太田述正コラム#2089(2007.9.27)
<朝鮮戦争をめぐって(その1)>(2008.3.28公開)

1 始めに

 今年4月に交通事故で亡くなったハルバースタム(David Halberstam。1934〜2007年)・・ベトナム戦争にいかに米国のエリート達が愚劣に対処したかを描いたThe Best and the Brightest (1972)の著者として有名・・の遺作'THE COLDEST WINTER America and the Korean War'についてのいくつかの書評を読んで感じたところをご披瀝したいと思います。

2 書評と感想

 (1)ワシントンポスト

 「<朝鮮戦争(1950〜53年)では>軍人たる士官達が事実をねじまげて文民の指導者達に報告した。ベトナムとイラクではこのパターンが逆さまになり、文民達が軍部と国民を操るために情報を恣意的に選択した。しかしハルバースタムの見解では、朝鮮戦争の方がはるかに危険な先例なのだ。・・<事実、>半世紀も経ってまだ何千もの米軍部隊が朝鮮半島にとどまっている・・」

 →前段については特段言うことはありませんが、後段については、そんなことを言うのなら、先の大戦から60年以上も経ってもなお、何万もの米軍部隊が日本列島にとどまっているのはどういうことになるのでしょうね。

 「マッカーサー(Douglas MacArthur。1880〜1964年)は、5年間誰にも無答責な立場で日本占領軍の司令官をしていた男だが、<朝鮮>戦争をリモート・コントロールで行った。「朝鮮半島の戦場でわずか一夜を過ごす」こともなかったのだ。彼は既に70になっていた・・。」

 →1950年6月25日に北朝鮮軍が侵攻してきたのですが、マッカーサーは6月29日に専用機で水原に入り、自動車で前線を視察しただけでなく、自ら戦場を歩き回っています(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89
。9月27日アクセス)。確かにマッカーサーはその日のうちに日本に戻っているので、ハルバースタムの指摘は間違いではないとはいえ、何十万の軍隊を指揮する元帥が戦場にいなければならない、ということはないでしょう。第一、マッカーサーは戦場のすぐ近くの日本にいたのです。

 「ワシントンを回避し彼が戦争を個人的に遂行するため、マッカーサーは、<もともとからあった>第8軍(Eighth Army)と並列の第10軍団(X Corps)を編成した・・。自分の部隊を・・ハルバースタムに言わせれば「信じがたいことに」・・二つに分けたのは彼の愛おしい廷臣であったエドワード・アーモンド(Edward Almond)に戦闘部隊指揮官職を与えることによって大将への承認基準を満たすためであり、その結果マッカーサーは敵の追撃を一ヶ月遅らせてしまった」

 →第10軍団は仁川(Inchon)上陸作戦を敢行するために編成されたものであり、その間、半島内における追撃の速度が鈍ったとことはある意味で当然のことですし、海兵隊を交えた上陸作戦の特殊性に鑑みれば、新しい部隊を編成したことも決しておかしいとは言えないのではないでしょうか。

 (http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/09/20/AR2007092002084_pf.html
。9月23日アクセス)

 (2)ニューヨークタイムス1

 「朝鮮戦争は、議会ないし国民が理解しないままに疑わしい戦略的大義に基づき大統領が命じた、ハルバースタムの生涯中に生起した3つの米国の戦争の最初のものだった。
 朝鮮戦争は、米国が初めてその帝国的無能さをさらけ出し、軍事指導者達が二度とアジアにおける地上戦を行うまいと誓うことになった戦争でもあった。しかし・・ベトナム戦争とイラク戦争がその後に生起することになる・・。
 朝鮮半島における戦争は巨大な失策の賜だった。ディーン・アチソン(Dean Acheson)国務長官が定例演説で南朝鮮を米国のアジアにおける「防衛圏(defense perimeter)」に含めることを忘れたことが、気乗りしなかったスターリンをして、金日成が約束したところの全朝鮮を統一するための3週間の電撃戦に北朝鮮軍を投入させることになった。それは成功する寸前のところまで行った。
 マッカーサーは・・日本においても、南朝鮮においても、攻撃に対して準備することを完全に怠っていた。<攻撃を受けた>最初の夜、彼はそれを「強行偵察」と誤解した。一日経った時点で、今度は彼は全朝鮮が失われてしまったとパニくった。・・
 マッカーサーは彼の軍歴の中で最も素晴らしい<仁川上陸という>戦術的攻撃で答えた。これが逆説的により大きな大失敗を引き起こすことになる。・・<マッカーサーは、>自分はもはや不敗であると思い、・・中共が彼に挑戦するようなことはありえないと信じ込み、全北朝鮮の速やかな征服を命じた。
 ・・しかしその結果、ハルバースタムに言わせれば、「賽は投げられ、他の人々が彼のひどい傲慢さと虚栄の代償を支払うことになった」のだ。
 またもや米軍が敗走した時、マッカーサーの強迫観念的反応は核戦争をも辞さない、中共との全面戦争の扇動だった。一人一人の兵士に「死にものぐるいで戦う」ことを求める「過酷な限定戦争」で満足できるもっとまともな将軍で置き換えるため、彼はトルーマンによって1951年4月に馘首されなければならなかった。そのおかげで、対峙状況が招来され、二つの朝鮮の間のもともとの境界線が回復することになったのだ。」

 →ここは、まことにもってその通りですね。

 (http://www.nytimes.com/2007/09/23/books/review/Frankel-t.html?pagewanted=print
。9月23日アクセス)

(続く)