太田述正コラム#2094(2007.9.29)
<朝鮮戦争をめぐって(その3)>(2008.3.30公開)

3 朝鮮戦争とは何だったのか

 (1)米国の東アジア戦略大転換の契機

 朝鮮戦争は、日本の再軍備を認めない戦略から、日本を米国の東アジア防衛の拠点とする戦略への大転換を米国にもたらしました。
 この米国の戦略転換の転轍手となったのは昭和天皇であり、以下のような経過をたどります。

 昭和天皇は、新憲法が成立して10日後の1946年10月16日に行われたマッカーサーとの会見(3回目)会見で、早くも「戦争放棄を決意実行する日本が危険にさらされる事のない様な世界の到来を、一日も早く見られる様に念願せずには居れません」と憲法第9条、つまりは米国の日本再軍備否定戦略への不安感を表明しました。
 この時、マッカーサーはこの天皇の不安感の表明に一顧だに与えていません。
 その半年後、新憲法が施行されてから3日後の1947年5月6日の会見(4回目)において天皇は、「日本の安全保障を図る為にはアングロサクソンの代表者である米国がそのイニシアティヴをとることを要するのでありまして、その為元帥の御支援を期待しております」と、事実上米国による日本の防衛を要請しました。
 この時、マッカーサーはこの天皇の要請を、事実上拒否しています。
 (ちなみに、この会見から半年後の11月19日、天皇は、「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」の下で米軍による沖縄占領の継続を求める、という「沖縄メッセージ」を米側に伝達している。)
 その後、東西間の冷戦が本格化し、1947年6月から翌1948年9月にかけてベルリン危機が起こっています。
 このような背景の下、1949年11月26日の会見(9回目)において、天皇は「ソ連による共産主義思想の浸透と朝鮮に対する侵略等がありますと国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを惧れます」と、あたかも朝鮮戦争の勃発を予測したかのように共産主義の脅威を訴えます。
 これに対し、ようやくマッカーサーは、日本が主権を回復してからも「過渡的な措置」として米軍等が駐留を続ける可能性に言及します。
 ところが、その半年後の1950年4月18日に行われた会見(10回目)において、改めて天皇が、中国やインドシナ、朝鮮半島、日本など内外の共産主義の動向に触れた上で、「イデオロギーに対しては共通の世界観を持った国家の協力によって対抗しなければならないと思います」と主張したのに対し、マッカーサーは、再び米軍の駐留について言を左右にするのです。

 そこへ1950年6月25日に朝鮮戦争という東西「熱戦」が勃発します。
 茫然自失後、正気に戻ったマッカーサーが痛切に感じたのは、先の大戦前からの自分を含む米国の指導者達の東アジア認識が間違っており、昭和天皇の認識こそ一貫して正しかった、ということであったに違いありません。
 そこでマッカーサーひいては米国は豹変し、日本を含む東アジアの防衛に米国がコミットする必要性を認めるとともに、日本に再軍備を命じるのです。
 このようにして、朝鮮戦争は、日本の再軍備を認めない戦略から、日本を米国の東アジア防衛の拠点とする戦略への大転換を米国にもたらしたのです。

 この際、付け加えておきましょう。
 当時の吉田茂首相は、米国の本格的再軍備命令に抵抗し、警察予備隊の創設でお茶を濁した上、7月末の参議院外務委員会において、「私は<米国に>軍事基地は貸したくないと考えております」とまで発言します。
 これらが吉田による米国に対する意趣返しであることに天皇が気付いていたのか気付いていなかったのかは定かではありませんが、いずれにせよ危機意識を募らせた天皇は、同年8月、日本との講和問題の責任者であるダレスに対し、「基地問題をめぐる最近の<参議院における>誤った論争も、日本の側からの自発的なオファによって避けることができたであろう」に、との吉田を批判する「文書メッセージ」を直接送っています。
 とまれ、昭和天皇の描いた日本再軍備プラス双務的日米安保構想は、こうして吉田茂によって軍隊もどきの自衛隊プラス片務的日米安保へと矮小化されてしまい、日本は米国の保護国に成り下がってしまったわけです。

 (以上、天皇とマッカーサーについては、
http://nota.jp/group/kgarticle9/?20060912121406
(9月28日アクセス)による。)

 (2)東アジア25年戦争の最終章

 私は、朝鮮戦争(1950〜51年)は、1925年の中国国民党の北伐開始によって始まった東アジア戦争の最終章である、とらえています。
 日本と支那だけを見れば、1931年の満州事変から1945年の日本の先の大戦における敗北までを一続きの15年戦争(正しくは14年戦争)ととらえることもできますが、私は、東アジアにおける自由民主主義と全体主義との戦いという視点に立って25年戦争ととらえているのです。
 その主要アクターは、自由民主主義の日本と米国、共産主義(スターリン主義)のソ連(ロシア)と中国共産党、そして容共ファシストの中国国民党、です。