太田述正コラム#1822(2007.6.19)
<エトルリア人の正体>(2007.12.15公開)

1 始めに

 今回は、古代ローマと切っても切り離せない関係にあるエトルリア人(コラム#1756、1758、1767)の正体がついに明らかになったという話をしましょう。

2 エトルリア人はリディアからやってきた

 (1)これまでの論争

 エトルリア人(Etruscans)は、紀元前1,200年頃に出現し、紀元前6世紀に最盛期を迎え、イタリア半島と地中海に覇を唱え、紀元前200年頃にローマ共和国に統合されます。
 古代ローマは、冶金術や航海術等、多くのものをエトルリアに負っているとされています。

 しかし、エトルリア人の起源は2,500年以上にわたって論争の種となってきました。

 紀元前5世紀に古典ギリシャの歴史家であるヘロドトス(Herodotus of Halicarnassus。BC484〜425?年)は、エトルリア人がアナトリア半島のリディア(Lydia)からやってきたと主張しました。
 ヘロドトスによれば、18年間にもわたる飢饉に苦しんでいたリディアで、国王が国民全員を二つに分けた上でくじをひかせて、片方に港町で船をつくらせ、つくった船に全財産とともに乗り込ませ、息子のティレヌス(Tyrrhenus)に率いさせ、新天地を探させ、最終的にイタリア半島のウンブリア(Umbria)上陸した彼らは町をつくってそこに定住したというのです。
 しかし、紀元前1世紀に、まずローマの歴史家のリヴィウス(Titus Livius。BC59〜AD17年)がエトルリア人は北欧からやってきたと主張し、次いでローマ居住のギリシャ人著述家のディオニシウス(Dionysius of Halicarnassus。BC60?〜BC7年以降)は、このヘロドトスの説には神話が含まれているし、リディアの言語とエトルリアの言語は異なるので信用できないとし、エトルリア人は最初からイタリア半島に居住していた、と主張しました。
 爾来、この論争には決着がつかないまま現在に至っていたのです。

 (2)ついに論争決着へ

 今年に入ってから、リディア起源説が復活してきていたところ、6月17日に、ついに決定打となるリディア起源説がイタリアで発表されました。
 この説は、トスカナ地方のかつてのエトルリア人居住地区に代々住んできたエトルリア系の名字を持つ男性の人々のY染色体を欧州・地中海地方の各地の男性の人々のY染色体と比較し、最も前者に近いのがアナトリア半島西部に代々住んできた人々であること、そして両者の共通の祖先が生きていたのは約3,500年前であったことを明らかにしたのです。
 今年初めには、女性が受け継いでいくミトコンドリアDNAに関し、同じ結論に到達した研究と、この二つの地域の牛のミトコンドリアDNAについても同じ結論に到達した研究とが発表されているので、合わせ技三つで一本だ、というわけです。

 ただし、まだリディア起源説に疑問を持つ学者も少数ながら存在しています。
 例えば、まだ完全に解読されていないところのエトルリア人の言語は印欧語族に属していないのに、リディア語は印欧語族の言語である、という問題がまだ解決していない、というのです。

 (以上、
http://www.guardian.co.uk/international/story/0,,2105308,00.html
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-sci-etruscans18jun18,1,5297311.story?coll=la-headlines-world
http://www.mysteriousetruscans.com/history.html  
(いずれも6月19日アクセス)による。)

3 感想

 第一の感想は、イタリアの学者も頑張っているな、ということです。それに引き替えわが日本の学者は何をしているのだろう、ともどかしい思いがします。
 もう一つの感想は、東の司馬遷(BC145〜86?年)と並ぶ西のヘロドトスの、歴史の父としての偉大さです。