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太田述正コラム#2176(2007.11.13)
<爆笑問題との私の共演>(2007.11.17公開)

 (本篇は、当分の間非公開とします。)

1 始めに

 電車で新橋駅まで行き、歩きで汐留の日テレにたどりついたのは私くらいでしょう。
 (前回、日テレに出演した時は、車が迎えに来ました。今回、出演者が多いので、迎えがなかったと思われます。)
 案の定、道に迷ってしまい、やっとのことで発見した夜間の搬入り口から入館し、5分遅れの21時20分に11階の受付に着きました。
 以下は、それから起こったことです。

2 控え室にて 

 上記と別フロア(前回は同フロア)の控え室は、前回は個室であったところ、今回は河辺啓二氏夫妻と一緒だった。前回、弁当を持ち帰りそこねたので、今回は着席して、まずは目の前の弁当をパクついた。
 そうこうしているうちにディレクターが入ってきて調整が始まった。
 官僚がいい思いをしている点の見聞を紙のボードに買いてくださいと言われ、海外出張時の商社による接待の話にしたのだが、字がヘタなので、と言ってディレクターに代筆してもらった。
 なお、マニフェストが、「不祥事を起こした省庁は連帯責任で1ヶ月間タダ働きにします」と1年間が1ヶ月に変更されていた。
 それから、おもむろに河辺さんに挨拶した。
 河辺さん(49歳)は、東大工学部を卒業後キャリア官僚(技官)として農水省、総務庁(当時)に計十年勤めた後、三十三歳で東大理3を受験し直し、教養課程からやり直して医学部を卒業し、群馬で開業医になって十年経ったという異色の人物。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/kikaku/036/1.htm
 奥さんが一緒なのは、群馬から奥さんの運転で車でやってきて、収録終了後、やはり奥さんの運転で群馬まで帰るためとのこと。
 河辺:「私にとっての二度目の教養課程の時、桝添要一先生の政治学の授業をとらされました。」
 太田:「桝添とは法学部同期ですが、後に日本青年会議所の顧問団を前財務省財務官の渡辺君や桝添と一緒にやった仲です。桝添の授業を受けさせられたとはお気の毒に。」
 河辺:「ところが、半分くらい進んだところで、桝添先生は東大をお辞めになってしまったのですよ。」
 太田:「それはよかった。」

3 収録フロアの出演者全員のための控え室にて

 「議長」役の森さん、「議員」役の平沢勝栄衆議院議員(自民党・元警察庁)、山本一太参議院議員(自民。2世議員)(注)、藤末健三参議院議員(民主党・元東大助教授・元通産省)、私、河辺(以上、マニフェストに反対)、片山さつき衆議院議員(自民党・元財務省)、山井和則衆議院議員(民主党・元大学講師)(以上、マニフェストに賛成)、太田光総理、田中秘書、山本モナ秘書(進行役)、金美齢、有田芳生、ケビン・クローン、高部あい、ふかわりょう、若林亜紀の全員が揃う。

 (注)山本さんのプロフィールを調べていて、ここでは明かせないご縁が彼とあることを発見した。もし、オフ会が将来再び開かれることがあれば、参集者だけにそのご縁をご説明しよう。

4 収録

 企画が企画だけに、私が議論の中心になってしまった。
 私は、「たかじん・・」の2回と日テレの1回目の合計、マイナス「日本に脅威無し」論、のすべてを開陳できたように思うが、問題はどれだけカットされるかだ。
 いささかあわてたのは、河辺さんが、キャリア官僚は皆接待を受けているとの私の主張に「そんなことはない」と異を唱えたこと。「そう、技官は蚊帳の外の場合が多いんですよ」と言うのもはばかられたので弱った。
 後、台湾「独立」運動の闘士として尊敬していた金美齢さんが、私の主張について、「極めてシニカルであり、偏っている」とおっしゃったのにはがっくりきた。
 ご存じないことについて発言されるとは、やはり金さんもお年なのだな、と痛ましい思いがした。
 平沢さんは、私が立候補した2001年に既に小沢さんらが民主党にいたと勘違いして私に反論したのはおかしかった。私は改めて旧自由党や小沢さんの悪口を言っておいた。
 なお、太田「総理」は私のシンパになった感じを受けた。
 後は、16日(金)2000からの放送をご覧いただきたい。

5 収録後

 収録が始まるのが遅れ、しかも議論が白熱化したこともあって24時が迫り、24時になると自動的に電源が落ちるしくみになっているとのことで、みんなで大あわてでエンディングまでもっていき、収録は終了した。
 その後、ディレクターから私のこれまでの出演料を聞かれたので、「たかじん・・」の時の出演料を口にすると、「ではそれで行きましょう」ということになった。
 下に下りるエレベーターを待っている時、若林亜紀さんが近付いてきたので、「出演者の中で最も肝胆相照らす気がしたのはあなたでした」と私が名刺を出しながら言うと、「後で名刺を送ります」と彼女が答え、一言二言会話を交わした後、分かれた。
 帰りはチケットを渡され、タクシーで帰宅した。
 本日、若林さんからメールが届いた。「名刺」とはこのことだったのだ。

太田様

昨日はありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
機会あればいろいろご教授くださいませ。

厚労省の天下り法人で内部告発をして辞めました。
法人時代から出版の仕事をしており、
辞めてから雑誌などを書いております。
出版界のことでしたらお聞きくださいませ。
私は新設された予備自衛官補制度に応募し、
英語技能で予備自衛官二曹でもあります。

若林亜紀

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太田述正コラム#2183(2007.11.17)
<大蔵官僚群像(その1)>

→非公開

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