太田述正コラム#2134(2007.10.19)
<有色人種差別の国・米国>(2007.11.22公開)

1 始めに

 米国における有色人種差別の最たるものは黒人差別ですが、今回とりあげるのはそれ以外の有色人種差別のうち、ヒスパニック以外に対する差別、とりわけ日本人ないし日系米国人に対する差別です。
 
2 日本人ないし日系米国人等に対する差別

 (1)前置き

 かつての支那系米国人に対する差別や先の大戦前から大戦中にかけての日本人ないし日系米人に対する差別は過去の話ということになっていますが、決してそんなことはありません。
 日系米人(3世。ただし、WASPとオーストリア・ハンガリー系ユダヤ人の血が混じる)のムラ(David Mura。詩人・ノンフィクション作家・批評家・劇作家・パーフォーマンスアーティストとして活躍している)とカバノー(Tim Cavanaugh。ロサンゼルスタイムスのウェッブの読者意見欄の編集者)の語るところに耳を傾けましょう。
 (以下、特に断っていない限り
http://www.atimes.com/atimes/Japan/IG19Dh01.html
(7月19日アクセス)、及び
http://opinion.latimes.com/opinionla/2007/10/cold-copy-the-t.html
(10月12日アクセス)による。)

 (2)ムラの言

 1980年代には米国で反日感情が燃えさかった。
 デトロイトの自動車工場の労働者達は日本車をたたき壊したし、支那系米国人の青年が2人の白人に日本人だと思われて殺された。
 また、マイケル・クライトン(Michael Crichton。1942年〜)がライジング・サン(Rising Sun)という本を書き、それが映画にもなったが、日本の会社が米国を乗っ取ろうとする陰謀を企てるという荒唐無稽なストーリーだった。
 このヒステリー症状のすべてが日本経済のバブルの崩壊によって消え去ったことはご承知の通りだ。 
 思うに、この米国という国は、心理的にも政治的にも国内大衆の目をそらすための敵を次々と創り出す必要があり、その敵は有色人種(a darker hue)であることが望ましいのだ。
 日本人の次は支那人が敵にされそうになった。
 1999年12月に台湾生まれの米国人で科学者のウェンホ・リー(Wen Ho Lee=李文和。1939年〜)がスパイ容疑で非難されたが、後にほぼ無罪放免になったという事件が起こったことは覚えている人も多いだろう(Leeの英語ウィキペディアを参照して補足した(太田))。
 ところが、そこに2001年の9.11同時多発テロが起こったため、今度はイスラム世界が敵視されるようになり、現在に至っている。
 第二次世界大戦中に日系米国人は収容所送りになったが、当時彼らは人身保護令状(habeas corpus)が適用されないこととされた。無罪を法廷で証明することが許されなくなったわけだ。
 同じ措置が現在イスラム教徒たる米国人に対してとられている。過去の過ちが再び繰り返されていることになる。
 この際、先の大戦中、日系米国人収容所群の総責任者(Wartime Relocation Authorityの長)を勤めたマイヤース(Dillon Myers)が、戦争が終わった後、米国政府のインディアン問題局(Bureau of Indian Affairs)の局長になったことにも注意を喚起しておきたい。

 (3)カバノーの言

 対日ヒステリーが1980年代末から1990年代初めにかけて米国で亢進した。
 米議会の前でトヨタの車が複数チェーンソーで細切れにされたのを覚えているだろう。 カローラがどんどん売れ、ソニーがコロンビア映画を買収し、とりわけ三菱グループがニューヨークのラジオシティー・ミュージックホールを買収したことが大騒ぎになった。
 1989年のロサンゼルスタイムスのコラムで、バックワルド(Art Buchwald。故人)は今やラジオシティー・ミュージックホールは「カミカゼ・アイススケート場」付きの「ラジオシティー東條ホール」になったと述べたものだ。
 対日ヒステリーが頂点に達したのが、1989年19月のニューヨークのロックフェラー・センターの買収だった。
 黄禍論的要素がそこにはあったのだ。
 というのも、日本からの投資には目がつり上がっても、ドイツからの輸入やオランダからの投資になど誰も目もくれなかったし、投資と言っても、1980年代を通じて英国の投資は日本の投資を常に50%以上上回っていたというのに、英国のことなど誰も何か言ったためしがないからだ。
 やがてヒステリーの対象が日本から支那に移っていった。

3 コメント

 このように有色人種差別意識が、米国を牛耳っているワスプを中心とする白人達の間で現在もなお生き続けていることからすれば、それが戦前から先の大戦の頃にはどんなに強い意識であったか、容易に想像できるというものです。
 そんな米国が、当時どんなに歪んだ目で日本を見、東アジアを見ていたか、考えただけでも慄然としますね。
 1980年代から90年代にかけての米国における日本人差別意識は幸い生身の日本人や日系米国人の命を一人も奪うことはなかったけれど、1930年代から40年代にかけての米国における日本人差別意識は数百万人の日本人を死に至らしめたのです。