太田述正コラム#2265(2007.12.29)
<ブット暗殺(その2)>

<koyuki>

 パキスタンは、イスラミスム三大思想家の一人Mawdoudiを生んだ国です。アフガニスタンのタリバンも、彼の思想から生まれたのです。
 太田さん、無職でお暇なんでしょうから、もう少しお勉強してください。

<太田> 

 グーグルでMawdoudiを検索かけてみたら、最初の2頁はフランス語のサイトばかり出てきました。
http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p20010920/dossier/a48856-les_khmers_rouges_de_l%E2%80%99islam.html
に、「タリバンも、彼の思想から生まれた」的な記述が出てきましたが、Mawdoudiについては、西側世界ではほとんど知られていない、とも記述されています。
 とりわけ、アングロサクソン世界では全く知られていない、無視されているということですね。
 それにしても、「イスラミスム三大思想家の一人」の典拠をお示しいただきたいものです。
 英独仏以外の言語の典拠であれば、恐縮ですが、ズバリの部分を訳してお示しいただけるとありがたいですね。

 無学の太田より。

<遠江人>

http://www.asahi.com/international/update/1228/TKY200712270418.html
 上記サイトの記事ですが、パキスタンの今年7月からの流れが簡潔に書かれていて、とりあえずおおまかな状況が把握できると思うので、よかったらどうぞ。

http://www.gettyimages.com/Search/Search.aspx?EventId=78622741#
 2chの某スレからの転載ですが、上記の画像サイト(?)で事件直後の現場や民衆の様子を写した画像を見ることができます。(衝撃的な画像も含まれます)

<鎌倉人>

 パキスタンの内政が不安定になると、テロ組織制圧のために、英米が軍事介入せざるをえない事態になるのではないでしょうか?
 その時、海上自衛隊は、パキスタン海軍への給油だけではなく、第一次世界大戦の際に、地中海へ派遣された駆逐艦隊のようになるのではないでしょうか?

<ホッシュジエンの国内ニュース>

 パキスタンのブット元首相が暗殺された事件で、パキスタン政府は28日、暗殺には「国際テロ組織アルカイダ」が関与した証拠があると発表した上で、暗殺直前の映像を公開しました。
 いつものようにアルカイダ登場だ。暗殺の瞬間映像もちゃんと用意されている。
 どうやらブット元首相暗殺で一番得をするのはアメリカのようですね。(・A・ )

07.12.29 TBS「ブット元首相暗殺、アルカイダ関与か」
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 最初にブット元首相の暗殺は必然だったということについてです。
 
 ニューヨークタイムスの元ニューデリー支局長(現国際経済担当記者)のワイズマン(Steven R. Weisman)は、ブットは大混乱を惹き起こすことで政権奪取を図ったと推測しています。
 ブットが帰国したのは、支持者達を立ち上がらせ、大混乱を引き起こし、暴力沙汰を頻発させ、その挙げ句軍部を介入させ、ムシャラフ大統領を軍部に打倒させて、軍部が自分を恐らくは軍人の将軍とともに政権の座につけてくれることを狙ったからだというのです。
 もちろん彼女は来るべき総選挙で勝利したいと思ってはいただろうが、たとえ選挙に勝利したとて、ムシャラフは自分に実権を引き渡さないだろうと思っていたに違いないというのです。
 このワイズマンの推測には根拠があります。
 ブットは前に一度同じことをやって成功したことがあるからです。
 牢獄から出て2年間海外で過ごした後、1986年にブットは帰国し、ラホールでパキスタン史上恐らく最大規模の大群衆を集めて大混乱を惹起することに成功し、当時のハク(Mohammed Zia ul-Haq。1924〜88年)大統領と軍部との間に楔を打ち込むことに成功しました。(ハクはその2年後の1988年、謎の飛行機事故で死亡します。)
 この時、ワイズマンはパーティーの席上でのブットととの立ち話で、ブットから、1977年の総選挙で彼女の父親のブット(Zulfiqar Ali Bhutto。1928〜79年。大統領を経て首相)首相率いるパキスタン人民党(Pakistan People's Party =PPP)は大勝利を収めたけれど、反PPP政治勢力が総決起して大混乱を引き起こしたためハク将軍率いる軍部のクーデターを招き、父ブットは失脚しその2年後には絞首刑に処せられた、という経験を踏まえて、危険だけれど今度は自分が群衆を扇動して同じことをやろうとした、そうしなければ権力奪取は絶対にできない、という打ち明け話を引き出しているのです。
 (以上、
http://thelede.blogs.nytimes.com/2007/12/27/benazir-bhutto-and-the-politics-of-chaos/
(12月28日アクセス)による。)

 ブットの期待(!)通り、彼女がパキスタンに帰国した直後の10月19日に彼女を狙った爆弾テロ事件が起こり、パキスタン史上最も多数の138人もの死者が出ました。 
 この前後から、ブットに迫る危険を察知した米ブッシュ政権はブットに対して危険情報を継続的に提供するようになっていました。
 その1週間後の10月26日、ブットは、自分の身に何かあったらそれはムシャラフの責任だと記したメールを米国在留のブットのスポークスマンに送り、自分が死んだら公開してほしいという希望を添えて米マスコミに転送させています。
 更に12月に入ってから、アルカーイダのナンバー2であるザワヒリ(Ayman al-Zawahri)がビデオで、ブットの帰国を非難するとともに来月8日に予定されている総選挙のすべての候補者への攻撃を呼びかけました。
 にもかかわらず、12月27日、演説が終わった後、ブットが群衆に囲まれた中で、防弾ガラス付きの自動車のルーフトップから身を乗り出すという無謀なことをやったのです。

 (以上、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-security29dec29,0,1081227,print.story
http://www.guardian.co.uk/pakistan/Story/0,,2233038,00.html
(どちらも12月29日アクセス)による。)

 何発かの銃声と爆発音が響いたのはその瞬間でした。
 結局、ブットの命を張った2度目の賭は大失敗に終わったわけですが、暗殺は起こるべくして起きたのであって、彼女の死は自業自得であると言うべきでしょう。

(続く)
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太田述正コラム#2266(2007.12.29)
<昔の文明論コラム2篇>

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