太田述正コラム#1866(2007.7.15)
<キリスト教・合理論哲学・全体主義(その2)>(2008.1.14公開)

3 グレイと私

 私のコラムを読み込んでこられた方から見ると、グレイと私の考えは全く同じであるとお感じになられたのではないでしょうか。
 まさにその通りであり、同じ考えのイギリス人に出会うことができて私は大変喜んでいます。
 ところで、これまで触れなかったのですが、グレイは、米国のネオコンのみならず、ブッシュやその「追随者」ブレアも、更には19世紀来の英国や米国の市場万能論的自由主義・・最近ではレーガンやサッチャーのそれ・・もまた、終末論的キリスト教の系譜に連なる狂信的思想であると指摘しています。
 私が、一貫して米国は、アングロサクソンだけれど、欧州の強い影響を受けているできそこないの(bastard)アングロサクソンだ、と主張してきたこともご存じの方が多いでしょうが、英国のサッチャーやブレアまで欧州の終末論的キリスト教の系譜に連なる、と言われると違和感を覚えてしまいます。
 

 実は、本日またもガーディアンにグレイの同じ本について書評が出ており、どれだけ英国でこの本が注目されているかが良く分かりますが、この書評子が、同様の違和感を表明しています。
 なお、この書評子は、ブッシュだって、終末論的キリスト教の系譜に連なる狂信的思想の持ち主であるとまでは言えないのではないか、と疑問を呈しています(注5)。
 (ここは、
http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,,2126493,00.html
(7月15日アクセス)による。)

 (注5)本筋をはずれるが、この書評子は、グレイが、多民族民主主義国家にとっての君主制の不可欠性を示唆していることも紹介している。グレイは米国、英国、カナダ、スペインを多民族民主主義国家と見ているところ、英国やカナダやスペインに比べた、米国の民主主義の危うさをグレイは感じているらしい。

 かねてから私は、イギリス人には、欧州や米国の人々から傲慢だとか夜郎自大だとか非難されないようにするため、アングロサクソン文明を欧州文明と対置させ、あるいは米国「文明」をアングロサクソン文明の異端と位置づけたり、その上で欧州文明や米国「文明」を批判したりすることを避け、韜晦する傾向があることも指摘して来ました(コラム#84、869等)が、グレイもまたイギリス人として、かかる観点から、サッチャーやブレアを無理矢理批判の対象にすることで、いわば非難除けの避雷針を立てた、ということなのであろうと考えています。
 
4 最後に

 グレイはレーニンが大量虐殺を始めたと指摘していますが、実際には、1918年にレーニンを始めとするボルシェビキ幹部の暗殺未遂や暗殺が連続して起こったことから、スターリンが、暗殺再発防止のために、反ボルシェビキ分子に恐怖をたたき込むべく彼らを大量虐殺することを提案し、これにレーニンらが同意した、ということであったようです。
 しかも、この頃は、ボルシェビキ政権に反対する白軍との間で、何でもありの血みどろの内戦がロシアで続いていた最中であったことも忘れてはならないでしょう。
 こうして、1918年から21年にかけて、ボルシェビキは最大20万人を虐殺したのです。これが共産主義者によって行われた最初の大虐殺です。
 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Vladimir_Lenin
(7月15日アクセス)による。)
 要するに、レーニンが大量虐殺理論を構築し、スターリンらこれを実践したところ、少なくとも最初の大虐殺にはそれなりの合理的理由があったということです。
 ちなみにレーニンは、単にロシア正教の洗礼を受けていただけですが、スターリンやイエニキーゼ(Yenikidze)やミコヤン(Mikoyan)は修道僧あがりであり、ヴォロシーロフ(Voloshilov)は聖歌隊の隊員でしたし、カリーニン(Kalinin)は熱心に教会に通った少年でした。ついでに言うと、ベリア(Beria)とカガノヴィッチ(Kaganovich)の母親は、どちらも極めて熱心なユダヤ教徒でした。(Montefiore, Stalin PP86)
 以上から、スターリンらによる大虐殺、すなわちソ連における大虐殺は、まさに終末論的キリスト教から来ている、と言えそうです。
 
 この、レーニンが理論化してスターリンらが実践した大量虐殺を、終末論的キリスト教とは縁もゆかりもない支那の毛沢東、しかも共産主義理論に通暁せず、かつボルシェビキ的同志愛のかけらもないエゴイストの極みの毛沢東が、形だけ忠実に受け継いで実行に移したわけです(注6)。

 (注6)1928年に毛沢東は湖南省で大虐殺・・地主とその走狗を焼き尽くし殺し尽くす作戦・・を開始するが、これはソ連共産党の指示に忠実に従ったものだ(Chang&Hlliday, Mao PP59)。思うにこれが、後に日本軍が対共産党ゲリラに対して行った作戦を中共が三光作戦・・殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くす作戦の意・・と形容するに至った(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%BC%E6%BB%85%E4%BD%9C%E6%88%A6
。7月15日アクセス)ことの伏線になったのではないか。

 つまり毛沢東は、共産主義を、自分の個人的独裁を維持するための手段へと矮小化させたのです。
 こうして共産主義は、それに内在していたところの最低限の倫理性と合理性を失ってしまい、反倫理的非合理主義の極致たる毛沢東主義へと改竄された(注7)のです。そしてその結果、スターリンらのロシア(ソ連)は重工業化と軍事力の近代化に成功したというのに、毛沢東の支那(中共)は、スターリンらのロシアをはるかに超える大虐殺を行いつつも、工業化と軍事力の近代化には完全に失敗することになるのです。
 
 (注7)いかに毛沢東主義が反倫理的非合理主義の極致であったかは、大躍進政策が大量の餓死者を出しただけで工業化と軍事力の近代化には全くつながらなかっただけでなく、グレイも言及しているところのエピソード・・大躍進政策の過程で毛沢東が穀物を荒らす雀を撲滅せよと命じ、その結果雀の餌であった害虫が大発生してしまい、今度は極秘裏に極東ソ連から20万匹の雀の輸入を図る羽目になった(Chang&Halliday ibid PP422〜423)・・に典型的に現れている。

(完)