太田述正コラム#1763(2007.5.10)
<米国とは何か(続々)(特別編)>(2007.11.11公開)

1 始めに

 ジェームスタウンに関する記事が随分たまったので、もう少し、この町に関わるエピソードをご披露したいと思います。

2 ジェームス1世とジェームスタウン

 1606年にバージニア会社・・ジェームスタウンを建設・・に勅許を与えた英国のジェームス1世(1566〜1625年。1567年からスコットランド国王 (James 6)、1803年からイギリス王(James 1)を兼ねる)にとって、英領北米植民地はさしたる関心の対象ではありませんでした(注1)。

 (注1)ジェームス1世について英語版ウィキペディアには、ジェームスとジェームスタウンないし北米植民地の関係については、一言の記述も出てこない(
http://en.wikipedia.org/wiki/James_I_of_England
5月10日アクセス)

 とはいえ、彼の前のイギリス国(女)王であるエリザベスの時代に始まったスペインとの戦争の完全終結に心を砕き続けたジェームスでしたが、在英スペイン大使が彼に対してジェームスタウンの閉鎖を求めた時には、何の言質も与えようとはしませんでした。
 鋭いけれど大局的判断ができないとして「キリスト教世界の最も賢いアホ(the wisest fool in Christendom)」呼ばれたジェームスですが、彼のおかげで米国の現在がある、と言えるのかもしれません。
 もう一つ。
 ジェームスは大食漢で大酒飲みでしたが、新大陸から持ち込まれたタバコについては、「目には煙いし、鼻を刺激するし、頭にも有害だし、肺にも危害を及ぼす」と今にして思えば正しい評価を下しています。
 しかし、だからといって、彼自身も謁見した、バージニアの住民ロルフ(John Rolfe)とポカホンタス夫妻の営み始めたタバコ栽培とその英国への移出を、ジェームスは禁止しようとはしませんでした。ジェームスは、収益があがるものを禁止するような石頭ではなかったのです。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/05/08/AR2007050801311_pf.html
(5月9日アクセス)による。)

3 米国の起源とジェームスタウン

 1620年にメイフラワー号に乗ってニューイングランドのマサチューセッツに移住した清教徒達がつくったプリマス(Plymouth)の陰に隠れて、つい最近まで、ジェームスタウンのことはほとんど語られることがありませんでした。
 その理由としては、プリマスで、現在の米国における最古かつ最大の祝日である感謝祭(Thanksgiving)が始まったとされてきたこと、プリマスが、住民の素行が比較的良かったこと、インディアンと余り諍いを起こさなかったこと、奴隷制を持ち込まなかったこと、そして、マサチューセッツにハーバード大学がつくられる等、ニューイングランドは米国の学術・教育の中心であり続け、プリマス起源の米国史観とも言うべきものを全米で流布させてきたこと、プリマスをつくったのは宗教的自由を求めた中流階級の勤勉な人々であったのに対し、ジェームスタウンをつくったのは上流階級のはぐれ者か一攫千金を夢見る下流階級の人々でそのほとんどが勤労を厭う人々であったこと、ジェームスタウンは南北戦争で敗れた南部に位置しており、爾後、南部に関わるものは何でも貶められてきたこと、プリマスと違ってジェームスタウンが放棄されて町として継続しなかったこと、等が挙げられます。
 
 しかし、そもそもジェームスタウンの起こりは、株式会社であった勅許バージニア会社であり、米国の自由な企業の伝統はここに始まるとも言えること、プロテスタント至上主義的であったプリマスとは違って、ジェームスタウンでは人々はまさに本来の意味での宗教的自由を享受していたこと、そしてジェームスタウンでは、最初から北米植民地最初の地方議会(council)による自治が行われていたことから、様々な暗黒面があったとはいえ、ジェームスタウンこそ米国の起源である、とする説が現在では有力になりつつあります。
 また、バージニア州出身者であって、ジェームスタウンを聖地視していたジェファーソン(Thomas Jefferson。1743〜1826年。第3代米大統領)らが、米独立革命において重要な役割を果たしたことも忘れてはならないでしょう。

 ところで、北米大陸における(インディアンによるものを除く)最初の定住地は、ジェームスタウンではなく、実はスペイン人が1565年につくったフロリダのセント・オーガスティン(St. Augustine)なのです。
 この地で、北米大陸最初の都市計画がつくられ、裁判所、学校、病院、教会がつくられたのです。
 最初の感謝祭はここで行われたとも指摘されています(注2)。

 (注2)ちなみに、ジェームスタウンで1619年・・プリマスがつくられる前年・・に感謝祭が既に行われていたという指摘も最近なされている。

 しかし、セント・オーガスティンは、ジェームスタウン以上に無視されてきました。
 スペインが北米大陸における敗者となったからです。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/04/07/AR2007040701312_pf.html
(5月9日アクセス)による。)