太田述正コラム#2042(2007.9.4)
<韓国のナショナリズムの謎(その2)>(2008.3.9公開)

 日本帝国が掲げていたのは、文明開化(朝鮮語ではmunmyong kaehwa)の東アジア全域への普及という旗印です。
 そのイデオローグは福澤諭吉(1835〜1901年)でした(注3)が、何ということはない、文明開化と、現在のブッシュ政権含め、歴代の米政権が、明示的・黙示的に掲げてきたところの、自由民主主義(経済面では市場経済)の世界への普及、という旗印とは、中身は全く同じです。
 違うのは、日本は、台湾でも朝鮮半島でも文明開化化することに成功したけれど、米国は、スペインから奪い取って植民地としたフィリピンでも、そしてコロンビアから奪い取って保護国としたパナマでもその自由民主主義化に成功せず(注4)、また現ブッシュ政権は、中東においてその自由民主主義化に悪戦苦闘している点です。

 (注3)朝鮮日報の記事(上掲)は、koreaweb上掲が文明開化や、そのイデオローグたる福澤に言及しているのに、あえて言及せず、代わりに日本の影響下に朝鮮半島で生まれた東洋主義・・東洋の黄色人種は団結して欧米に対抗すべきだとする主張・・という、いわば文明開化論の矮小形態にのみ言及している。
 (注4)パナマは、1903年に、パナマ運河掘削を計画していた米国によってその傀儡国家としてつくられた。パナマには米軍が駐留し、1947年には米南方軍司令部がパナマに創設された。この司令部が米本土に移転するのは1997年になってからであり、パナマ運河を挟む米国のパナマからの租借地が返還されるのは、1977の条約に基づき、ようやく1999年になってからだ。(
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1658062,00.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%8D%97%E6%96%B9%E8%BB%8D  
。どちらも9月4日アクセス)
    コロンビアを中華民国で、パナマ運河租借地を関東州租借地で、パナマを満州国で、米南方軍を旧日本陸軍の関東軍で置き換えてみていただきたい。

 さて、日本帝国が文明開化を東アジア全域に普及させようとしたのは、やや単純化して言えば、反文明開化国であるロシアが東漸してきていたことから、自らが文明開化するだけでなく、朝鮮半島や支那をも文明開化させることによって、共同でロシアの脅威に対抗しようとしたためです(注5)。

 (注5)この発想の原型を、横井小楠(1809〜69年)に見出すことができることは、以前(コラム#1609、1610、1613で)指摘した。

 ところが、朝鮮半島や支那は笛吹けど踊らず、文明開化への歩みが余りに遅々としていたため(注6)、日本は、まず朝鮮半島を保護国化し、次いで伊藤博文韓国統監府統監が暗殺されるに及んで朝鮮半島を併合し、やがて支那に進出して行くわけです。

 (注6)1884年12月に朝鮮半島の文明開化推進派の金玉均や朴泳孝らがクーデター起こすもこれが失敗に帰した時、福澤諭吉は、「朝鮮は未開だから私たちが彼らを導いて上げるべきで、その国民らは頑固なことこの上なくて武力を使用しても進歩を助けなければならない」と記した。また福澤は、翌1885年の「脱亜論」(コラム#220)でも、「朝鮮人の無知蒙昧なこと、南洋の土人に譲らず・・支那人の卑屈にして恥を知らざれば・・悪友を親しむものは共に悪名を免る可からず」と記している。(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/27/20060827000002.htm
。2006年8月27日アクセス)

 それでは、朝鮮民族観念を援用した朝鮮ナショナリズムとは一体何だったのでしょうか。
 それは、日本と文明開化に反対する朝鮮半島の反動的勢力が掲げた、人工的イデオロギーだったのです。
 1931年に朝鮮総督になった宇垣一成(1868〜1956年)は、朝鮮ナショナリズムについて、「日章旗の庇護の下、有色人種唯一の純独立国民として生存することは、互いの光栄と名誉として誇りと感じるものであり・・朝鮮人に不服があるように話す輩がいることは、真に不可解この上ないことだ」という感想を記しています(朝鮮日報上掲)。

 それもそのはずであり、日本の統治下で、朝鮮半島は驚くべき経済成長を成し遂げ、法的・制度的にも近代化が進んだことは争いがたい事実なのです(注7)。

 (注7)李氏朝鮮末期においてさえ、全国をカバーする統合された市場は存在しなかったし、首都のソウルでも市場での取引は取引全体の約4割にとどまっており、また、地方の特産物を中央に納めさせる貢納制が維持されていた。更に、財政は恒常的な赤字であったというのに、途方もない資金が国王に尊号を捧げたり、宮殿を修築したりする虚飾に使われていた。(
http://www.chosunonline.com/app/ArticleView.do?id=20070402000054 
(4月3日アクセス)、及び
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/03/20060903000012.html
(2006年9月5日アクセス))

 最近の研究でも、例えば、朝鮮総督府が1927年に始めたラジオ放送は朝鮮語放送の比重を次第に高め、朝鮮半島の近代大衆文化を創造したし、同じく総督府が1930年代に推進した農村振興運動には、天道教・キリスト教の農本主義者も積極的に参加し、農村の生活環境向上をもたらしたことが判明しています。
 他方、例えば、1927年に結成された女性運動の組織である槿友会は、朝鮮ナショナリズムを前面に掲げたため、女性解放についてほとんど成果を挙げることができなかった、といったことも判明しています。

 (以上、特に断っていない限り
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/27/20060827000000.html
(2006年8月27日アクセス)による。)

(続く)