とりわけ雅子さまに育てられた愛子さまに皇位を継がせるのは可哀想だと多くの日本人が考えるであろう故に、女性天皇の実現がより一層困難になりかねないということが第一点です。
 第二点は、雅子さまが外務省キャリアであったこと、しかも外務事務次官や国連大使まで勤めた小和田恆(1932年〜)氏の令嬢であることから、雅子さまの次の皇后としての適格性に疑問符がつく、というのが第二点です。もっともこれを今更言っても仕方ないことですが・・。
 前者は説明する必要はないでしょう。
 後者について説明しておきます。
 私の懸念は、彼女が日本人に尊ばれる人間像に合致しないというだけではないのです。 私は雅子さまとは面識がないのですが、防衛庁勤務時代の1981年に米国出張した折、外務省に本籍を置いたまま一時ハーバード大学の国際法の客員教授をされていた小和田恆氏に同大学の同氏の研究室でお目にかかったことがあります。
 当時防衛庁に出向していた私の部下の外務省キャリアを通じて、東京からアポイントをとったのです。
 その頃私は、日本の安全保障政策がいかに歪んだものであるかを訴える評論活動を匿名で行っており、「諸君」等に発表した拙稿のコピーを渡し、同趣旨の話をしました。
 しかし、小和田氏は、学者としてではなく、防衛庁キャリアを小バカにしている典型的な外務省キャリアとして、そして対米従属を当然視している典型的な外務省キャリアとして私にお接しになられた。
 それはとんだ誤解だと小和田氏はおっしゃるかもしれません。
 しかし、氏が日本の安全保障政策の現状と将来に深刻な危機意識を持っていた私とほんの少しでも共鳴しうるものを持っておられたとすれば、私がそんな印象を抱いたはずがありません。
 最初から露骨に私を小バカにしたような退屈そうな顔つきをされていた小和田氏は、20分ほど経ったか経たないうちに私に退去するよう促されたのですが、ニューヨークに国連から委嘱された仕事で赴く途中、(ボストンではもう一箇所某研究所を訪問しましたが、)わざわざ遠回りしてボストンに寄った私は、その程度で追い出されてたまるか、と氏に食い下がり、更に10分ほどねばってから部屋を退去した記憶があります。
 雅子さまが日本人としてお生まれになったこと、小和田恆氏の令嬢としてお生まれになったことはもちろんのこと、しかるがゆえに恐らくごく自然に外務省に奉職されたことも恐らく彼女の責任ではありません。
 しかし、徳仁親王の妻となったことは彼女の責任であり、その結果、千数百年にわたって続いてきたところの、世界遺産とも言うべき天皇制の存続にほんの少しでも陰りが生じていることは遺憾であると言わざるをえないのです。

(続く)