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太田述正コラム#2286(2008.1.7)
<皆さんとディスカッション(続x31)>

<大阪視聴者>

NHKの5日の「民主主義」おもしろいですね。女性の映像作家がムシャラフ、イスラム宗教指導者、民衆などにインタビューしています。太田さんのブット暗殺に対する評価とあわせて、パキスタンと開発途上国の民主主義に対する新しい知見を得ました。
 それと映像の説得力も認識しました。太田さんも映像を利用されることを考慮されては。と唐突ですが思いました。
 インタビューをとり、YOUTUBEにアップするのです。相手は協力してくれるような政治家・経済人・ジャーナリスト・一般人・太田ファンです。まとまればDVDにして、カンパを募るときのお礼にも使えますし。
 ブログでデモの映像をアップしている方はおられますが、インタビューは少ないのでは。私自身も協力できることがあればお手伝いさせていただきます。

<太田>

 次に大阪の放送局からお呼びがかかったら、大阪でオフ会を開くというお約束になっていますが、お言葉に甘えてその際にインタビューもお願いしますかね。
 と言っても、お呼びがかかるのがいつになるのか分かりませんが・・。

<yoshu>
私も、5日深夜のドキュメンタリー民主主義のパキスタンとインドは、視ました。私も、映像はすごい物を持ってると思います。映像を視てると、写してる側が本当は違う意図で撮っても、真実が見えてくると思います。(視る側の視方・とらえ方でも違ってくるでしょうが。)
パキスタンとインドのドキュメンタリーを視てると、涙が出てきました。日本に生まれていて良かったと。日本でも見えないところや心の中では、差別や偏見はいっぱいあるでしょうが、なんて恵まれているのかと、涙がポロポロ出てきました。それにしても、パキスタンの貧富の差・宗教民族の違いでの考え方、生活の格差の違い方の大きさに衝撃を受けてます。ムシャラフの晩餐会、映像作家仲間の夕食会、貧しい人達の食事を対比させてた映像には、インパクトありました。

 補足になりますが、映像は全てとは言いがたいですが、真実を映す鏡に思えます。そして、見る人によってはうわべしか見ることをしない人もいます。 だから、撮り方によっては意図と違ったことが伝わるから、映像を使うのは大変難しいと思います。例えば、NHKの鶴瓶の家族に乾杯とか、インタビュー番組 みてると、よく感じます。出てしまうのですよね。映像は伝えるのには、素晴らしい半面、怖いものだと思います。映像だけではなく、この様に書いて投稿する ことも。

<太田>

 何気なしにTVのスイッチを入れて6日の深夜に私が途中から途中までNHKで見たのは、恐らく「民主主義」の中国(支那)篇だったのですね。
 この篇の論評をどこかで読んでいたので、結末は分かっていました。
 小学校の学級委員の選挙の話で、親の入れ知恵に従い、親のコネを使って同級生達を最新式の交通機関に乗せてやった候補者が選ばれる、というドキュメンタリー(?)です。
 3人の候補者を指名したのは先生であることといい、選挙の結果といい、毒に充ちている映像でした。

<Fan>

 7日のNHK「民主主義」の舞台は「日本」みたいですね。

<遠江人 >

 ニュースやドキュメンタリーにおける報道というと、ケビン・カーターのハゲワシと少女の写真を思い出します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
「ケビン・カーター(Kevin Carter, 1960年9月13日 - 1994年7月27日)は、南アフリカ共和国のフォトジャーナリスト。

 1994年、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている『ハゲワシと少女』という写真でピューリッツァー賞を受賞。写真はスーダンの飢餓を訴えたものだったが、1993年3月26日付のニューヨーク・タイムズに掲載されると同紙には絶賛と共に多くの批判が寄せられた。そのほとんどは「なぜ少女を助けなかったのか」というものであり、やがてタイム誌などを中心に「報道か人命か」というメディアの姿勢を問う論争に発展した。
 授賞式から約1ヶ月後、カーターはヨハネスブルク郊外に停めた車の中に排ガスを引きこみ自殺。」
 『ハゲワシと少女』の写真は、荒廃したスーダンで今にも餓死しそうな少女を、その後ろでハゲワシがジッと狙っている、というもので、その写真と報道姿勢に対して「写真を撮る以前になぜ少女を救わなかったのか」という批判がされ、撮った本人は思い悩んだ末自殺してしまいました。
 現場にいたカーターの友人でありフォトジャーナリストのジョアオ・シルバの証言などから、写真の構図は母親が食糧を手に入れようと子どもを地面に置いた短い時間にできたものであったこと、少女の近くには母親がいてハゲワシによる危険に晒されていたわけではなかったことが明らかになっている。もしそばに母親がいなければ、カーターが少女を助けていた可能性は十分に考えられる。
 1983年から続く内戦と干ばつのためにスーダンでは子供たちを中心に深刻な飢餓がおこっていた。しかし、スーダン政府は取材を締め出し国外に伝わらないようにしていた。そんな中カーターは、内戦の状況を伝えようとスーダンに潜入した。
 カーターが訪れた国連などの食料配給センタ−があるアヨドという村では、飢えや伝染病で一日に10人から15人の子供たちが死んでゆく有様だった。やりきれなさから、その村から離れようとして村を出たところで、ハゲワシがうずくまった少女を狙うという場面に遭遇したのである。
 カーターは写真をとった後、ハゲワシを追い払い、木陰まで行ってタバコをふかし、しばらく泣き続けたと手記に記している。
 この写真が、ニューヨーク・タイムズ紙に1993年3月26日付けで掲載されると強い批判がニューヨーク・タイムズ紙に寄せられた。大部分が写真を撮る以前に少女を助けるべきではないかという人道上からのものであった。
 この写真は「報道か人命か」という問題として、その後何度かメディアで取り上げられることになった。」

