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太田述正コラム#1863(2007.7.12)
<スターリンと毛沢東の伝記(続)(その3)>(2008.1.12公開)

 <スターリンのエピソード1>
 ここで、毛に比べていかにスターリンが「正常」であったかを、スターリンの二番目の妻との別離の時のエピソードをもとにお示ししましょう。
 (スターリンの伝記の方の頁は、SPP・・とPPの前にSをつけて表すことにする。)

 ちなみに、スターリンは25歳くらいの時の1903年に最初の妻を亡くすのですが、葬儀の時に、「私が他人に対していささかなりとも抱いていた温かい気持ちは彼女とともに死に絶えてしまった」と言って嘆き悲しんだと伝えられています(注1)(
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Stalin
。7月12日アクセス)。

 (注1)この妻との間にできたスターリンの長男ヤコフ(Yakov)は、第二次世界大戦の時にドイツ軍の捕虜になり、ドイツが、ソ連の捕虜になっていたパウルス(Friedrich Paulus)元帥との交換を求めてきた際、スターリンは、「尉官と元帥とを交換できるか」と言って断ったという。

 さて、スターリンが既にソ連の最高権力者になっていた54歳くらいの時の1932年に、二番目の妻ナディア(Nadya=Nadezhda Alliluyeva。1901〜32年。スターリンと結婚したのは1919年)がピストル自殺するという事件が起こります。
 毛沢東の実質的な最初の妻であった楊開慧が、毛沢東の「山賊」的共産主義活動に批判的であったことと好一対なのですが、ナディアもスターリンがウクライナ大飢饉(Ukrainian Famine)を意図的にもたらした(注2)ことに批判的でした。

 (注2)スターリンは1929年に農業集団化政策を開始し、その結果ソ連の農業生産性は大幅に落ち込んだが、そこへ1932年にスターリンは、ソ連の穀倉地帯であるウクライナの穀物供出量を44%も増加させた。このため、翌1933年にかけて、600万人から1,000万人の死者がウクライナで出た。スターリンの隠された狙いは、ウクライナのナショナリズムを根絶やしにすることであり、ウクライナ共産党幹部を含むウクライナのインテリはほとんど死に絶えた。(
http://www.ibiblio.org/expo/soviet.exhibit/famine.html
。7月12日アクセス。ただし、1,000万という数字はSPP85より)。

 彼女は、「あなたは拷問者です。あなたは自分の息子、妻、そしてロシアの人々全員を拷問にかけているのです。」とスターリンをなじります(SPP87)。
 しかし、彼女は鬱病にかかっていたのであり、この発言の前段は被害妄想でした。
 実際には、彼女とスターリンは互いに深く愛し合っていたのです。
 また、スターリンは2人の間にできた子供達、とりわけ娘に深い愛情を注いでいました(SPP162の次の写真の頁の解説)(注3)。

 (注3)2人の間には、スターリンにとっては次男のヴァシーリー(Vasily。1921〜62年)と長女スヴェトラーナ(Svetlana。1926年〜)がいた。ヴァシーリーは第二次世界大戦中空軍で活躍し、スヴェトラーナは1967年に米国に亡命したことで知られている。(ウィキペディア上掲等)

 ところがこの鬱病は、医師団が彼女にカフェインを処方するという過ちをしでかした上、まさに農業集団化政策の総指揮をとっていて神経がピリピリしていたスターリンの影響でどんどん悪化し、彼女は手元にあったピストルで発作的に自殺をしてしまった、というのが本当のところのようです。
 (以上、SPP99による。)

 ナディアの死にスターリンは打ちのめされます。
 自殺をほのめかすスターリンを周りの人々は懸命になって思いとどまらせます。葬儀の際には、スターリンの目からは涙がとどまるところなく流れ落ちました。棺の釘打ちの直前、スターリンはかがみ込み、ナディアの首を持ち上げて激しく接吻をし、列席者の涙をさそいました。
 スターリンは腑抜けのようになってしまい、ソ連共産党の書記長(General Secretary of the Central Committee of the Communist Party of the Soviet Union)を辞任しようとしますが、もちろんそうさせてはもらえません。
 立ち直ってからも、スターリンは、死ぬまでナディアの大きな写真を近くに飾り続け、ナディアのことを知っている人物が訪れると本来の用件はそっちのけで、ナディアの話にのめり込みました。
 もちろん、スターリンは二度と結婚はしませんでした。
 (以上、SPP105〜111による。)
<エピソード1終わり>

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