『ハゲワシと少女』の写真
http://www.edogawa-u.ac.jp/msco/eumsr/9570197.html

 報道と人命のどちらを優先するべきか、という命題ですね。以前、たかじんのそこまで言って委員会でも遡上に上っていましたが、その回では、不肖・宮嶋ことカメラマンの宮嶋茂樹氏がゲスト出演をしていました。写真を撮る前にすぐ助けるべきではないかと聞かれ、氏曰く、自分だったら写真を撮ってから助ける(=報道を優先する)と言っていました。報道におけるモラルについて問われたわけですが、カメラマンやジャーナリストは命より報道を優先する選択をしなければならない時もある、業を背負った商売であることを常に意識しなければならない、ということを言っていたように思います。ただ三宅さんはこのことについて、すぐに助けなさい!と叱っていましたが(笑)

 画像や映像は常にプロパガンダとして利用されてきたという側面もあります。モラルといってもいろんな考え方があります。難しい問題ですね。

(太田コラムから話が逸れてしまっていますね。すいません)

<太田>

 私のコラムをめぐる議論からの派生として自然ですし、典拠もついているし、こういう投稿ならOKです。

<コバ>

 朝鮮日報の記事(http://www.chosunonline.com/article/20080106000023)に、朝鮮半島が分断されたのはソ連による封鎖措置のためだとする主張がありました。韓国には米国責任論、米ソ共同責任論もあるようです。日本が戦争に負けてしまったから、とも言えそうですが・・・。

<太田>

 私に言わせれば、朝鮮半島分断の第一の責任が日本を対米開戦に追い込み、かつソ連に朝鮮半島北部の占領を認めた米国にあることは明白です。
 お示しの典拠に登場する韓国学中央研究院の梁東安教授は、自らの提唱した、法医学の概念を援用したところの、「人間が死に至る過程で、致命的な作用を及ぼした原因と、そうではない障害がいくつか存在する場合、死に至った原因は前者であると判断するべきであり、その中でも最初に発生した障害が優先されるべきだ」という方法論に忠実ではないと言わざるをえません。
 それはそれとして、どうしてドイツと朝鮮半島ではソ連占領地がそのままソ連圏(共産圏)にとどまって分断され、オーストリアではそうならなかったか、の比較研究は面白そうですね。
 直感的には、オーストリアの人々の間に分断を乗り越えるだけの強い一体感があったから、ということではないかと思いますが・・。(
http://countrystudies.us/austria/84.htm
(1月7日アクセス)にヒントを得た。)
 ところで、朝鮮戦争勃発時にソ連が安保理を欠席することによって結果的に国連をして北朝鮮を侵略者と非難せしめたのは、ベルリン封鎖の大失敗によるNATOの創設と西ドイツ政府の成立という失地を回復するとともに、米国に一泡吹かせようとようと、北朝鮮による南朝鮮併合計画を支持し、朝鮮半島に米国を引きずり込もうと企んだスターリンの差し金によるものであったことが在米のロシア人学者(Vladislav Zubok)の最新の研究で明らかになりました(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/01/03/AR2008010302945_pf.html
。1月6日アクセス)。

<読者SK>

 著書を拝読いたしました。秋田のSKです。
 2001年の時点で、このような著書があったのは気がつきませんせんでした。
 やはり戦後体制の歪は吉田茂に端を発していますね。
 色々な書籍を読みそうでは無いかと考えておりました。
 #その同調者の存在も大きいですが。
 同じ考えの方がいて嬉しいです。
 最近のメールマガジンでアングロサクソン論が出て来る理由の一端が分かったような気がします。興味の持てる分野です。
 著書に書かれた問題点は現時点でも未解決の問題です。
 大部分の方はこのような事を全く考えず享楽的に日々を送っています。
 その原因はマスコミ・政治家・評論家などに帰する事が出来ると思います。
 #つまるところは根本原因を理解しようとしない日本人(一般大衆)ですが。
 私は事件があってもその裏は何かと考えたり、軍事関係・政治関係などの著書を読んだして一般的な考えには絶えず疑問を持っております。
 私のような事を考えているのは傍には皆無な状態で浮き上がっているように思えます。
 同時に何時かは生かせる日が来たらととも思っております。
 日々の状況を考えると憂鬱ですが。
 とりとめも無い事を書いておりますが、応援しております。
 僭越では有りますがこれからのご活躍も祈っております。
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太田述正コラム#2287(2008.1.7)
<1999年のマレーシア公式訪問記(その2)>

→非公開

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